※存在そのものが漫画『鋼の錬金術師』のネタバレであるため、未読の場合は閲覧注意!!
概要
CV:家弓家正/大塚明夫(ゲーム『鋼の錬金術師 MOBILE』)
演:内野聖陽→山田涼介(実写映画版)〈ホーエンハイム、エドと1人2役〉
「自由と権利が欲しくないか?人間としての権利を手に入れぬまま、奴隷で一生を終える気か?それでは息苦しいフラスコの中にいるのと同じだ」
「私は人間になりたいのではない。完全な存在になりたいのだ」
漫画『鋼の錬金術師』、およびその2009年版におけるラスボスにして、アメストリスを裏から支配する黒幕(2003年版では、まだ彼が原作に登場していなかったため、ダンテというアニメオリジナルキャラクターが同ポジションを担当した)。
元は古代国家クセルクセスにて、ヴァン・ホーエンハイム(当時の彼に名は無く“奴隷23号”と呼ばれていた)の血液を媒介にして造られた人造人間。錬金術によって偶然生み出されたホムンクルスと呼ばれる存在。
生まれながらに博識で、名も学もない奴隷であったホーエンハイムに名前と知識を与えた。
ホーエンハイムは血の上では親であり、教育の上では子のような奇妙な間柄。後に袂を分かつまではお互いに割と親愛と愛着の気持ちを持っていた。
最初にエドとアルに対面した際にはホーエンハイムに息子が出来ていた事が嬉しかったらしく、珍しくにこやかな表情を見せ、エドの骨折を治療し、アルの体を修理している(一応人柱でもある点を踏まえたとしても純粋に歓迎していた)。
当時の国王が老いによる焦りから不老不死を求めて彼に知恵を借りようとしたことに付け込み、肉体の獲得による自由とさらなる高みを目指そうという野心から、国王を騙して国土錬成陣を設置させ、自分とホーエンハイム以外のすべてのクセルクセス人を賢者の石に変換し自分とホーエンハイムへ半々ずつに取り込ませ、国を一夜にして滅亡させた。
ホーエンハイムと決別した後に西へと流れつき、アメストリスの建国に深く関与。自らの感情を切り離すようにして七人の子供を生み出し、彼らを従えて暗躍していく。
子供たちには生んだ順に、プライド・ラスト・グリード・エンヴィー・スロウス・グラトニー・ラースと七つの大罪の名を与えた。
ほとんどの人間に対して何の感情も抱かず冷酷に徹しているが、その振る舞いには妙な愛嬌が見受けられることもある。
おまけ四コマでは総じてとぼけており、ヘタレやツンデレな一面を見せる事も。
形態一覧
第1形態
生まれた当初の姿。人造人間とは言っても人間とはかけ離れた姿をしていた。
その形状は、球状の黒い物体のようなもので、フラスコの中でしか生きられなかったためフラスコの中の小人とも呼ばれた。
この時点ではまだ感情を切り離していない為かなり表情豊かで、ホーエンハイムに対して皮肉を言ったり談笑したりと愛嬌のある言動を見せていた。
バックベアード様とは他人の空似。北海道名産のマリモとはきっと偶然似ただけ。
ちなみに、この形態時の声のピッチを低くしていくと家弓氏本来の声になる。
第2形態
クセルクセス王国の国民全員を賢者の石に錬成した際に作成した革袋(容れ物)を纏い、フラスコの外へ出られるようになった姿。革袋の外見は壮年期のヴァン・ホーエンハイムに似ており、作中では同一人物だと見せかけるミスリードも見られた。作中では最も登場期間が長い。
ホーエンハイム以上に歳を重ねた姿になったのは、容れ物と本来の自分自身の性質が違うために起きた拒絶反応のようなものらしい。
感情をそれぞれ子として切り離したため、基本的に上記のエドたちとの初対面の時以外はほぼ一貫して無口・無表情・無感動となっている。
第3形態
第2形態の中身であり、コナンの犯人に目玉がいっぱい付いたような姿。
ホーエンハイムを体内に吸収してその動きを封殺しているため、メタボリック体型で腹部がふくらんでいるのも特徴。
第2形態の容れ物が破壊されても生きられるよう、その内側に数百年かけて作成した新たな容れ物であり、同時にこれが「賢者の石の集合体」としての本来の姿でもある。
一応この姿の時点では第2形態と同じく既に感情は切り離されているはずだが、何故かこの時は饒舌で傲慢かつ相手を見下して頻繁に笑みを浮かべるなど、第1形態の頃に近い性格になっている。
第3.5形態
『力』を取り込み、第4形態になる前の状態。目玉は頭部の一つだけになっている。また、その時の大きさは、アメストリスの国土並みに巨大で、まさに『大巨人』であった。
第4形態
『世界(星)の真理の扉』の力を吸収して得た、完全体としての姿。
お父様が出会った青年時代のホーエンハイムの姿に似せており、息子エドワード・エルリックの現在の姿とも酷似している(※本人は絶対認めないだろうがホーエンハイムにそっくり=エドにもそっくり。そのため、援護に当たったブリッグズ兵はエドを誤射しないように周囲に注意喚起していた)。目の色は赤くなっている。
なお細部の状況や与えられる印象は違えど、「物語の最後にホーエンハイムの若い頃の姿をした敵と戦い、その敵にエドが串刺しにされた事から、エドを死なせない為にアルが人体錬成を行う」というのは奇しくも2003年版と終盤の展開と似通っており、また原作者は2003年版がアニメ化する際に展開被りを避ける為に終盤の展開を全てアニメスタッフに開示していたため、これを聞いたスタッフが逆にその展開を使ってしまった可能性が高い。
恰好はサンダル状の履物に腰巻だけと露出度の高いもの。なお、どれだけ激しい戦闘を繰り広げても腰巻は鉄壁の守りを誇る。
彼自身曰く「『神』の状態」。等価交換の原則を無視した錬金術を応用し、掌で核融合を起こして擬似太陽を錬成してみせたり、雷や竜巻といった天候を操る、錬成エネルギーを自身の前方一帯を消し飛ばす純粋な破壊エネルギーとしてビーム化したり、あらゆる攻撃を無効化する防壁、強力な破壊光弾や自身を中心とした一帯を吹き飛ばすドーム状の衝撃波を発したりと、人智を遥かに超えた能力を見せた。また、体内の「賢者の石」を補給するため、近くにいる人間たちを複数同時に錬成陣を用いずに「賢者の石」にすることも可能。もはや次元の違う強さを秘めている。
そのほか、かつて賢者の石とした人間たちを人柱達の目の前であえて非常に脆いイレモノを用意して復活させるという芸当も見せた。
その性格もより傲慢で尊大になり、もはや人間を取るに足らないものとしか見なくなった。
末路
ホーエンハイムが国土錬成陣に被せる形で用意していた逆転の錬成陣によって、アメストリスの人々の魂を引き剥がされたため、元々持っていたクセルクセス人の魂のみで「神」の力を制御しなければならなくなる。それでも、「神」の力をもって一時はエド達を圧倒したが、見下していた人間たちの度重なる必死の反抗によって全ての賢者の石を失った結果、生まれた場所である真理の元へと還っていった。
「何故だ!何故私の物にならぬ?神よ、何が気に入らないのだ!?」
真理「お前が己を信じないからだ」
自身の真理の門の前にて真理と対面。他人の力を利用し『神』にしがみついていただけで何ら成長していない事を指摘されると「私は……完全な存在になりたかった!神を完全に理解したかった!この世の全てを知りたかった!」という目的を告げ、それを妨害する邪魔者として真理に「おまえは何者だ!!」と怒りをぶつけるも、いつもの自己紹介を返される。真理は国土錬成陣発動前に自身がエド達へ語った「思い上がらぬよう正しい絶望を与えるのが真理という存在」という持論を持ちだすと、「だからお前の言う通り、お前にも絶望を与えるのだよ」と告げる。その直後、彼は門から伸びる無数の手によって門の中へと引きずり込まれた。
真理「思い上がった者に絶望を。お前が望んだ結末だ」
皮肉にも、フラスコの中の小人は自由とこの世の全てを求めた結果、手に入れた全てを失いこの上なく不自由な場所に囚われるというまさに因果応報、自業自得とも言える末路を迎えた。
奇しくもこの一連の流れは自ら今まで培ってきた力や知識を捨て、全てを手に入れることができたエドの最後の人体錬成とあるゆる点で対になっている。
ちなみに、真理の扉には個々人それぞれを象徴する図柄が刻まれているはずなのだが、彼の真理の扉は何も描かれておらず無地である(これは彼が『神』と呼んだ『世界(星)の真理の扉』も同じ)。
これは真理の言う通り、彼の本質が虚無(姿は借り物、知識は真理の扉の中身の引用、持っているものは他人から奪ったもので、彼自身は何一つ生み出せてない)であることの暗喩だと考えられる。
原作では比較的あっさりと門の中へ戻された一方、アニメ版の『FA』では真理の元に引き戻される前に「何故だ!私は知りたかった、この世の全てを!」「何者にも縛られず、自由に、広い世界に!」と自分の願望を吐露し、真理と対面した際に「欲して何が悪い、望んで何が悪い!願い求めて何が悪い!!」と逆ギレし、「何だ…?何だお前は…!?何だって言うんだ!何様のつもりだお前は!?」と憤慨。そして門の中の内部から飛び出した黒い手に引きずり込まれる際にも「いやだ!いやだ!いやだああああああ!!!!!」と必死に抵抗しながら涙を流し、絶叫しながらじわじわと扉に飲み込まれるなど、家弓氏の名演もあって彼の心理描写が情緒豊かに描かれている。
最期は自分と同じ形をした真理へ「私はどうすればよかったのだ!!!」と問い、門に閉じ込められるも閉ざされた門へ真理が返したのは「お前はその答えをみていただろうに」という、呆れとも哀れみとも取れる一言だけだった。
この感情の吐露により、ホーエンハイムに与える印象も原作とは異なっており「お父様」の消滅後、ホーエンハイムから曲がりなりにも自分の血から生まれた存在として自身を重ねられ、かつて共に過ごしていた日々を回想し僅かながら同情され悔やまれている。
この事から、恐らくアニメ版における「お父様はどうすればよかったのか」の答えは「ホーエンハイムと同じく『人』として生きる事」であったと思われる。
実は劇中序盤の「ホーエンハイムの『家族』または『友(=仲間)』として皮肉を交えながら日常を過ごす」といった行為がまさに「それ」に該当する。
少なくともフラスコにいた頃は「贅沢は言わないが、フラスコから出られる身になれば幸せかな?」と語っていたので、身体を手に入れた時点で彼の幸せは既に手の中にあった筈である(劇中の対応も手段は外法ではあるが、計画を実行したのはクセルクセス王で、その知識を与えたお父様は自身の命を盾に取られていたため全てが悪いわけではない)。
そもそも彼の知識とホーエンハイムの才能を合わせれば国王の件も誤魔化すなり、国外へ逃げるなりいくらでも融通が効いたはずである。また自由な体についても何らかの達成方法か妥協点を見つけられた可能性が高く、彼は選ぶ道を尽く間違えてしまったと言わざるを得ない。
最後に人間たちへ語った「思い上がった人間に絶望を与えるのが真理」という理屈を真理=自分に突きつけられた事から、「お父様は自身を人間扱いしてほしかったのではないか」という見方もある。
これは原作者とアニメ監督の「お父様に対する解釈違い」とのことで、決して分かり合えない絶対悪としてバッサリ切り捨てられ、今後も誰にも顧みられることもない結果を描写した原作※と、最後の最後に人間臭さと小物臭さをこれでもかと見せて退場する顛末を見せた『FA』はなんとも対照的である。
※原作では最後に真理が「盗んだ高級品を身につけて自分が偉くなったつもりか?小賢しい盗人め。お前のような奴は分相応にフラスコの中で我慢しておればよかったのだ」とかなり辛辣な言葉を残している。
余談
- その正体については作中はっきりとは明言されていないが、アニメ版の『FA』の最期の台詞や、クセルクセス時代から見せている膨大な知識から、「『真理の扉』の中身の一部」というのが有力。
- ホーエンハイムからは「本当に欲しかったのは『家族』だったんじゃないか?」と問われた際には返答をしなかったが、感情を切り離した後もホーエンハイムに見せた愛着も見せている。さらに切り離した感情から生まれた『子供たち』ことホムンクルスの面々は仲間想いの者、魂の繋がりを求めていた者、人間の家族に対して愛情を抱いていた者、本心では人間に憧れていた者とほぼ全員が「仲間」あるいは「家族」に対する憧れや情の深さを見せている(例外であるスロウスはそもそもそういったことに頓着することすら面倒くさがって放棄しているため、性質上彼自身の人間性が見えてこない)。特にグリードに対して「私が欲しいものはお前も欲しいものなあ…」と声をかけている(ということは子供たちの秘めた想いとは…)。
- ニコニコ動画においては中の人繋がりで「親父ぃ殿」、「ポッドの中の親父ィ」などと呼ばれる(『ドラゴンボール』シリーズ登場キャラであるパラガスが元ネタ)。原作漫画と映画オリジナルキャラという差異はあるものの両者とも物語の黒幕である事、自分の本当の幸せを掴める才能や人脈もありながらそれで満足せず身の丈の合わない欲望に走り、他人の力を奪って利用し暗躍を続けた結果因果応報の末路を迎えるという奇妙な一致点があったりする。
- ゲーム『モンスターストライク』のコラボ第2弾で登場した際は超究極の第2弾(コラボの中では最難関)として登場…したのはいいのだが、ミッションの難易度がとてつもなく高く、ストライカーたちに強烈な印象を植え付けた。最適性はエドで、モンスト特有の原作再現カットがこれでもかと盛り込まれていた。ミッションをクリアした際の演出は、エドがウィンリィにプロポーズする際のものとなっていた。
- 演者である家弓家正氏はナレーションも担当していた。
関連タグ
鋼の錬金術師 鋼の錬金術師FA ハガレン ホムンクルス(鋼の錬金術師)
人外 ホムンクルス 全ての元凶 毒親 エゴイスト ド外道 絶対悪 純粋悪 小物界の大物※
ヴァン・ホーエンハイム エドワード・エルリック アルフォンス・エルリック
※アニメFA終盤より