「 ――限りなく小さいあの世には妖怪が棲んでいた
そんな書き出しで始まる同人誌を二人が作る 」
(「燕石博物誌」、同梱の帯)
概要
燕石博物誌とは、同人サークル「上海アリス幻樂団」による「 音楽CD 」作品である「ZUN's Music Collection」の第八弾作品。
正式名称は
ZUN's Music Collection Vol.8
「燕石博物誌 ~ Dr.Latency's Freak Report.」
となっている。
2016年5月、第十三回博麗神社例大祭にて頒布。
「 音楽CDの第1弾を作ってから、もう14年経ちました(マジで?)。 」
(上海アリス幻樂団 博麗幻想書譜 2016年4月13日付より)
その読みについては作品の発表以後、主に「燕石」の部分について「えんせき」や「つばめいし」などの読み方の可能性が想像されていたが、2016年4月26に行われたニコニコ生放送において原作者ZUNが出演した際に「えんせき-はくぶつし」であるとの明言がなされた。
本作の発表を前にした同放送では長らく明確な呼称が不明であった「秘封」の読み方についても言及がなされるなど、秘封倶楽部関連作品において記念碑的な出来事ともなった。
詳細は「秘封倶楽部」記事における「秘封」の読み方にまつわる関連記述を参照。
「ZUN's Music Collection」
「ZUN's Music Collection」は上海アリス幻樂団主宰のZUN作曲による音楽を収録したものであり、同じく上海アリス幻樂団作品である「東方Project」の各作品(ゲーム・書籍付属CD等)で使用された楽曲またはそのアレンジ(セルフアレンジ)と、各CDのために新たにつくられた楽曲の二種類からなる。
さらに「ZUN's Music Collection」では同梱のシートまたはブックレットにて、それぞれの楽曲の項目に並んでZUNによる独自のストーリーが語られている。
本作においても「ZUN's Music Collection」第二弾作品である「蓮台野夜行」以降同シリーズに登場している宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン(メリー)の二人が登場する。
本作では二人が共同で制作している「 二人の本 」にまつわる対話を通して物語が語られる。
この「本」とは、電子的なものではなく手書きのもののようで、「 タダの夢ではない事が判ってきた 」というこれまで「 二人が見てきた不思議な世界 」を記述するというコンセプトの書物。提案者はメリー。
「 メリーが見てきた物を纏めて博物誌を作るというのが、この本のテーマなんだから 」
(蓮子、「禁忌の膜壁」)
ただしメリーは執筆活動を苦手としている様子で担当部分の筆がなかなか進んでいなかった。
それを受けた蓮子がメリーの口述を筆記する形をとることとなる。
メリーが回想し想いを巡らせ、蓮子がそれを受けて記述する。
二人の体験と会話、二人の視点を通して、「 何か 」に隔てられた「 『この世』 」と「 『あの世』 」の姿が語られていく。
二人の住まう世界
「蓮台野夜行」以後、例えば前作「伊弉諾物質」でも語られた、二人の住まう世界が例えば蓮子とメリーが求め触れるような「 不思議 」をどのようにとらえているのかについて本作でも語られており、本作では「 見えない筈の物を見る瞳の持ち主 」等の形でメリーをはじめかつてその「 不思議 」に触れた人々についても想像を広げている。
また本作では、蓮子はお酒が入ることで冷静になるという一面も語られており、作中ではそのクリアな視点で種々の学問と、それと対比した「 真実学者 」の姿への連想へと結びついている。
蓮子の思う「 真実学者 」にあたるのは、ここではメリーである。
メリーは、「 境目 」の性質やそれを越えるということ、そして「 境目 」を越える体験とは何か、あるいは「 境目 」を越えた先の「 この世の常識が成立しない 」という「 『あの世』 」の一つを体験していた。
その世界が、あるいはメリーにとってその体験がどのようなものであったが本作ではメリーの体験の語りを通して、時には蓮子の視点も通して語られている。
加えて、同じく上海アリス幻樂団作品である東方Projectにもその多種多様な存在が登場する「妖怪」というものについても、メリーによって、自身が見た世界を通して得た体験などからその存在性が語られている。
「 妖怪はどこに消えたのかなぁ、と考えていたらね、見えて来たの。
今も妖怪の棲む世界が 」(メリー、「シュレディンガーの化け猫」)
前作「伊弉諾物質」では「 神々の墓場 」の痕跡を見出したメリーと蓮子は、今作ではその体験を通して「 妖怪 」の姿もまた見出すのである。
「同人誌」
本作で二人が著そうとしている書物は本作のあとがきや本作の帯などでは「 同人誌 」とも語られている。
二人が記した本は、二人だけが所有する記録ではなく例えば同好の士のような誰か他者に対しても伝えられることを想定している様子である。
ただし二人が記した、もう一つの世界の姿を著した唯一無二の「 質 」をもったレポートは、実際の著者名についてはペンネームによって隠されることとなった。
これまで秘封倶楽部の活動としては蓮子とメリーの二人の体験が語られることがあったが、本作において二人だけの物語が二人の手による書物として、「 量子の隙間に潜む世界を見る博士 」の名を通して誰か他者にも伝わる可能性が拓かれた様子が語られているのである。
特殊なフォント
本作には、一文だけフォントが変更された部分がある。
これはメリーのセリフの部分であるが、文脈から続くその内容の異様さもあって本作中でも極めて異質な部分となっている。
実際の内容はブックレット本文を参照。
これ自体が作中の一つの「 メンブレーン 」ともなっており、読者が体験する「 境目 」でもあるのだろう。
須臾とプランク
本作オリジナルの楽曲として「須臾はプランクを超えて」(英題は「 Very Very Short Time 」)がある。
「須臾」とは、同じく上海アリス幻樂団作品である東方Project作中では蓬莱山輝夜や綿月豊姫、あるいは稗田阿求らによって、「観測し得ないほどの微小単位の時間」の類のものであると語られている。これは英字タイトルの意味的理解とも一致する。
豊姫によれば「須臾」は「 フェムト 」とも(『東方儚月抄』)
もう一方のプランクについては「大空魔術」において蓮子がその名を挙げている。
蓮子の分野である物理学とプランク、さらに本作における量子世界という観点からとらえるとき、実際の物理学者としてマックス=プランクがある。
プランクの偉大な科学的発見としてのちにプランク定数と呼ばれる「光の最小単位に関する定数」の発見等がある。その研究と成果は量子論の基礎ともなり、プランクは量子論の父とも呼ばれる。
またプランクは科学的視点のスタンスとして実在論的立場(個々の主観を超えた存在を認める立場。ごく大雑把には「目には見えなくとも確かに存在があるものがある」とするもの)をとり、実証主義(感覚的経験によって確認できない事象を否定する立場で、観測と論理を主とする。例えば「神」などの観測証明不可能なものは学術的思考から除かれる)と対立した歴史ももつ。
本作における「プランク」を仮にマックス=プランクと仮定する場合、この科学哲学的な実証論とプランクに近い実在論的立場の対比はメリーが垣間見た「 妖怪 」などの別の「 生命体 」の知覚・認知と、二人を取り巻く「 不思議 」を受け入れることのない社会のスタンスとの対比にも共感するなど、ストーリーとも重なるものである。
本作にはプランク以外にも量子論の有名な命題である「シュレディンガーの猫」とも関連して、タイトルとしても併せて語られるストーリーとしても結びついた「シュレディンガーの化猫」(英題は「 Schrodinger's Black Cat 」)もあるなど、量子的世界観と多面的に接するものとなっている。
ファンの間では本作発表以後、本曲にも関連して「須臾がプランクを超える」ということはどういうことかなどについても様々な考察が展開されている。
余談ながら、プランク本人は音楽にも才覚があり、音楽家を志したこともある他生涯の趣味の一つには音楽の演奏があったともされる。
レイテンシー
またブックレット表紙やCDの印字、背面シートなどでは、その演出として本作の英字タイトルである「 DR.LATENCY'S FREAK RPPORT 」(すべて大文字のもの)に見る「 DR.LATENCY'S 」と「 FREAK 」の間にレター封筒の背面のようなポイントイラストが挿入されている。
本作の英字タイトル及び収録曲の一つにも見られる「 レイテンシー 」( latency )とは、一般には「隠れていること」、「潜伏 / 潜在」等の意味を持つ。「隠れている」、「見えない」の意味を持つ「 latent 」の名詞形。
デジタル用語としての用法もあり、こちらはある情報的局面において一方がデータ等の要求をし、他方からレスポンスがあるまでのタイムラグを指す語として使われる。こちらでは「遅延」の意味となる。
デジタル上では要求からレスポンスまでの間にデータ処理がなされており、レイテンシーが「小さい」(または「低い」)ほどレスポンスが早く(=データ処理能力が高く)、高性能とされる。
作中での会話の様子や「Dr.レイテンシー」が記述する内容から、作中のこの語の発案者は前者の意味合いを想定していると思われるが、ファンの間では様々な理由から後者の意味合いでも捉えられるのでは、と想像されている。
例えば「夢違科学世紀」における「幽玄の槭樹」に重ねられたエピソードにおける蓮子の様子などがその想像の基礎の一つとなる様子である。
「情報」の価値
本作においても蓮子とメリーの二人が住まう世界の価値観、特に「 情報 」というものの変遷と今が語られている。
東方Projectにおいては豊聡耳神子は速度だけが価値あるもの(『東方深秘録』)、としたが蓮子とメリーの住まう世界では「 質 」が速度と「 量 」とにとって代わっている様子が描かれており、これを通しても二人が描く、二人の手による「 博物誌 」の価値が語られている。
収録楽曲
次のリストは本作に収録された楽曲のリストである。
尚、オリジナルと表記されたものは本CDが初出の曲、作品名が表記されているものはその作品が初出である。
No | 楽曲名 | 出展 |
---|---|---|
1 | 他愛も無い二人の博物誌 | オリジナル |
2 | 凍り付いた永遠の都 | 東方紺珠伝 |
3 | Dr.レイテンシーの眠れなくなる瞳 | オリジナル |
4 | 九月のパンプキン | 東方紺珠伝 |
5 | 須臾はプランクを超えて | オリジナル |
6 | シュレディンガーの化猫 | オリジナル |
7 | 空中に沈む輝針城 | 東方輝針城 |
8 | 禁忌の膜壁 | オリジナル |
9 | 故郷の星が映る海 | 東方紺珠伝 |
10 | ピュアヒューリーズ~心の在処 | 東方紺珠伝 |
11 | 永遠の三日天下 | 弾幕アマノジャク |
この内、初回頒布の機会であった先述の第十三回博麗神社例大祭発表時版のブックレットでは「九月のパンプキン」について「 東方紺珠伝 純狐のテーマ 」とされているが、『紺珠伝』作中では同曲は鈴瑚のテーマ曲として登場している。また『紺珠伝』及び『弾幕アマノジャク』を初登場とする楽曲について「 作曲 」がそれぞれ「 2016年 」、「 2015年 」となっている。それぞれの作品発表自体は『紺珠伝』は2015年5月、『弾幕アマノジャク』は2014年5月の各博麗神社例大祭であり、各曲もそれぞれの作中に初登場している。
この内、年度に関連した差異については誤植との可能性も考えられている他、「燕石博物誌」ブックレットにみる「 作曲 」については例えばZUN本人が各アレンジを作曲した年度が記載されているという可能性も見られているなど、実際のところは不明である。
本曲収録曲のうち、本作が初発表である「オリジナル」でないものについては、東方Projectの第14弾及び同関連シリーズと第15弾から成っている。ただしナンバリングにおいて両者の中間にあたる作品である第14.5弾である『東方深秘録』からの収録曲はみられない。
『深秘録』にもZUNによる楽曲もまた登場しており、同時に上海アリス幻樂団と黄昏フロンティア共作作品である『東方非想天則』に初登場した「アンノウンX」(ZUN作曲)が「伊弉諾物質」に登場するなどの先例があるため、『深秘録』関連の楽曲が登場しないという様子についても、『深秘録』に登場した「秘封倶楽部初代会長」である宇佐見菫子との関係などとも合わせてファンの間で様々な考察が花開いている。
蓮子とメリーのデザイン
本作ではブックレットデザインがこれまでになく明るい色彩で描かれており、二人の表情も穏やかである。
また後述のようにメリーは着席した状態で描かれているがこの際自身の右足(膝)をスカートの上から両手で包むような姿勢で描かれている。この膝部分の丸みを帯びた様子とメリーの服の色合いである紫色から、上海アリス幻樂団におけるもう一つの「秘封倶楽部」のメンバーである菫子が関わった「オカルトボール」との視覚的類似性が見出された。
特に「燕石博物誌」の製品頒布前、メインビジュアルが公式サイトなどで公開された時点などでは未発表の作品への多様な想像の一つとして、このビジュアルから着想を得た「オカルトボールを手にしたメリー」という想像も展開されていた。
pixivにおいてもこの想像に関連した作品が発表されている。
- 「オカルトボールを手にするメリー」という想像
宇佐見蓮子
こげ茶色から黒色の髪は後ろ髪肩付近まで確認でき、被っている帽子の影響のためか右目方向は髪がかかっている。本作では白いリボンのついたトレードマークの黒帽子を着用した状態で描かれている。この時帽子は斜めにかぶっており「大空魔術」の印象にも近いものとなっている。
手首付近で袖口が絞られた白のブラウスと思しき上着に「大空魔術」や「鳥船遺跡」でも見られたような黒色のケープを羽織っている。袖が絞られたブラウスは「大空魔術」以来。
ただし本作に特徴的な様子として、ケープの裏地の赤色が「鳥船遺跡」登場時よりもより鮮明であることや全面の布地の長さが多少浅いこと、襟元またはのど元付近に赤色の蝶ネクタイまたはリボンがあることなどが挙げられる。
この蝶ネクタイまたはリボンは「鳥船遺跡」でも似たものが見られるがこちらではブラウスの胸元に結ばれているという位置的な違いがある。また本作デザインはその位置から首に直接着用するチョーカーのようなアイテムである可能性もある。
黒のスカートはこれまでの蓮子のデザインとほぼ同様であるが、一方で「蓮台野夜行」以来のデザイン要素もあり、本作の蓮子のスカートには裾先の波縫い状の白線がない。
これは先述のケープについても同様で、ケープについてもやはり裾先の白線は見られない。
またこれまで蓮子の場合ソックスは足首付近で折りたたんでいた様子が殆どであったが、本作ではストレートな状態で履いている。靴を履いていないのも本作に特筆的で、この足元に関わる二点は本作が初の要素である。
静かな笑顔を浮かべて自身の右手方向(メリーの方向)を見つめ、メリーの座る椅子の背に右手(右腕)を預けて、足をクロスさせるように(正面方向に対して腰の角度をつけるように)立っている。
右手には赤色のデザインが入った黒い本を持ち、それを自身の正面胸元に備えている。
立ち位置は向かって右手側(着席したメリーから見て左手寄りの背後)。
マエリベリー・ハーン
本作では演出の関係か黄色がより深い髪色のメリーはいつもの白い帽子を着用し、椅子に座っている。本作でのメリーの帽子にはフリル先に、他作品ではブラウス襟元などに見られる赤色の波模様のようなデザインが見られるという特徴があり、この帽子に赤線デザインが入るという意匠は本作が初である。
服は全体的に「鳥船遺跡」のものに似ている。例えば二つの前ボタンのついた、腕の袖が手首付近で絞られている紫のワンピース風の服は先述のものとも関連して襟元に赤い線の意匠があることも共通している。
一方で「鳥船遺跡」では腰に黒色のベルトを着用している様子が明確に確認できるが、本作では黒色と思しき帯状のものはあるものの正面方向などがメリーの右腕に隠れているため実際にどのようなものであるかは不明。また本作では「鳥船遺跡」のデザインに見られるスカート裾から見える内側(または内に着用している別の服の)フリルが見られないという違いもある。
メリーのスカート裾先には、例えば「蓮台野夜行」や「伊弉諾物質」のように蓮子とはまた異なる波縫い状の白デザインが描かれることがあるが、本作ではこのデザインは見られない。
先述の蓮子と同様に足首付近までの白いソックスを履き、靴は履いていない。
特に所持しているアイテムはないが、先述のように椅子に座り着席したまま右足を曲げ、身体方向に上げた右ひざを両手で抱えるような姿勢をとっている。
自身の座る椅子の背もたれに手をかける蓮子を背中方向に、こちら側に笑いかけるように笑顔を浮かべている。
その他ブックレット全般
デザインには作中でも登場する「 別の量子が支配する 」世界を思わせる微小な物理単位または運動などのモデル図のような三色(赤、青、緑)の玉とそれらの中心核と思しき位置を結んで三点に繋げる黄色の線が描かれている。
同種の黄線の三角形は玉を結ぶだけでなくそれ単独でも描かれている。例えば蓮子やメリーのスカートにかかっているデザインは三色の玉を結ぶタイプのものではない。
逆に三色の玉はほとんどがこの黄色の線または同種の白い点でゆるやかに結ばれている様子が描かれているなどの違いがある。
また、蓮子やメリー、タイトル表記や下部デザインなどと並んで表紙のみにみられるデザインとして空を飛ぶ二羽の鳥のようなシルエットが描かれている。位置は向かって左斜め上。
この他、本作のブックレット内部のデザインの特徴として、ブックレット形式ではなく一枚シートの形式であった「蓮台野夜行」を除いてブックレットのストーリー各ページ下段に作品名と英字タイトルが記述されるというデザインがみられていたが、本作ではそれは見られない。
本作では先述の蓮子やメリーの衣装デザインなどに加えてブックレットのデザインの細かな部分でも様々な新しい要素が登場している。
「旧約酒場」
本作の物語は、続く「旧約酒場」(ZUN's Music Collection Vol.9。2016年8月発表)につながっており、ZUNによれば、両作品は表裏一体の関係となっている。
「 前作、燕石博物誌の続きですが、前作が表なら今回は裏。
前作とは表情の違う曲を集めました。全体的に難易度高いです。」
(上海アリス幻樂団 博麗幻想書譜 2016年7月22日付より)
作中書籍としての「燕石博物誌」
実際の作品としての「燕石博物誌」に付属のブックレットでは蓮子とメリーによるその制作風景が描かれた作中書籍としての「燕石博物誌」であるが、物語が連続した「旧約酒場」においてその内容の一部や作品が発表されたこと、「 同人誌 」のタイトルもまた「 燕石博物誌 」であったこと、あるいはそれを手に取った一部の人々のアクションなどが語られている。
内容はメリーが語ったものの反応などを見る範囲では、「蓮台野夜行」以降の「ZUN's Music Collection」で語られてきたメリーの体験などが実際に記述されている様子である。
例えば「蓮台野夜行」で冥界を垣間見た体験、「夢違科学世紀」で蓮子に語った竹林の話、衛星トリフネでの体験(「鳥船遺跡」)、そして「燕石博物誌」作中でもメリーが回想した「 怪物 」に襲われる体験などがメリーによって語られている。
一方、本作で初めて語られたものとして、「 誰かに助けられた瞬間、目が覚めて元の世界に戻る 」という要素がある。
例えば明確にメリーが何者かに襲われた「夢違科学世紀」の竹林での体験や「鳥船遺跡」での体験では「 誰かに助けられた 」という描写はなされていない。
また「伊弉諾物質」で「 地獄 」を覗いた際の回想においても類する記述は登場していない。
「燕石博物誌」、あるいはそれを通した「旧約酒場」においてメリーの「 夢 」にまつわる物事には、さらに新しい要素があることが語られているのである。
「燕石」
本作タイトルにある「燕石」(えんせき)とは、一般には古代中国の地理書である『山海経』に登場する<「燕山」から出る石>を意味する「燕石」や『太平御覧』に登場する「燕石」などを意味する。
『山海経』に登場する「燕石」とは、玉(ぎょく)に似たきらびやかなものであるが、その実態は玉ではなくただの石である。
ここから故事として「まがいもの」の意味や「価値のないものを珍重して誇ること」などの意味としても用いられる。
また『太平御覧』においてもやはり価値のない「燕石」を重宝する男が登場しており、先の意味と同様に価値のないものを宝として誇ることを意味するものとなっている。
これらは自分が所有しているものの価値がわからない、才能のない者が、(偽りの宝を手にして)それを誇り、自身の格が高まったかの如く慢心することの例えとしても結ばれている。
この意味については四字熟語に見る「魚目燕石」(ぎょくもくえんせき)が象徴的であり、キラキラと光る魚の目は一見宝物のような輝きを持つが、宝石のような価値が見出されているものではない。燕石もこれと同じで、魚の目も燕石も、宝のようでいて実際は無価値なもの(あるいはまがいもの)なのだ、とするものである。
一方で、「燕石」については異なる理解の仕方もある。
「燕」は訓読みすれば「ツバメ」(鳥)である。「ツバメ」という観点から「燕石」を見るとき、ロングフェローの詩に「雛の盲目を癒すために親鳥が運ぶ石」と「それを見た人間は幸福になることができる」との一節がある。これについて南方熊楠が民俗学の観点から比較研究し、小論として「燕石考」を提起している。
ここでは「燕の石」とは何か、あるいは何の象徴であるのか等がロングフェローより遥か以前にまでさかのぼる複数の民族伝承・文化を交えながら考察されており、例えばその中では燕の石は安産のお守りとしても信じられていたことが指摘されている。
こちらの捉え方はロングフェローの詩や熊楠の民俗学的研究などのアカデミックな要素を通して、本作タイトルにみる「博物誌」や英字タイトルの「Report」等とも共感しうるだろう。
実際に、公式サイトにおいて公開されているブックレット表紙と思われる「燕石博物誌」関連のイラストでは羽ばたく二羽の鳥が描かれている。
この視点を基にする場合は、親鳥と、「燕の石」によって目の病を癒された子の鳥の象徴だろうか。
さらに「燕」にも関連してそれが幸運(治癒や安産などを含めて)をもたらすもの、となる場合、それは竹取物語にも登場しており、かぐや姫が求婚者たちに提示した難題の一つに「燕の子安貝」がある。
余談ながら、先の「魚目燕石」に関連して「魚目混珠」(-こんしゅ)という表現もある。
魚の目が無価値なものの例えであることは共通するが、一方でこちらのシチュエーションには「珠」(価値の高いもの)が混在している。「魚目混珠」は無価値な「魚目」と有価値な「珠」が混ざり合い、区別が出来なくなった様子を示す語である。
「魚目、珠に混ず」などとも表現され、 玉石混交などともニュアンスが通じる語である。
上記のように「燕石博物誌」にも収録が予告されている楽曲のうち、作品のいくつかは東方Project作品である『輝針城』、『弾幕アマノジャク』、『紺珠伝』を初出作品としている。
各タイトルでは強者によってその価値を貶められた弱者による逆転レジスタンスとその後の物語や、特殊なパワーストーンや紺珠の薬等を通して地上から天空の玉である狂気の月へと至る物語などが語られており、「燕石博物誌」に語られる楽曲には土地としては天地のベクトルのまったく異なる、価値観もまたまったく異なるの二つの世界観に関連する作品で登場した楽曲がともに並んでいるのである。
東方Projectにおいて地上と月はともに価値観が合わず、互いに(特に月の都の側から地上を)快く思わない様子であることが語られている(『東方外來韋編』)。
例えば地上では有価値のものである「珠」である生命の営み、あるいは妖怪の営みとしての異変も、月では「穢れ」という「燕石」であり、二つの価値観の相違が語られている。
月から見れば地上の営みは「 エンガチョ 」(『外來韋編』)な「燕石」であろうが、一方嫌悪が傾けられた地上から見上げる月は、高い技術と(月の人々のメンタリティを知る人物からすれば)「嫌い」な連中が住まうという「混珠」の状態と言えるのかもしれない。
「燕石」にまつわるこの他の用法としては、上記のような意味とは別に人名としても用いられており、実在の俳人である富永燕石(1625-1660)や幕末志士の日柳燕石(くさなぎ-。1817-1868)の名としても用いられている。
作中、二人による「 本 」は「 博物誌 」であると明言されている(「禁忌の膜壁」、「永遠の三日天下」等)。
その「 価値 」は両極的だと想像されており、作中で語られたように「 質 」(極めて限定的な固有性)に高価値を見出すものや「 一部の 」人々には有価値なものとなり得る。
一方で、「伊弉諾物質」において社会が了解不能な特異性を理由にメリーがサナトリウムに収容されたように排斥等の方法をとる環境では無価値な、あるいは有害なものともなりうる。
「他愛も無い二人の博物誌」は、広くはただの「石」かもしれないが、一方で二人にとってここに記すこと、または記す過程で二人が語り合ったことは真実である。二人の「博物誌」はまがいものでない、むしろ人々の「 目を覚まさせる 」(「Dr.レイテンシーの眠れなくなる瞳」)ようなものでもあるのである。
「燕石博物誌」の作品発表以後、ファンの間でも新たな秘封倶楽部の物語をはじめタイトルや収録曲のラインナップからも多元的な視点から様々に意見が巡らされていた。作品が発表された今日でも、本作にも関連して蓮子とメリーの二人や秘封倶楽部について多様な想像が生まれ続けている。
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