佐渡(列車)
さど
1956年11月19日のダイヤ改正で登場した上野駅~新潟駅間を結ぶ客車急行に命名。
1962年6月に信越本線の長岡駅~新潟駅間、7月に高崎駅~横川駅間が電化されると上り「佐渡」のみ80系電車化される。
翌1963年3月から急行型電車165系での運用を開始。
折しも、下り「弥彦」と上り「佐渡」が165系のデビューを飾った列車だった。
編成内にはサロ165形一等車(現グリーン車)2両とサハシ165形ビュッフェ車1両を組み込み13両という長編成を誇った。
1965年以降は準急「ゆきぐに」と急行「弥彦」「越路」を統合し、5往復となる。
1968年10月の「ヨンサントオ」改正で夜行の「越路」を吸収、昼行も2往復増発され最大8往復となり全盛期を迎える。しかし、これ以降は特急格上げが進行したため削減の一途を辿ることになる。
1969年10月、特急「とき」の臨時1往復が定期化された関連か1往復が廃止され7往復。
1970年10月には1往復が「とき」に格上げされ「とき」共々6往復となる。
1972年10月、1往復が上野駅~長岡駅~直江津駅間に経路変更され「よねやま」を名乗ったため5往復となる。
しかし、上越線内では「とき」などの特急に乗客を奪われる格好で「佐渡」の利用率はその後次第に伸び悩むようになる。
1973年10月、1往復が廃止され「よねやま」共々ビュッフェが営業休止する。
1978年10月、「佐渡」と「よねやま」の編成からサハシ165形ビュッフェ車が外され12両編成になる。
1982年11月15日に上越新幹線が部分開業した際に夜行1往復が廃止。「とき」は全廃されたが「佐渡」3往復と「よねやま」1往復は残る。双方ともグリーン車と座席車が1両ずつ削減され10両編成になる。
1985年3月14日、上越新幹線の上野駅乗り入れに伴い「佐渡」と「よねやま」はついに力尽き全廃される。
1988年4月から国鉄はJRとなる。それから15年の歳月が過ぎ165系の引退がいよいよ近づいていた。そして2003年6月21・22日に上沼垂運転区(当時)に在籍していた165系2編成を新潟色から湘南色に塗り替えて臨時急行「懐かしの急行佐渡」が運転された。
編成は普通座席車のみの6両モノクラス。
- 電車化された際に80系が使用されたのは165系の落成が間に合わなかったためである。しかしその80系も準急用の300番台で統一出来ず先頭車に三枚窓のクハ86形初期形、付随車に至っては戦前形の車両が用いられた。のち準急「ゆきぐに」に東海道本線の急行「なにわ」「東海」などと同じ153系電車が用いられたため接客設備において「遜色急行」ぶりがさらに目立つことになった。
- 1963年3月25日が165系急行「佐渡」のデビュー日…になるはすが事故の影響で翌日デビュー。
- 1972年10月改正から兄弟列車になった「よねやま」だが、それ以前は上野駅~柏崎駅間の気動車急行で長岡駅までは秋田駅発着の急行「鳥海1号」、さらに小出駅までは只見駅発着の臨時急行「奥只見」も併結していた。ところがこの改正で「鳥海1号」が特急「いなほ」に格上げされたことで「よねやま」と「奥只見」も廃止。ただし「よねやま」は「佐渡」の経路振り替えで存続し「佐渡」と運命を共にした。