オリンピック
おりんぴっく
概要
古代ギリシャ・オリンピア競技会の名前を冠した世界的なスポーツ大会である。古代に行われていたその競技会を、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンが「スポーツ教育の振興を通じた平和への貢献」というオリンピズムを目的に掲げて復活させたものである(佐野慎輔「クーベルタンとオリンピック復興」)。このため、古代の競技会と区別する為に近代オリンピックとも呼ぶ。また、シンボルマークから五輪という通称もある。
大会公用語として、第1公用語はフランス語。第2公用語に英語を基本とし、
第3公用語として、開会式や閉会式には、開催国の公用語を用いることもある。
夏季オリンピックは、4年に1度。閏年に行われる。
冬季オリンピックも4年に1度。夏季オリンピックの2年後に行われる(1994年大会以降)。
オリンピック設立の経緯と歴史
近代オリンピックの原型となった古代オリンピックは、紀元前776年にギリシャのエリス地方、オリンピア(オリンポス)の地で始まったとされる(日本体育大学『オリンピック基礎知識』)。この地はオリンポス山の名でも知られるゼウス神の聖地であり、オリンピア競技とは4年ごとに汎ギリシャで開催されたゼウス神に捧げる祭典としての競技会であったらしい。古代ギリシャは都市国家間の戦争が慢性化していたが、この祭典の期間は「エケケイリア(聖なる休戦)」と呼ばれる休戦が実施されたらしい。競技の精神は「カロカガティア」すなわち身体的にも道徳的にも称賛に値することで、競技会は商業化が進展するもその精神はキリスト教勢力の浸透によって競技会が廃絶するまで保たれた(以上『オリンピック基礎知識』参照)。
1852年、ドイツの考古学者がオリンピア遺跡を発掘し、古代の競技会への関心が高まった(日本オリンピック委員会「クーベルタンとオリンピズム」)。そんな時代に普仏戦争の敗戦で沈滞するフランスに育ったピエール・ド・クーベルタンは、諸国の視察を通じて教育改革におけるスポーツの重要性を痛感するようになった。彼は英国のパブリックスクールで学生たちが積極的な上に紳士的にスポーツに取り組む姿に感銘を受け、また伝統と慣習から自由な米国の社会に古代ギリシャの理想を見た。そして1894年6月パリ万国博覧会にて開催されたスポーツ競技者連合会議にて、クーベルタンは古代オリンピックの復活を提案して満場一致で賛成を受けた。この会議で国際オリンピック委員会の初代委員が選任され、伝統に従い近代オリンピックも4年ごとの開催する事、第一回をギリシャで開催し、第二回以降は世界各国の都市で持ち回りとすることが決まった。
クーベルタンはオリンピズムというオリンピックのあるべき姿を提唱した。それは「スポーツを通じて心身を向上させ、文化や国籍の壁を越えてフェアプレーの精神で競い、友情と連帯を育むことで平和で良き世界の実現に貢献する事」である。また、英米選手団の対立を戒めた主教の言葉をクーベルタンが英政府主催晩餐会にて引用した「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することに意義がある」も著名である。クーベルタンは、オリンピックに参加する為に努力し自らを作り上げる事、オリンピックに参加して人と付き合いもって世界平和に貢献する事の重要性を説いている(以上「クーベルタンとオリンピズム」参照)。
開催場所の選考
開催都市は1回につき1都市と決められており、現在は2段階の選考となっている。まず各国内で立候補希望都市を絞り、国内オリンピック委員会を通じて IOC(国際オリンピック委員会) に立候補を申請し大会計画等を書類として提出、選考が行われる。この段階で落とされたり辞退する都市もある。2次選考はIOC委員による現地視察などが行われさらに詳細な開会計画を各都市が提出、最終選考は開催の7年前のIOC総会で1都市に過半数の票が集まるまで繰り返し投票、という形で決定され投票の前には各国招致団のプレゼンテーションが行われる。
オリンピックの政治利用
歴史の節で述べた通り、本来オリンピックでは「政治とスポーツは別」との考え方から、たとえ敵対関係であってもオリンピック期間中は政治的・軍事的対立を忘れることによって「スポーツによる平和な世界」を作ろうという崇高な理想があったのだが、現実はそれらの理想とかけ離れたものとなり、古くから政治利用されている。
たとえば、1936年に行われたベルリン・オリンピックではナチス・ドイツが主催した大会であることから極めて政治的なものとなり、記録映画として初めて製作され、各オリンピックの記録映画の手本となった名作「オリンピア<オリンピア(映画)」も、プロバガンダ映画としての一面が否定できない。
本大会から始まった聖火リレーも「アーリア人の優位性」を説くために利用され、その走行ルートもドイツのバルカン半島攻略に利用されるという数々の悲劇が生まれた。
一方、独ルッツ・ロング選手と米ジェシー・オーエンス選手の人種・国境を越えた逸話が生まれたのもこの大会である。
また、1980年に行われたモスクワ・オリンピックは、前年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことによりアメリカがボイコット、日本や西ドイツ、韓国もこれに続いた。
このボイコットは次に行われたロサンゼルス・オリンピック(1984年)にも影響を与え、ソ連を中心とする東側諸国は報復としてこの大会をボイコットした。
日本オリンピック委員会(JOC)はこれらの紆余曲折を経てなお継続するオリンピックをクーベルタンのオリンピズムへの国境を越えた共感の現れと捉え、JOCの使命をオリンピック理念の具現化と継承にあるとしている(日本オリンピック委員会「クーベルタンとオリンピズム」)。
経済効果
世界中からスポーツ関係者や報道陣、観戦客が大挙して押し寄せるとあって国際的には無名な都市であっても世界に知れ渡り、開催国には多大な経済的利益が発生する。
オリンピックの会場招致に各国が熱を上げる裏には、この恩恵を利用して自国の経済発展をもくろむ意図も多分に含まれているのだが、近年、後述する諸問題により立候補する都市が激減、2024年開催予定のオリンピックを争っていたパリとロサンゼルスを2024年・パリ、2028年・ロサンゼルスに振り分けることで急場をしのぐ形となっている。
それらの問題とは、たとえ開催国に決まったとしても、そこからの会場の施設やインフラ網の整備、治安の維持や国際化の対応など、開催国側にも相応の負担が発生し、これを如何に乗り切るかも主催国としての度量が試される場面である。
主催国は開催時期までに「問題を解決する」という前提で決定するため、失敗すると国際的な評価に大きな爪痕を残しかねない。
さらにもう一つの問題として、有力スポンサーが欧米の大手メディアであるため競技日程がアメリカのテレビ局の都合に合わせてそちらのゴールデンタイムに中継できるよう組まれ、現地では無理な時間に競技が開催されるため選手への負担が大きくなることが顕著になってきている。
開催都市
(太字は各回の記事あり)
夏季
年 | 回 | 開催地 | 開催国 |
---|---|---|---|
1896年 | 1 | アテネ | ギリシャ王国 |
1900年 | 2 | パリ | フランス |
1904年 | 3 | セントルイス | アメリカ |
1906年 | ※1 | アテネ | ギリシャ王国 |
1908年 | 4 | ロンドン | イギリス |
1912年 | 5 | ストックホルム | スウェーデン |
1920年 | 7 | アントワープ | ベルギー |
1924年 | 8 | パリ | フランス |
1928年 | 9 | アムステルダム | [[オランダ |
1932年 | 10 | ロサンゼルス | アメリカ |
1936年 | 11 | ベルリン | ドイツ国 |
1948年 | 14 | ロンドン | イギリス |
1952年 | 15 | ヘルシンキ | フィンランド |
1956年 | 16 | メルボルン | オーストラリア |
1960年 | 17 | ローマ | イタリア |
1964年 | 18 | 東京 | 日本 |
1968年 | 19 | メキシコシティ | メキシコ |
1972年 | 20 | ミュンヘン | 西ドイツ |
1976年 | 21 | モントリオール | カナダ |
1980年 | 22 | モスクワ | ソビエト連邦 |
1984年 | 23 | ロサンゼルス | アメリカ |
1988年 | 24 | ソウル | 韓国 |
1992年 | 25 | バルセロナ | スペイン |
1996年 | 26 | アトランタ | アメリカ |
2000年 | 27 | シドニー | オーストラリア |
2004年 | 28 | アテネ | ギリシャ |
2008年 | 29 | 北京 | 中国 |
2012年 | 30 | ロンドン | イギリス |
2016年 | 31 | リオデジャネイロ | ブラジル |
2021年 ※2 | 32 | 東京 | 日本 |
2024年(予定) | 33 | パリ | フランス |
2028年(予定) | 34 | ロサンゼルス | アメリカ |
2032年(予定) | 35 | ブリスベン | オーストラリア |
※1:10周年記念による非公式の中間大会。
※2:本来は2020年に開催される予定だったが、新型コロナウイルスの影響により1年延期。
中止になったオリンピック(夏季)
冬季
年 | 回 | 開催地 | 開催国 |
---|---|---|---|
1924年 | 1 | シャモニー | フランス |
1928年 | 2 | サンモリッツ | スイス |
1932年 | 3 | レークプラシッド | アメリカ |
1936年 | 4 | ガルミッシュ=パルテンキルヒェン | ドイツ国 |
1948年 | 5 | サンモリッツ | スイス |
1952年 | 6 | オスロ | ノルウェー |
1956年 | 7 | コルチナ・ダンペッツォ | イタリア |
1960年 | 8 | スコーバレー | アメリカ |
1964年 | 9 | インスブルック | オーストリア |
1968年 | 10 | グルノーブル | フランス |
1972年 | 11 | 札幌 | 日本 |
1976年 | 12 | インスブルック ※ | オーストリア |
1980年 | 13 | レークプラシッド | アメリカ |
1984年 | 14 | サラエボ | ユーゴスラビア |
1988年 | 15 | カルガリー | カナダ |
1992年 | 16 | アルベールビル | フランス |
1994年 | 17 | リレハンメル | ノルウェー |
1998年 | 18 | 長野 | 日本 |
2002年 | 19 | ソルトレイクシティ | アメリカ |
2006年 | 20 | トリノ | イタリア |
2010年 | 21 | バンクーバー | カナダ |
2014年 | 22 | ソチ | ロシア |
2018年 | 23 | 平昌 | 韓国 |
2022年(予定) | 24 | 北京 | 中国 |
2026年(予定) | 25 | ミラノ/コルティナ・ダンペッツォ | イタリア |
※:アメリカのデンバーで開催予定だったが、住民の反対運動により開催地が変更された
中止になったオリンピック(冬季)
- 第二次世界大戦の影響
- 1940年:札幌→サンモリッツ→ガルミッシュ=パルテンキルヒェン
- 1944年:コルチナ・ダンペッツオ
別名・表記揺れ
関連タグ
出典
日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所『オリンピック基礎知識』2018.02.20閲覧
公益財団法人日本オリンピック委員会「クーベルタンとオリンピズム」2018.02.20閲覧
佐野慎輔「クーベルタンとオリンピック復興」公益財団法人笹川スポーツ財団『エッセイ「スポーツの歴史」』2018.02.20閲覧