路線データ
路線延長 | 42.6km |
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軌間 | 1067mm |
駅数 | 20駅(東神奈川駅~八王子駅間) |
起終点 | 東神奈川駅~八王子駅 |
複線区間 | 全線 |
電化区間 | 全線直流電化(1500V) |
閉塞方式 | 複線自動閉塞式 |
保安装置 | ATS-P |
運行管理システム | 東京圏輸送管理システム (ATOS) |
最高速度 | 95km/h |
区間
神奈川県横浜市にある東神奈川駅を起点とし、東京都八王子市にある八王子駅に到る42.6Kmの路線である。路線名は「横浜」を名乗っているが、これは開業させたのが「横浜鉄道」だった為(私鉄買収線のほとんどは買収元の私鉄の社名を名乗ることが多いため)であり、買収された時期的に横浜駅とは関係がない(横浜駅は買収後に開業した)と思われる。その横浜駅は東神奈川駅から京浜東北線で一駅隣であり、横浜線の列車でも横浜駅へ直通しないものも多いが、現在は直通するものがほとんどとなっている。
歴史
八王子近辺で生産される生糸を輸送するために設立された私鉄「横浜鉄道」が1908年に開業させたのが始まりである。しかし、経営状態が悪化したため当時の国鉄がこの路線を1910年に借り受け、その後1917年には正式に国有化されることとなった。国有化されるまで路線名は八浜線だった。
国有化直前には標準軌への改軌試験が行われたり、また国有化後の1925年には東海道本線電化のための試験として一部区間が電化されたりと、当時は半ば実験線的に使われていたようである。
電車の運行開始は1932年で、電化されていた東神奈川〜原町田間が電車化された。原町田以北はまだ沿線人口が少なかったために蒸機牽引の客車列車だったが、1933年には気動車での運行が開始された。なお貨物列車は全線に渡り蒸機牽引によるものであった。全線電化は1941年。
戦後、東海道新幹線が開通するとその交点上に新横浜駅が開設され、それと前後して横浜線も順次複線化が進んでいき、103系が完全に投入された1979年の時点で相原駅までが、さらに国鉄分割民営化後の1988年には全線が複線化した。
但し八王子駅は1線だけであったが、1991年の相模線の電化で直通もするようになり、6番線を増設して2線となり完全に複線化が完了した。
1972年から1979年にかけては103系が投入された。当初は各線区から寄せ集めて編成を組んでいたため混色編成が見られたが、その後同線で運用される103系は黄緑6号(ウグイス)のカラーリングに変更され、これが横浜線のラインカラーとなった。現在運用されているE233系はこのウグイス色に緑15号(グリーン)の帯を追加している。乗り入れ車両である205系は異なる塗色(白地に青濃淡の帯が複数本)となっている。
種別
快速
平日は日中、土休日は朝から夕方にかけて運転する。
平日と土休日の日中は20分間隔で桜木町駅 - 八王子駅間を運転している。土休日の朝は間隔が開く部分ある。快速運転区間は東神奈川駅 - 相模原駅間である。すべての電車が京浜東北線・根岸線に乗り入れている。東神奈川駅 - 八王子駅間の全区間で見ると、快速は全20駅のうち7駅を通過し、主要駅などの13駅に停車する。快速が連続して通過するのは古淵駅・淵野辺駅・矢部駅の3駅で、他はほぼ1駅おきに通過する。
日中の場合は、上りが橋本駅で同駅始発の各駅停車桜木町行きと、中山駅で快速の前を走る各駅停車東神奈川行きに、下りが東神奈川駅で同駅始発の各駅停車橋本行きと、町田駅で快速の前を走る各駅停車八王子行、橋本駅で快速の前を走る橋本止まりの各駅停車とそれぞれ連絡する(東神奈川駅下りや橋本駅上りでは、同じホームではなく隣のホームに移動する必要がある)。また、土休日の上りの一部は町田駅でのみ各駅停車に連絡する。
各駅停車
終日運転される。朝・夜間帯は横浜線内の折り返し運転が中心となる。
日中は毎時6本運行されるが、このうち3本が京浜東北線・根岸線経由で桜木町駅まで運転されており、毎時3本運転される快速とあわせ毎時6本が桜木町駅まで乗り入れる。朝・夜間帯には一部列車が磯子駅・大船駅まで直通する。
日中において、快速の前を走る各駅停車は上りが中山駅、下りが町田駅で待ち合わせをする。その他、上りが橋本駅、下りが東神奈川駅で始発の各駅停車が快速との待ち合わせを行う(東神奈川駅や橋本駅では同じホームではなく隣のホームに移動する。ただし、橋本駅ではなく、次の相模原駅で乗り換えれば同一ホームでの乗り換えができる)。
臨時特急「はまかいじ」
1996年4月27日から2019年1月3日まで、横浜と甲州や信州エリアの松本駅を結ぶ臨時特急「はまかいじ」が運転されていた。運転開始当初は横浜駅-甲府駅間の運転だったが、乗客増に合わせて小淵沢駅・上諏訪駅と徐々に区間が延長され、2003年以降は横浜駅-松本駅間で落ち着いていた。
しかし、使用車両の老朽化や、中央線の特急再編、また横浜駅京浜東北線ホームにホームドアの設置が決まった事で、2019年1月3日の運転をもって廃止された。
車両
現在の車両
E233系 6000番台
現行の205系を置き換えるべく、E233系が導入された。2012年4月のプレスリリースで2014年度に8両28編成224両が投入されることが正式に発表となった。が前倒しされ、2014年2月から順次投入され8月23日に205系8連を置き換えた。
205系500番台
相模線からの乗り入れ車両である500番台4両編成が八王子駅~橋本駅間のみ運用されている。
過去の車両
1972年から1989年2月まで運用されていた。当初は4両編成。
1970年代は低運転台車のみであり、製造年も若番が多く古いのが多かった。
1980年に入ると先頭車がATC対応の高運転台だけとなり、7両固定編成となった。
その際、低運転台車等は関西や中京圏や仙石線などに転出していった。
また、中間車の電動車や付随車に冷房がついておらず、先頭車だけが新しいという編成が多く、
特に4号車にあたるサハはほとんどが初期車であったため、非冷房車が多かった。
1989年と比較的早い段階での離脱となったが、当時の首都圏はまだ103系が幅を利かせていたため、
205系に置き換えた当時の余剰廃車は初期車の付随車5両だけでとどまった程度であり、
それ以外は103系が運用している各路線に転出していった。
205系0番台
1988年9月22日に103系の置き換えとして運用が開始。1989年3月までには全車が出揃った。
7両編成25本が投入された全車生え抜き車の新造車。
後に3本が他の路線から転入して28本体制となった。
1993年に京浜東北線からサハと電動車2両を抜き、6両編成で転属し26編成に、
この時に補充としてサハ205-232が新造された。
1994年には6扉車のサハ204形100番台が組み込まれ、8両編成となった。
さらに2003年に山手線のヤテ30編成が転属し、H27編成となり、
唯一のサハ204形0番台が組み込まれている。
2009年に増発のため、武蔵野線から中間の電動車を抜き6両と、
予備となっていた京葉線のサハ2両を転属し、H28編成となった。
この編成は6扉車が組み込まれていない。元々は山手線のヤテ15編成であった。
全車両運用が2014年8月23日をもって離脱し、ほとんどがインドネシアへ譲渡された。
また、サハ204形はこれをもって形式消滅となった。
大宮総合車両センター所属の200番台車7両編成が「はまかいじ」で使用される。かつては長野区の189系6両編成も使用されていたが、現在は185系のみでの運転である。
なお、保安機器の関係上特定の編成しか運行されない。
駅一覧
●=停車 レ=通過
駅名 | 読み | 普通 | 快速 | 接続路線 | 備考 |
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東神奈川 | ひがしかながわ | ● | ● | 島式2面4線で京浜東北線と線路を共有。 | |
大口 | おおぐち | ● | レ | ユニー関東本部の最寄り駅。 | |
菊名 | きくな | ● | ● | 東急東横線 | 出口は1号車のみ。 |
新横浜 | しんよこはま | ● | ● | 新幹線口が表口。 | |
小机 | こづくえ | ● | レ | 2面3線。待避線あり。 | |
鴨居 | かもい | ● | ● | ||
中山 | ながやま | ● | ● | 横浜市営地下鉄グリーンライン | 2面3線。2面4線かは駅ビルで潰えた。 |
十日市場 | とおかいちば | ● | レ | ||
長津田 | ながつた | ● | ● | ||
成瀬 | なるせ | ● | レ | ||
町田 | まちだ | ● | ● | 小田急小田原線 | 横浜線唯一島式2面4線。 |
古淵 | こぶち | ● | レ | 相対式ホーム | |
淵野辺 | ふちのべ | ● | レ | ||
矢部 | やべ | ● | レ | ||
相模原 | さがみはら | ● | ● | 相対式ホーム | |
橋本 | はしもと | ● | ● | 相模線直通あり。横浜線2面4線化する用地あり。2番乗り場は貨物線退避。 | |
相原 | あいはら | ● | ● | 相対式ホーム | |
八王子みなみ野 | はちおうじみなみの | ● | ● | ||
片倉 | かたくら | ● | ● | 相対式ホームで横浜線唯一の高架駅。 | |
八王子 | はちおうじ | ● | ● | 中央線直通は中央線ホーム。 |
関連動画
快速 八王子駅→桜木町駅