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本項では、足回りが同一の特急仕様車である5000系も解説する。

概要編集

1994年から1995年にかけて導入された、一畑電車(当時は一畑電気鉄道)の電車で、元京王電鉄(当時は京王帝都電鉄)5000系である。

この車両が導入されるより前の一畑電車では、デハ1形やデハニ50形などの戦前製の自社発注車や、西武鉄道から譲受した車両などの吊り掛け駆動車が使用されており、当然いずれも車体どころか足回りも老朽化していた。当時は駅舎などの鉄道施設の老朽化も顕著であり、全体的に一刻も早い改善が望まれていた(鉄道ジャーナルに老朽化した車両や設備を抱える現状の問題を問う記事が掲載されたくらいである)。また、当時は昭和30年代に製造された冷房付のカルダン駆動車大手私鉄で廃車になっており、一畑電車もそれを用いて車両の体質改善を行うこととした。そこで、1994年から京王電鉄5000系南海電気鉄道21000系を譲受して、デハ1形およびデハニ50形と60形以外のすべてを置き換えることとした。このうちの前者が2100系である。

1998年には、大社線方面へ走らせる特急用車両として、同じく京王5000系を譲受した5000系が登場し、お座敷車のデハニ50形と予備車の60形以外のすべての車両をカルダン駆動の冷房車へと置き換えた。


車両概説編集

いずれも車両の改造は京王重機整備が担当した。

当然ながら京王と一畑では軌間が異なるため、営団3000系由来の台車(FS-510形)とその走り装置を流用したことで、両形式ともに75kW主電動機を採用したWN駆動のオールM編成となっている。

2100系編集

1994年から1995年にかけて導入された車両。デハ2100形とデハ2110形で編成を組成する。

これ以前の一畑電車では、大社線のみワンマン運転を行っていたが、これを全線で行うべく本形式もワンマン運転に対応した仕様で登場した。ゆえに第1・2編成と第3・4編成とで、扉の数が異なる(前者が原型の3扉車なのに対し、後者は着席定員増加のため中扉を埋めた2扉車)のが特徴である。

ほとんどの車両が京王時代の新製冷房車で、搭載する冷房装置は小型のものを複数個使用する分散式である。ただし、デハ2113号のみ冷房化改造車で、これは京王時代に対となる先頭車が踏切事故で廃車になったことに由来する。

塗装は黄色と白のツートンをベースに、裾にグレーを入れたうえ、前面貫通扉や乗務員扉を含めた扉を青く塗装した、新しいものを採用した。この塗装は南海21000系を譲受した3000系にも採用され、新たな一畑電車のイメージを作り上げた。

2018年に引退した第2編成を除き、置き換え用の新造車両が入線するまでの措置として車内外がリニューアルされており、2024年現在は第1・第4編成がデハニ50形と同様の手動扉車塗装(なお、自動扉車はクリーム色に青帯であった)を纏っている。第3編成はイベントにも使用できる「IZUMO-BATADEN 楯縫」として改装されて運用されている。この車両のMc1車の運転台直後には前向きのリクライニングシートが設置されているが、これは南海10000系の発生品といわれている。


5000系編集

みこととくにと一畑電車

1998年に導入された車両で、「出雲大社」の愛称がある。デハ5000形とデハ5010形で編成を組成する。

ワンマン化改造が施されたのは2100系と同一であるが、こちらは優等種別に使用するため2扉・クロスシートの内装へと改造された。座席は通路を挟んで2人掛けと1人掛けが並んでおり、このうち2人掛け用座席は小田急電鉄3100形「NSE車」から流用したものである。

車体のデザインはレトロ調のものを何案か作成した中から選ばれており、種車のイメージをそのままに前面を非貫通とし、灯具類を円形のものへと交換、前照灯を1灯としたことで、レトロなイメージを創り出した。前面の貫通扉をなくしたことで、行先表示は助士席側に新設された表示器に掲出される。

種車は京王時代に制御付随車(いわゆるクハ)であったため、中間車ならびに営団3000系の部品を用いて電装化したほか、冷房装置も2100系とは異なるもの(容量が増大した小型冷房3-4基)を使用している。この冷房装置は本来1両あたり4基載せていたが、制御電動車化にあたりMc1車はパンタグラフを搭載する必要があるため、干渉する1基が撤去され3基搭載となった。

第1編成(5009F)は、2014年に内装の木質化を行い、座席がパーテーションで区切られたセミコンパートメントとなった。これと同時に塗装もデハニ50形をイメージした、手動扉車塗装へ変更されている。

なお、本形式は1995年に京王を廃車後、ひとまず京王重機に引き取られたものの、譲受のオファーが皆無でやむを得ず解体を検討していたところ、一畑電車から優等種別用車両を製造したい旨の話が舞い込み、運良く命拾いしたという経緯がある。これも出雲大社の御加護だろうか…?

また、本形式の車番の下2桁は9番・10番と、2編成しかいない割に一見中途半端であるが、これは2100系→3000系→本形式と連番にしたためである。


編成表編集

2100系と5000系を併記する。

Mc1車Mc2車車体装飾など現状
デハ2101(デハ5119)デハ2111(クハ5869)
  1. 京王塗装(2012年-2018年)
  2. 手動扉車塗装(2018年-)
デハ2102(デハ5120)デハ2112(クハ5870)自動扉車塗装(2012年-)2018年廃車
デハ2103(デハ5121)デハ2113(クハ5766)
  1. わさお』電車(2011年)
  2. 日本航空鶴丸ラッピング電車(2011-2012年)
  3. IZUMO-BATADEN 楯縫(2013年-)
デハ2104(クハ5718)デハ2114(クハ5768)
  1. RAILWAYS』応援ラッピング電車(2010年)
  2. 「神話博しまね」ラッピング電車(2012年)
  3. ご縁電車しまねっこ号(2013年-2019年)
  4. 手動扉車塗装(2019年-)
デハ5009(クハ5715)デハ5109(クハ5765)木質化改造(手動扉車塗装)
デハ5010(クハ5717)デハ5110(クハ5767)2025年引退予定

運用編集

2024年現在、いずれも2両編成のワンマン列車として使用される。

かつては5000系が朝に運転される特急「スーパーライナー」に充当されており、2編成をつなげた4両編成で運用された。1編成が検査のときは2100系が代走を行う4両編成で運用されたという。

2100系も改装後の第3・4編成が「スーパーライナー」の運用に入ることがあった。

2018年に車両置き換えが中断したため、新造車両までの繋ぎとして本形式の数本に延命工事(内外装の更新)が行われており、現在に至るまで活躍しているが、2024年度から新造車両が入線するため、2025年から廃車が再開する見込みである。


余談編集

一畑電車としては、営団3000系そのものの譲受を希望し営団へ照会したものの、時すでに遅くほとんどの先頭車が長野電鉄へ抑えられており、購入不可であったという。そこで京王5000系の車体と営団3000系の足回りを組合せたものを導入することとし、結果として冷房車の導入で旅客サービスの向上も達成している(当の長電は非冷房のまま使用開始したため、2000年代に入ってから冷房化する羽目になっている)。


車内には旧型車から流用したと思われる一畑パーク(1979年閉園)の広告が付いた吊革が取り付けられている。


関連タグ編集

一畑電車 京王電鉄 京王重機整備


富士急行1000系…本形式と同様に、京王5000系の車体と営団3000系の足回りを組み合わせた車両。

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