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栄村忠広

さかえむらただひろ

元プロ野球選手。読売ジャイアンツやオリックス・ブルーウェーブに所属していた。
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概要編集

1961年9月10日鹿児島県生まれ。鹿児島実業、日本専売公社(現在の日本たばこ産業)鹿児島を経て1982年オフに入団テストに合格し、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団する。


当初は内野手であったが当時の巨人は内野の主力選手が多かったことから外野手へ転向。さらに自慢の走力を生かすため右打ちから左打ちへコンバートした。その結果1987年イースタンリーグで盗塁王を獲得し、翌年1軍へ昇格する。


しかし後述の件以来調子を落とし、1990年オフにオリックス・ブルーウェーブへトレードしたが、1年で自由契約となり現役を引退した。


吉村との衝突について編集

1988年7月6日に札幌市・円山球場で開催された中日ドラゴンズで8回の守備より中堅手として出場。そこで中尾孝義が打った打球が中堅と左翼の丁度中間へ飛び、全力で追いかけようとしたところ左翼手の吉村禎章と衝突。栄村は無傷でそのままプレーを続けたが、吉村は左膝靭帯断裂(交通事故レベルの重症で、損傷部位が神経にまで達していた)と言われ、以降長期にわたりリハビリ生活を送ることになった。


これについて「将来の4番候補を潰した」と猛バッシングを受け、さらにアンチ巨人を自負する某漫画家からは漫画で「ダミアン」「疫病神」と散々ネタにされていた(現在なら間違いなく名誉棄損レベル)。現在でもYouTubeでこのシーンや解説動画が流れると「栄村が余計なことをしなければ」などとバッシングコメントがつくことがある。


一方で吉村は守備に難があったとされ、衝突のシーンも「どっちもボールを見切れず相手に気付かなかった結果」「栄村の普段の練習風景や全力で追いかけているのを見ていれば深追いはしなかっただろう」という栄村だけを責めるべきでないという評論家も少なからずいた。


なお、栄村はこの件のショックとバッシングで引退後も「そっとしてほしい」と動向を明らかにしていなかった。しかし吉村から逆に心配されて「気にするな」と声をかけられたこと(他のインタビューでも「あのケガで人間として成長できた」と語っている)や、周辺のサポートもあり現在では日本プロ野球OBクラブの活動にも参加している。


関連タグ編集

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