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三沢光晴の編集履歴

2023-05-17 19:47:54 バージョン

三沢光晴

みさわみつはる

最強の名を欲しいがままにした天才プロレスラー。

概要

1962年6月18日生まれ、北海道出身埼玉県育ち。


プロレスラー全日本プロレス元社長、プロレスリング・ノア創始者。


二代目タイガーマスクでもある。


ずば抜けた才能を持ちながら決して奢らず、自ら率先してヲタキャラ、エロ親父っぷりを披露してファンとの距離を縮めようと努力した人でもあった。


2009年6月13日広島でのGHCタッグ選手権(三沢、潮崎豪×斉藤彰俊バイソン・スミス)の試合中、斉藤のバックドロップを食らう際、受け身に失敗する事故で死去。享年46歳。


最強説

当時NOAHジュニア戦線で奮闘していた元GHCヘビー級王者の杉浦貴が、2004年総合格闘技PRIDEのある試合にて60億分の1を決めると言われたPRIDE GPベスト8のジャイアント・シルバを秒殺したことから、NOAHの頂点に君臨する三沢はミルコノゲイラヒョードルをも超越する最強の人間という認識が広まっていった。

実際に三沢はPRIDEでIQレスラーこと桜庭和志を破ったヴァンダレイ・シウバと「戦ってみたい」と語っていた。


素顔

動物好きで、ネコイヌカメウサギなどを飼っていた。


酒場が大好きで毎度夜中まで飲んでいたせいか、脂肪がつきすぎそれが死を早める原因となった。晩年は特に腹が突き出、地方では6人タッグ、技もエルボー限定といったスタイルを酷評されていた。

これは酒好きゆえの体重増加のみならず長年の酷使によって満身創痍の状態で試合だけではなく社長としての営業活動も行っており、心身ともに疲弊しきっていたことによる。周囲からも休場を勧められていたが、「年に一度地元にやってくるノアの興行で三沢がいないのは、プロレスのテレビ放送が充実してた時代のファンにとっては残酷なことだ」と無理を押して出場していたという。


札幌に行った時は、必ずススキノに遊びに行くのを楽しみにしていた。

スキューバダイビングを好み、年に1度は必ずハワイに行ってダイビングを行っていた。


ジャンボ鶴田が引退後にアメリカの大学へスポーツ生理学の教授待遇として赴任することになった際、既に鶴田と全日の間に距離があって見送りに行きたくても行きづらい雰囲気となっていたが、その空気を振り切って成田空港まで見送りに訪れた。その際鶴田から

「もし何かあったらすぐに言って来いよ。俺はミチャワくんの味方なんだから。それだけは忘れないでくれよ」

と告げられたという。しかし鶴田はB型肝炎が肝臓癌へと悪化し、海外での脳死肝臓移植に一縷の望みを賭け、ようやくドナーの見つかったフィリピンで移植手術を受けるも手術中の大量出血によりこの世を去ってしまった。


オタク関係に造詣が深かった。

特にヒーローものが大好きで、カラオケに行くと子供時代大好きだったマイナー特撮ヒーローの主題歌を歌うものの、誰も知らないので一緒にいった人間を少々困らせたていたという。なお「全日本プロレス中継」が選手のリクエストで番組のエンディングテーマを決めていた時、他の選手が一般曲を選ぶなか、三沢だけは新造人間キャシャーンのOPをリクエストしていた。

また、ホビー専門誌で特撮ヒーローの人形収集の趣味がある事を明かしていた。実際に三沢の部屋を訪れた徳光正行はヒーローもののグッズで溢れていたことを証言しており、全日社長時に日テレの「素顔がイイねっ!」で自宅を公開した際には、子供の大きなポケモンの人形のほか、かなり希少なファイナルファンタジーⅦグッズやその他のコレクションが乱雑に並べられていた。何人かの若手の「遠征中、ドライブインに寄るたびに三沢社長にガシャポンをやりにいかされる」との証言も残されている。

さらに、相当な漫画好きでも知られている。単行本はあまり買わず、雑誌連載で追いかけるのを好み、「少年誌から青年誌まで、ほとんど全てを自分で買っていた」という。もっとも、元付け人の丸藤正道によれば「三沢社長の付け人として最初に覚えることは、雑誌の発売日を覚えること」だという。

好きな作品として『1・2の三四郎』を挙げ、「プロレスの練習風景を、ここまでリアルに描いた作品は他にないね」と高く評価していた。

ゲームに関しては、メディアワークス刊「電撃スパロボ」にてスーパーロボット大戦シリーズのファンであることを語っていた。さらに、錦糸町や晴海のゲームセンターで、クイズマジックアカデミーをプレイしている姿をたびたび目撃されていた。

もっとも、本人は「オタク」であることを頑なに否定していた。


葬儀の際には三沢が好きだったヒーローものの曲が多く流された。


その他、学園もののテレビドラマや、映画ではジャッキー・チェントム・ハンクス主演の作品を好んだ。


エロ社長

三沢光晴を語る上で無視できないのは、やはりバラエティ番組などでの下ネタトークである。その下ネタ好きぶりから「エロ社長」の異名をとり、プロレス雑誌の読者投稿欄では三沢の下ネタに関する投稿が定番になっていたほどである。

師匠であるジャイアント馬場から「プロレスラーは余計なことを喋らずプロレスをやれ」と言い聞かされていたため、全日時代はTV出演も少なく、カメラの前では寡黙な雰囲気すら漂わせていたが、馬場が死に社長に就任すると徐々に下ネタトークを自重しなくなっていく。例えば

  1. 「(小橋と組んで負けた試合の感想を問われ)小橋には先にイッちゃってごめんね、という気持ちです」
  2. 「俺おっぱい星人じゃないから」
  3. ぴこぴこぴーん男性のシンボル元気になった時の三沢独特の擬音表現)」
  4. 「(他団体の)プロレスのビデオ見るくらいならアダルトビデオ見たほうがいいよ」
  5. 「志賀(賢太郎)、お前は(男性のシンボルが)デカい!

等々。大学学園祭トークショーを行うことも多かったが、その際も「ちんぐり返しは恥ずかしくて無理」「おっぱいは手のひらサイズがベスト」等の発言を連発していた。

「エロ社長」のニックネームを定着させたのは「踊る!さんま御殿」出演時のこと。同番組は下ネタ御法度であったはずが結局大ウケし、 「今週の踊るヒット賞」を獲得、飯島愛から「爽やかな下ネタ」と評された。

本人は下ネタについて「みんな共通の話題で話しやすい雰囲気が作れるから積極的に振っていく」といった趣旨の発言をしており、実際三沢の下ネタは受けが良く、それを楽しみにするファンも多かった。一方で「(寡黙で真面目な)イメージが崩れる」等の批判が上がっていたのも事実であり、ノアの仲田龍渉外部長からは「バラエティ番組出演禁止令」が出されてしまっていた。


関連動画

入場曲でタイトルは「スパルタンX」。屈指の神曲候補としてプロレスファンから良く挙げられる。


関連タグ

格闘界の「ヲタ?」

前田日明 獣神サンダーライガー 佐竹雅昭

マット界の「エロ社長」

ザ・グレート・サスケみちのくプロレス) 石川雄規格闘探偵団バトラーツ


武藤敬司もう一人の「天才」。奇しくも1962年生まれの同級生で、社長レスラー繫がり。同時期に所属団体ライバル団体でエースとなった。その後、相まみえるも、タッグを組んだこともある。


Wikipedia

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