スコップの稲村
いなむら
裏社会では武闘派として知られており、異名の通りスコップを用いる。それ以外にも潤沢な組織の資金から得た拳銃やカランビットナイフ(実際の動画内では「アーミーナイフ」と間違えていた)も扱っており、若い衆とはいえ武闘派である京極組の構成員すらも圧倒する力を持つ。
しかし作中では久我虎徹にあっさりと粛清され死亡。猛者との戦闘を潜り抜ける前の久我にそのスピードを「あくびがでるほど遅い」と一蹴され瞬殺されてしまった。
後に登場した城ヶ崎賢志をはじめとした羅威刃の構成員は京極組の武闘派たちを苦戦、あるいは敗死に追い込む実力者揃いであり、1話限りのチンピラやモブの構成員の中にすら久我に「速い」と言わしめたり倒す寸前まで圧倒する者がいる事を考えると稲村の戦闘力は実に悲惨といえる。
一方で頭脳面は悪くない様で元ヤクザを利用したシノギを行ったり、下っ端を密輸で海外に派遣したり、頭角を現す前の城ヶ崎に目をつけ直々に勧誘を行う(この際幹部待遇からのスタートかつ「指図されたくない」「勝手にやらせてもらう」とふてぶてしい態度をとる彼にも笑顔で接していた)等、自身や組織の利益となる行為を多数行っている。
また、城ヶ崎を勧誘する前から500人規模の巨大組織(戒炎は300人なので、それより多い)を率いていたり、組織内に城ヶ崎より彼を支持する派閥があったりと統率者としての指導力や人望はかなり高かったと思われる。
その為か城ヶ崎もすぐには乗っ取りを実行せず、暗殺計画も念入りに練っていた。
総勢500人もの構成員を持つ羅威刃を創設した稲村は、ある日暗い路地裏で後にナンバー2となる城ヶ崎に遭遇する。彼の気迫と金儲けの才を察知した彼は迷わず城ヶ崎をスカウトした。
「お前が城ヶ崎だな。ウチに来る気はないか?」
城ヶ崎「一体誰だ?アンタ・・・」
「舎弟と一緒にウチに来れば、幹部からのスタートだ。銃も手に入る」
城ヶ崎「俺は指図されるのは好きじゃない。自由にやらせてもらいますよ」
「ああ・・・いいぜ」
毎月1000万の上納金を支払うことに迷わず納得した城ヶ崎は、自由に活動する条件で羅威刃に入団する。しかし城ヶ崎は稲村の知らないところで自分の派閥を勝手に作り始めており、彼はそれに気づくことができなかった(前述の要求を即決で飲んだのも、金持ちの城ヶ崎にとっては1000万円など端金に過ぎなかったからだろう)。明らかに多量の上納金に怪しんだこともあったが、それでも稲村は城ヶ崎を完全に信用し切っていたため彼を疑うことはなかった。
そして後日、密かにナンバー2にまで上り詰めていた城ヶ崎は羅威刃全体にとって大きな敵対組織であった半グレ集団「坐魔巣」に一人で襲撃をかけ(稲村が命令したのか、城ヶ崎が勝手にやったのかは不明)、単独で壊滅に追い込んだ。しかし・・・
「これ・・・お前が一人でやったのか?」
城ヶ崎「ええ、もう少し噛み応えがあると思っていたんですがね」
報告を受けた稲村は城ヶ崎の異様な戦闘力に戦慄しながらも敵を倒したことについて城ヶ崎を褒める描写もなく、証拠の写真だけを回収するだけであった(手柄を自分のものにしたかったためと思われる)。
卓越した城ヶ崎の金稼ぎのスキルや戦闘力を見せつけられながらも、稲村は依然としてトップの座にしがみついていた。これにより城ヶ崎や彼に賛同していた構成員の多くは稲村のトップとしての器のなさやレベルの低さに失望し、稲村を失脚させようと計画を練り始める。そしてこの段階で、稲村の味方は構成員全体の僅か3割しか残っていなかった・・・
羅威刃 巨大組織の女王蜂vs京極組 覇王となる男 最初の戦い
そしてある日、根城で元京極組構成員の田代と二人きりのミーティングをしていると、京極組の久我と国生英明からのカチコミを受ける。田代が国生と対峙する傍らで自身は久我にスコップでぶつかった後に迷いなくカランビットナイフを手にとる。そのまま腰だめにナイフを抱えて突っ込むさまは久我から見ても「相当人を刺している」と見えるほどに手慣れた様子だった。
しかし稲村と久我の力の差は歴然だった。動きを見切った久我は稲村を躓かせバランスを崩したところを喉を切り裂いた。ヒカリ物の勝負は一撃必殺であり稲村は血しぶきをあげながらあっさりと地に這いつくばった。トップを失った羅威刃はそのまま壊滅の一途をたどると思われたが、この時点で城ヶ崎による事実上の代替わりは終わっていたため組織にとって実害はほとんど出ていなかった。
そしてこの件が京羅戦争の始まりとなり、2年半以上にもわたる京極組と羅威刃の戦争のきっかけとなった。
「ケジメだぁ? カビが生えんだよ化石風情が‼」
「ほざいてんじゃねぇぞ‼ 骨董品のゴミがッ‼」
この動画から数ヶ月後にも、彼の死の場面が回想扱いで流れている。
麻生VS城ヶ崎で、当時羅威刃No.2だった城ヶ崎に恐怖した麻生がこれでNo.2なら大将はどれだけ強いのかと、顔も名前も知らない稲村を城ヶ崎以上の猛者だと誤認した。
初代リーダー・創設者として
久我のかませ犬にされたり、組織を優秀な部下に乗っ取られたり三下の烙印を押されるなど散々な目に合っている彼だが、城ヶ崎亡き後東雲は「羅威刃の三代目」を自称しており少なくとも「羅威刃の初代」という存在そのものを蔑ろにされるようなことにはなっていない。
また、「羅威刃」の名は初代トップの彼が付けたものであると思われ、今の組織の基盤を作ったのも彼である。これらの稲村の遺したものは今もなお後継者達に受け継がれていると言えるだろう。
2024年11月27日の動画では東雲が「死者に思いを馳せれば彼らが与えてくれたものを再確認できる」と口には出さなかったがモノローグで語り、京羅戦争で散った仲間全員に言及するシーンがあるが、彼は名前を呼んでもらえなかった。東雲は城ヶ崎派閥の出身で彼のことも疎ましく思っていたので当然と言えば当然であるが、直後に「羅威刃は間違いなく2代目のあの人が育て上げた組織だ」「ルーツを大切にしない奴に未来はない」とも言っており、少なくとも組織を作り基礎を築いたこと自体は認められているし、稲村の存在を消しているわけでもない。
城ヶ崎賢志 - 羅威刃の2代目トップ。彼の就任によって稲村が創設した「羅威刃」は関東圏最大規模の半グレ組織にまで成長した。
東雲竜政 - 羅威刃の3代目トップ。京羅戦争の末に崩壊しかけていた羅威刃の再建を試み、2年以上にわたる復興の結果として羅威刃を安定した組織として復活させることに成功した。
流川隆雄、麻生成凪 - 前者は拷問ソムリエ伊集院茂夫の助手、後者は東北系半グレ組織「戒炎」のNo.2。両者ともカランビットを使用する場面を何度も見せており、こちらは稲村とは違い正しい使い方を知っている。
守若冬史郎 - 京極組随一の狂人。蟷螂拳とスコップを組み合わせた戦法で戒炎幹部の遊馬大介を撃破しており、稲村が見せることのなかったスコップの武器としての恐ろしさを伝説の男と視聴者たちの目に焼き付けた。