男たちの大和/YAMATO
おとこたちのやまと
2005年12月17日に公開された日本の映画。終戦60周年記念作品。
辺見じゅんの「決定版 男たちの大和」を原作とし、天一号作戦に連動する水上特攻作戦に参加した戦艦大和の乗組員を描く。
原作は大和乗組員への取材をもとにしたドキュメンタリー小説であるのに対し、それらをもとにしたフィクションとなっている。そのため登場人物は全員原作(≒史実)とは別名になっている。
2005年4月の鹿児島県枕崎漁港に、内田真貴子という女性が現れる。
彼女は「戦艦大和が沈没した場所まで船で連れていってほしい」と言うが、漁師たちは取り合わなかった。
その漁師たちの中に、神尾克己という男がいた。
彼は戦時中、戦艦大和の乗員であった。
神尾は真貴子が当時の上官内田守二等兵曹の養女であること、守が昨年亡くなったことを聞くと、真貴子の頼みを聞き入れ、船を出港させる。
そして神尾は、60年前の戦時中のことを回想し始める。
戦艦大和に海軍特別年少兵として乗艦していた男。大戦を生き延び、現在は鹿児島県で漁師をしている。
特定のモデルとなった人物はおらず、複数の特別年少兵のエピソードを混合している。
- 内田守(中村獅童)
神尾の当時の上官。二等兵曹。
山本五十六から頂いた短刀を大事にしている。
モデルは原作の中心人物だった内田貢。
- 森脇庄八(反町隆史)
内田の当時の戦友。二等主計兵曹。
モデルは丸野正八。
- 西哲也(内野謙太)
神尾の戦友で特別年少兵。
- 常田澄夫(崎本大海)
神尾の戦友で特別年少兵。レイテ沖海戦で兄の玉木水兵長を亡くす。
モデルは安原武。
戦艦大和哨戒長の大尉。
レイテ沖海戦当時の戦艦大和艦長。
天一号作戦当時の戦艦大和艦長。
連合艦隊参謀長。
第二艦隊司令長官。
演じた渡はこれが最後の映画出演となった。
- 野崎妙子(蒼井優)
神尾の同級生。神尾の出撃直前に恋仲になる。
- 内田真貴子(鈴木京香)
内田守の養女。
- 前園敦(池松壮亮)
神尾の所有する漁船「明日香丸」の船員。
15歳にして船舶免許を持ち自分で操縦もできる。
「CLOSE YOUR EYES」
- 歌:長渕剛
- 作詞・作曲・編曲:長渕剛
- ストリングスアレンジ:瀬尾一三
長渕によると角川から何度もダメ出しされて半狂乱に陥ったという。
「オレ達の大和」
長渕を敬愛するラッパー般若の楽曲。
当初はエンドロール後にこの曲をBGMにして戦時中の記録映像を上映する予定だったが、ロードショー前に中止となった。
東映は当初製作費削減のために戦艦大和はミニチュアとCGのみで表現する予定だったが、角川春樹は原寸大での復元を主張。自らみらい証券と共同ファンドを立ち上げて6億円の建設費をかけて尾道市の日立造船向島工場跡地にオープンセットを建設した。
ドック横の資材置き場に第一主砲塔周辺から艦橋付近までの全長約190mで、艦橋は建築基準法の問題で第一副砲塔の高さまでが建造された。
角川の意向により当初は再現されていなかった艦首部分も再現されたとされているが、実際には撮影終了後の一般公開時に追加建造されている。
2005年7月17日からセットが一般公開され、小道具の展示やメイキング映像の上映なども行われた。
その後造船所の再稼働が近づく2006年5月7日まで公開され、解体後も大和ミュージアムに副砲塔など一部が移設された。
それらも老朽化に伴い大部分が撤去され、九六式二十五粍三連装機銃1基のみが残されている。
脚本のクレジットは佐藤純彌のみとなっているが、実際には野上龍雄と井上淳一の共作である。井上は高齢な野上を支えて呉や江田島へのシナハンにも赴いたが、角川春樹に無断で脚本を改訂されたことに腹を立てた野上が抗議したことによりクレジットから外されることになった。
実は野上の脚本では厳格な士官が内田を鉄パイプで殴打する(この場面自体は原作にもあり、完成作品にも取り入れられている)などの体罰描写などを中心に取り入れており、現代のシーンはほとんど存在しなかった。脚本の変更を任された佐藤純彌は野上に会って説明したいと東映に頼んだが聞き入れられず、東映側の「野上さんも納得しています」との説明をうのみにするしかなかったと語っている。ただ佐藤自身野上の脚本は『陸軍残虐物語』で既にやっているテーマだったため同じことはやりたくないと感じていたという。
また同じく脚本改訂に関わった角川は「野上の第1稿には『大和』への賛歌の無い単なる反戦映画と感じ、原作者の辺見にとっても納得のいくものではなかった」と語っている。
最終的に脚本は第6稿まで書き直された。角川は内田の名前だけはモデルの人物と同じ内田貢にすることにこだわったが、最終的に東映側の意向により内田の名前も変更された。
尾道と関係の深い大林宣彦監督はロケセットの一般公開に反発し、尾道市と疎遠になってしまった。さらに公開当日には角川にも抗議文を送ったが、角川は「映画を一度も見ていないのに『戦艦大和』という題材だけで批判する態度は間違っている」と感じたという。その後2012年頃に大林と角川は和解しており、大林の訃報に際し角川は追悼句を詠んでいる。