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ダイワメジャーの編集履歴

2021-12-15 13:41:14 バージョン

ダイワメジャー

だいわめじゃー

2000年代にJRAで活躍した元競走馬・種牡馬。

概要

2000年代にマイル競争を中心にJRAで活躍した元競走馬種牡馬

主な勝ち鞍は天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ安田記念

2006年、2007年の最優秀短距離馬。

先行からのロングスパート、馬体を併せられると差し返していく負けん気の強さが特徴。

喘鳴症の悪化で一時不振に陥ったが、手術を受けて復活した。

種牡馬としては8頭のGⅠ馬を輩出。


2006年のマイラーズカップ以降主戦を務めた安藤勝己騎手は「突き刺さるような加速」「俺に一番合っている」と評価していた。


略歴

2001年4月8日、社台ファーム北海道千歳市)で誕生。

父・サンデーサイレンス、母・スカーレットブーケ(母父ノーザンテースト)。

スカーレットインクに始まるスカーレット一族の一員。

全兄にスリリングサンデー、全姉にダイワルージュ、3/4妹(祖父が父と同じ)にダイワスカーレットがいる。

馬主は当初大和商事(株)だったが、2004年12月に大城敬三個人の名義に変更された。


社台の当歳馬たちの間ではガキ大将的存在で、体が大きく、力が強く、気性が荒く、人間相手でも気に入らなければ徹底的に反抗し、殺気のこもった目で睨みつけてくるので中々育成調教が進まなかった。

2歳の夏に社台の山元トレーニングセンターに送られたが、手に負えないので送り返されてきた。

牡馬担当主任の東礼治郎北海道競馬五十嵐冬樹騎手(社台生産馬コスモバルクの主戦)に「ちょっとヤキを入れてやってください」と頼み、五十嵐が厳しく追い込んだところ、ダイワメジャーは多少従順になった。

秋に美浦上原博之厩舎に入厩。


2003年

  • 12月28日、中山競馬場の2歳新馬戦(芝1600m)で菊沢隆徳騎手を鞍上にデビュー。大暴れした末パドックで地面に腹這いになって抵抗し、出走取消を打診されるほどだったが、どうにか出走しモンスターロードの2着。馬主の大城はダイワメジャーの気性難について知らされていなかったので非常に驚いた。

2004年


2005年


2006年



  • 10月29日、天皇賞(秋)に出走。単勝4番人気。レースは最後の直線で先頭に立つとスウィフトカレントの追い込みを凌いで1着。2年前の皐月賞以来のGⅠ勝利で、馬番は皐月賞と同じ7枠14番だった。
  • 11月19日、マイルチャンピオンシップに出走。単勝1番人気。スタートから先頭に立ち、追い込んできたスーパーホーネットをクビ差抑え1番着。天皇賞とマイルチャンピオンシップの連覇はニッポーテイオー以来19年ぶりであった。



2007年



  • 12月23日、有馬記念でダイワスカーレットとの兄妹対決が実現した。安藤勝己騎手はダイワスカーレットの主戦だったため、ダイワメジャーにはミルコ・デムーロが騎乗。しかし9番人気のマツリダゴッホが優勝。ダイワスカーレットは2着、ダイワメジャーは3着に敗れた。

種牡馬時代

引退後は社台スタリオンステーションに繋養され、種牡馬となった。

マイルの勝馬を多数輩出し、カレンブラックヒルコパノリチャードブルドッグボスメジャーエンブレムレーヌミノルアドマイヤマーズレシステンシアと産駒に8頭のGⅠ馬がいる。

後継種牡馬としては、アドマイヤマーズが候補に挙がっている。


関連タグ

競走馬 種牡馬 JRA


外部リンク

wikipedia:ダイワメジャー

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