「サメ映画に不可能は無いんだよ。ジョーズを超えること以外はね」
概要
狭義的には「鮫を題材とした映画」であるが、広義的には「サメが登場する映画」であり、更に広義的で身も蓋もない言い方をすれば「タイトルにシャークやジョーズが使われパッケージにサメがいて本編で1秒でもサメが出ていればそれはサメ映画」である。
サメ映画と言えばほとんどの人がまず思い浮かべるのが、1975年の「JAWS」だろう。ジュラシックパークや宇宙戦争などで有名なスティーブン・スピルバーグが制作したこの映画は世界中で大ヒット。ホホジロザメを「人食い鮫」というモンスターに変身させ、「動物パニックムービー」という新たなジャンルを打ち立てた。
- その影響の大きさは、本来「顎」を意味するjawsという言葉が「サメ(≒人食い鮫)」として世界的に通じるようになるほどだった。
- おかげで世界中の罪もないサメが危険生物と誤解され、絶滅を危惧されるまでに殺されるという憂き目にあった。詳細は大項目3「現実のサメ」を参照。
それまでは恐怖映画といえば、吸血鬼やフランケンシュタイン、ゾンビなどの想像上のモンスターが出演する「オカルトムービー」で、これらはどれだけ怖くても「結局は実在しないしねー」で笑い飛ばせるため、観客は安心して一時のスリルを楽しむことができた。
ところがサメは実在する生物である。そのため裸同然の無力な人間が、水中では圧倒的な力を持つサメに容赦なく食われ、死んでいくという残酷な描写は生々しく、肌身にしみる恐ろしさがあった。
動物によってパニックが引き起こされる映画といえば、1965年作の「鳥」を思い出す人もいるだろう。
ただし「鳥」の恐怖は「身近で無害と思っていたものが、理由もなく急に牙をむく」ところにあった。これはヒチコック監督が得意とする「ホラー(得体の知れないものによる恐怖)」であり、ジャンル分けするなら吸血鬼やゾンビもの同様、非現実的なオカルトに当たる。
一方「ジョーズ」の恐怖は「明らかに肉食で危険な生物であるサメが、人間を餌とみなして襲いかかる」ところにあり、観客は現実的な「テラー(生命の危機による恐怖)」に青ざめ、絶叫した。
さらに、人的被害を防ぐために一刻も早く規制や対策を行いたい主人公(警察署長)側と、観光地としてのイメージダウンを避けるべく問題を隠匿し、何事も無く穏便に済ませたい自治体(市長)側のドロドロで生々しい動向、そして両者がゴタゴタしている間に犠牲者が着実に増えていく状況は、あまりにもリアルだった。なおかつ、「ジョーズ」にはモデルとなった実際の事件があり、サメ自体の洗練されたデザインと生態、捕食に特化したその身体能力という要素も手伝って、実在する恐怖の象徴として確固たる地位を獲得した。
この映画のスーパーヒットにより、以降二匹目のドジョウならぬ二匹目のサメをあてこんだB級・C級の動物パニックムービーが雨後の筍のように生えまくることになる。中には恐怖映画としてそれなりのクオリティを出したものもあったが、多くはモノをゴカイ・タコ・ピラニア・ワニなどに置き換えただけの駄作であった。「ジョーズ」自体も続編が作られるものの1作目の衝撃を乗り越えることはできず、しまいにはラジー賞に輝く始末で、その音楽やシークェンスは次第にネタとして扱われるようになっていく。
その中にあって、1999年に公開された「ディープ・ブルー(Deep Blue Sea)」は、人間並みに狡猾になったサメと、圧倒的不利な状況での脱出を試みる人間の攻防を綿密に描き、サメ映画・動物パニックムービーとして久々の高評価を得た。
「特殊な施設で病気の治療研究のためサメを遺伝子操作し、サメの知能を高めた結果ものの見事に反逆された」という斬新な題材、人物の軽重を問わず一人また一人と食われていく贅沢な描写、地の利を完全に得たサメの暴れっぷりは観客の大喝采を浴びた。「ディープ・ブルー」は名作として語り継がれ、新作として2018年に続編が製作される程のコアな人気を獲得した。
これに対し、2003年の「オープン・ウォーター」は、見渡せど陸地はなく誰一人いない海のど真ん中で、観光客夫婦がたった二人置き去りにされ、じわじわと迫りくる死の恐怖に晒されるという、静かでリアルな恐ろしさが話題となった。
この映画は、グレートバリアリーフのダイビングツアー観光船が沖合から港に戻った後、レンタル用のダイビング装備が2つ足りないことが発覚し、そしてツアーを利用したと思われる、ある夫妻の姿がどこにも見当たらなかった……という、世にも恐ろしい実話が基になっている。この物語の中で、死の象徴、絶望の対象として使われたのがサメだった。
- 夫妻はそのまま行方不明として処理された。彼らが味わったであろう苦しみを想像すると背筋が冷たくなる事件である。なお、一部には保険金詐欺疑惑を囁く人もいるが、確かな証拠のある説ではない。
このようにサメ映画と言えば、その基本的なイメージは「人が普段意識もしない被捕食者の立場となり、サメに食われる絶望感を描いた恐怖映画」なのだが……
サメ映画=地雷?
アサイラムと言う罠
サメ映画はなんといっても地雷が多い。
その理由の一つは「サメなら水面から背びれを出しておけば、とりあえず恐怖感を出せる」からである。予算の限られるC級以下の映画製作にはぴったりというわけだ。そしてそんな映画は、シナリオも演出も役者も格安の三流しか使えない。結果、地雷原の出来上がりとなるのである。
さらに、名作映画に似たタイトルを付けて騙す「モックバスター」映画を手がけるアサイラム社が、題材として人食いザメを多用したことも、地雷原の拡大に拍車をかけた。
- また、イメージと違うサメの使われ方をして「映画として見れば良い作品だが、サメ映画として見たら駄作」と評されてしまう作品も多い。先述のオープン・ウォーターも表紙やあらすじにはサメをメインに掲げているが、実際の主題は「逃げ場の無い海のど真ん中に置き去りにされる恐怖」で、JAWSのような「狡猾で残忍なサメとの死闘」を期待した人からは酷評される可能性がある。
何故アサイラム社だとダメなのかというと、とにかくこの会社は「低予算かつ短時間の撮影・制作による製作本数」を重視するのだ。一度使ったフィルムや社内にある資料映像を他の映画で流用することもザラであり、中にはタイトルを変えただけで内容は全部同じという物さえある。
要するにアサイラムは質より「数」で勝負の会社であり、その「数」の中には、まともな制作会社の何十分の一という予算で作られた、まさにチープな大量のサメ映画が存在している。一方、サメ映画の市場自体がニッチなためにまっとうな会社による作品数は少なく、結果的にサメ映画のコーナーにはアサイラム製がズラリと並ぶ……というワケである。
そのため、JAWSやサメ映画の中でも名作と名高い「ディープ・ブルー」のクオリティを期待してサメが表紙の映画を手に取ると
「中身の無い会話」
「破綻したシナリオ」
「盛り上がりに欠ける演出」
「基本的に仲間割れと喧嘩ばかり」
「チープなCG」
「無駄に凝ったのはゴア描写だけ」
「そしてサメの出演時間は上映時間90分中1分もない」
という地獄を味わうことになり、鑑賞後は無駄に過ごした時間の大切さに思いをはせ、思わず哲学に目覚めかける羽目になる。
しかし「元々サメ映画なんてそんなもん」と割り切ってしまえば、別の楽しみ方もできるというものである。飲み物とお菓子を用意し、趣味の合う家族や友人と演出やシナリオの粗を探してツッコミを入れつつ観れば、これはこれで案外面白いと感じることだろう。もしかしたら大爆笑の連続でストレス解消し、なんだかさわやかな気持ちで眠りにつけるかもしれない。
- C級以下の作品の楽しみ方として、ややスレた映画マニアにはおなじみの方法である。
また、アサイラム側もたまに本気を出す。内容はともかく強烈なコンセプトだけで多大な人気を獲得した「シャークトパス」や、一作目で味を占めた後少しずつ本気をだしてクオリティが上がっていった「メガシャークVS」シリーズ、内容もコンセプトも完璧でTwitterのサメ映画ファンダムに大受けし、シリーズ化して6作も作られ、映画のデップーにすら言及された伝説の「シャークネード」を産み出す等、中々侮れない部分もある。一概に「アサイラムのサメ映画=クソ映画」という図式に納めることはできないのだ。
事実、映画専門チャンネルである「ムービープラス」ではアサイラム製のサメ映画を取り扱った特集「アサイラム・アワー」を組んだ事もある。その人気はニッチではあるが手堅く大きな市場であり、それだからこそアサイラムが大量にサメ映画を作る理由でもある。
とはいえ、「サメが出てくる→驚異であるサメに立ち向かう or 為す術も無く命を奪われる」という構図は、JAWSとオープン・ウォーターという完成形が世に出てしまった時点で、後は何を作っても似通った内容になってしまう。似通ったとしてもコンセプトや演出で負けずとも劣らない傑作を生み出す事もできるが、アサイラムには、この部分を意識して上手くサメ映画を撮る技術も金も、ましてや時間なんて欠片も無いわけである。
ならばどうするか
サメを幽霊にしたり、サメを悪魔にしたり、サメに核を搭載したり、サメをメカにしたり、サメにタコを組み合わせたり、なんだかんだメガロドンをとりあえず出して一呑みしてもらったり、サメを伴う低気圧を発生させたりと、サメ自体にとんでもなく濃い味付けをするのである。
そのせいで最近はもう「サメ映画と銘打っておきながら、出てくるのはもはやサメをベースにしただけのただのクリーチャー」というものが少なくないのも事実だったりする。
- だから身も蓋もない広義的なサメ映画の定義がアレなのである。
だが、その味付けの中で奇跡的に調合に成功したのが上述の「メガ・シャークVS」シリーズ、「シャークトパス」シリーズ、そして「シャークネード」なのである。
かくしてアサイラムがあの手この手でサメを魔改造して新作を出し、まっとうな会社はサメ映画なんかに見向きもせず、コミックヒーローの実写化に力をいれていく。
おかげで”サメ映画”は「サメという驚異に恐怖する」のでは無く「サメが驚異的な魔改造を施され(たまに)暴れ回る姿に戦慄する」映画というジャンルに一大変遷を遂げたのである。ただしアサイラムの(モックバスターとして似た題名のタイトルのDVD/BDを本家の円盤発売前に出して騙すという)売り方的に、映画と銘打ってはいるがこれらの作品が実際に銀幕を飾ることはまずなかった。
最終的に「サメが全く出ないサメ映画」や「サメが海に出ることを売りにする映画」なども出てくるのだが、それはまた別のお話。
このように、パニック映画からイロモノ映画へと変遷を遂げ、地雷の多いサメ映画であるが、コアな映画群の例に漏れず熱狂的なファンもいる。
バーチャル映画レビュアー浅井ラムとして活動している知的風ハット氏もその1人であり、彼が書いたサメ映画記事や浅井ラム名義でのサメ映画についてのレビュー動画は、この映画ジャンルについて理解する上では一見の価値あり。
現実のサメ
映画では戦闘狂ともいえるくらいに積極的に人間に襲い掛かって捕食するサメだが、現実世界のサメはそこまで凶暴ではない。
- ぶっちゃけるとサメよりもはるかに小さい蚊の方が積極的に人間を刺し、命を奪っている。
地球上で確認されている500種ほどのサメのうち、人を襲うとされているのは30種程度。さらに人がサメに襲われる確率は1億人に1人の割合とされている。映画とは違ってサメが泳げるほどの深さの海に行かなければ襲われることはないのだ。
また人を襲う理由も、多くは「サメが餌にするアシカやアザラシと間違えている」という説が有力である。サーフボード等の上で腹ばいになってパドリングする人間の動きや、ウェットスーツを着て足ひれを動かす姿を、これらの鰭脚類と誤認するのが原因とされ、実際に被害者の大半はサーファーであるという。
- スクーバダイビングでは、サメに襲われたという事例はほぼ見られない。逆に「サメに遭遇できたら運がいい」とされ、様々な種類のサメが見られる
- 事故が発生するには、その呼び水となる何かが必ず存在する。海で遊ぶときは「遊泳禁止区域では泳がない」「海中では血を流さない」「海中では魚や貝を捕まえない」などの基本的なルールを守り、地元の人から何らかの注意や警告を受けた場合は素直に従おう。
しかしジョーズが世界的に大ヒットした影響で、「サメは凶暴な生き物だ」と多くの人たちから勘違いされることになってしまった。これにより、ジョーズのモデルとなったホホジロザメや、元々おとなしい性格のシロワニが大量に乱獲されたという悲しい過去がある。
その結果、この二種は現在ではワシントン条約のレッドリストにおいて「危急」(絶滅危惧II類)指定を受け、保護対象となっている。
代表作
- JAWS
- ディープ・ブルー
- オープン・ウォーター(2以外はシリーズではないが同じ邦題で別の会社が別の事件を題材に制作してることが多い)
- 海底47m
- ロスト・バケーション
- シャーク・テイル(アニメ映画。サメが驚異であり、盟友でもあるという特異点)
- シャーク・ナイト(悪人がサメの生態を利用し、殺人を行うという風変わりな内容の映画)
- MEGザ・モンスター 非常に珍しいハリウッド製のサメ映画
アサイラム製で有名なもの
- ジュラシック・ジョーズ(シャーク)
- メガ・シャークVSメガ・オクトパス(シリーズ、続編は相手がワニ・メカ・巨人と続く)
- ゴースト・シャーク
- アイス・シャーク
- シャーク・ウィーク
- シン・ジョーズ
- シャーク・アタック!!(スッパシャ!!)
- ダブルヘッド・ジョーズ(続編が作られる度に頭が増える)
- シャークトパス(シリーズ)
- ハウス・シャーク
- シャークネード(第6作までシリーズが作られる名作)
その他
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