曖昧さ回避
- 2000年代のこと。Year 2000の短縮形。また、当時のファッション、デザイン、文化を指す。本項で説明する。
- 2000年問題
- MTT・タービン・スーパーバイク - ガスタービンエンジンを動力とするバイク。れっきとした市販車である。
- 北関東発祥の家電量販店、ヤマダ電機・コジマ・ケーズデンキの3社をまとめた呼び方(Yamada・Kojima・****'s)。YKKとも。
概要
Y2KとはYear 2000の短縮形で2000年のこと。また、2000年代当時のファッション、デザイン、文化を指す。2000年と表記されているもの、1990年代後半から2000年代前半あたりまでを含めることが多い。2020年ごろに注目され始め、流行しつつある。
Y2Kファッション
ポップで派手なのが特徴で、短めの丈のトップス、厚底ブーツ、デニムパンツ、ケミカルな色やギラギラしたアイテムなどがある。
電化製品におけるY2K
当時の電化製品やゲーム機においては、金属的で曲線を多用したデザインや、半透明の筐体でスケルトンを採用したデザインが流行していた。(iMac、NINTENDO64、GBAなど、スケルトン世代)。
初期の液晶テレビが登場してきたが、まだ高価かつサイズも小さく、珍しい存在だった。パソコン用液晶ディスプレイはこれに先行して普及した。
プレイステーション2の登場によりDVDの普及が加速した。
PC-98の撤退により国産独自規格PCが消滅、代わって折りたたみガラケーが登場する。この頃のガラケーは角が丸いデザインのものが多い。
テレビにおけるY2K
オウム事件以降、酒鬼薔薇事件や和歌山毒カレー事件が大きな注目を集めたことからワイドショー化が顕著になる。クイズとトーク、ワイプ画面というような現在のバラエティ番組のスタイル化もこの頃完了した。
バラエティ番組からはエンタの神様や爆笑レッドカーペットなどのネタ番組のブームが巻き起こり、芸人たちの間でもこれらの番組への出演が一種のステータスとなっていった。
また、クイズ!ヘキサゴンなどのクイズ番組や笑う犬・はねるのトびらなどのゲーム性のあるコーナーを設けた番組の全盛期であるほか、葉っぱ隊や羞恥心といったバラエティ番組発のアーティストのブレイクも目立った。
特撮では平成ウルトラマンに続きニチアサが人気を集め、イケメンヒーローブームと呼ばれた。
一方アニメは受難の時代。全日帯から深夜アニメへ、アナログ作画からデジタル作画への移行期で、全日帯放送枠の減少が著しくなっていき、今のアニメはジブリしか知らないという人が珍しくなかった。全日帯放送枠では少子化で視聴率はもう取れないので主に玩具の宣伝を兼ねるホビーアニメが多かった。深夜アニメ側は当時の深夜アニメのマイナーさゆえ、少し知名度に劣るところがある。
さらに長期作品ではドラえもんのように声優の入れ替えを行う作品や、アニポケのようにタイトルを変更する作品など世代交代の動きがみられるようになった。
漫画におけるY2K
この前後から出版不況と呼ばれる時代に突入し始め、雑誌業界全体で部数の減少が見始められる。
ちょうど2000年代に突入したあたりでマガジン黄金期がピーク→終焉へと向かい、2002年9月には週刊少年ジャンプが黄金期終焉以降漫画雑誌界2位に甘んじていた部数ランキングで1位に返り咲く。
ONEPIECEはこの頃には看板作品としてすっかり定着し、一時は低迷期に陥るものの、2009年公開の映画STRONGWORLDのヒットとそれによる単行本の部数上昇で息を吹き返し、2010年代にかけて世界的ヒット作の地位をほしいままにしていく。
週刊少年マガジンは黄金期終了後は週刊少年誌界部数2位に陥落するものの、魔法先生ネギま!やスクールランブルのヒットによる萌え系・ラブコメ路線やツバサ-RESERVoirCHRoNiCLE-やFAIRYTAILといった作品のヒットによるファンタジー路線に舵を取るなど大きく方向転換し、他にもギャグマンガのさよなら絶望先生や古くから得意としていたスポーツものではダイヤのAなど様々なジャンルに強くなっていった。
週刊少年サンデーでは1994年から始まった名探偵コナンがすでにこの頃国民的作品と言われるまでに成長していたほか、金色のガッシュ!!など低年齢層を意識した作品が多数ヒットする。
一方週刊少年チャンピオンは上記3雑誌の後釜を押す状況に変わりはなかったものの、2000年代半ば~後半にかけてみつどもえ・弱虫ペダル・侵略!イカ娘などといったヒット作を増産し、アニメ化等のメディアミックスにも積極的になりはじめ、2010年代からの同誌の単行本の部数上昇につながった。
少女漫画誌ではちゃおがミルモでポン!のアニメ化によるヒットで部数を大きく伸ばし2002年には本誌部数を100万部に伸ばして少女漫画界のトップとなり、以降もきらりん☆レボリューションなどのヒットにより1位の座を長期にわたって維持していくことになる。
コロコロコミックは引き続き得意のタイアップ路線でヒット作を連発していき、複数回に及ぶブームを巻き起こしたベイブレードはこの時期に初代・メタルファイトとすでに2度のブームを起こし、長期展開となるデュエル・マスターズもこの頃に登場。
一方オリジナル作品では絶体絶命でんぢゃらすじーさん・ケシカスくんという後の2大看板ギャグ漫画が開始したほか、それ以外にもコロッケ!・ペンギンの問題・ドラベースなどオリジナルのヒット作も増えていった。
各雑誌がヒット作を連発する一方で上記の出版不況のあおりで休刊する雑誌も目立っていき、コミックボンボンや、厳密には漫画雑誌ではないものの漫画を多数掲載していた学年誌の小学五・六年生もこの時期にその歴史を終えた。
インターネットにおけるY2K
1999年に2ちゃんねるが開設され、2000年に西鉄バスジャック事件が発生。個人サイトと2ちゃんねるという体制が2000年代中盤のブログの登場まで続く。テレホマンを待ちわびブルースクリーンに怯えていた時期で、パソコンでインターネットをしていたのはオタク層を中心とするごく一部に限られていた。
flashを使った動画が徐々に登場するが、当時は1メガバイトでも十分大きいファイルサイズの時代であり、視聴には苦労を伴った。