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浅草キッド

あさくさきっど

浅草キッドとはビートたけしが歌った曲であり、お笑いコンビの名前でもある。また、同名の小説およびこれを原作としたドラマも存在する。
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ビートたけしの楽曲

作詞・作曲:ビートたけし 編曲:吉川忠英


たけしのツービート結成以前に組んでいた相方との、貧しい下積み時代の実話をもとにしている。当時バックバンドのメンバーを務めていたグレート義太夫が、たけしの鼻歌にギターで伴奏をつけて採譜する形でデモテープを制作。その後、ビクターレコードに持ち込み、正式に編曲・収録が行われた。

1986年8月発売のアルバム『浅草キッド』に収録。


2019年NHK紅白歌合戦の「夢を歌おう」特別企画では、たけし自らが歌唱した。


多くのアーティストによってカバーされている。以下に、正式にリリースが行われたものを記載する。


小説

1988年発表。たけしが師匠である深見千三郎の元で過ごした日々を綴った、自伝的小説である。

複数にわたってドラマ・映画が制作されている。

ドラマ版

  1. ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編…1988年にテレビ朝日で放送。主演は天宮良。脚本は、『たけしくん、ハイ!』などを手がけた布施博一が担当。たけし自身もカメオ出演している。
  2. 浅草キッドの「浅草キッド」…2002年にスカイパーフェクTV!(スカパー!)で放送。後述のお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士が主演を務め、準主役として相方の玉袋筋太郎が出演している。脚本はダンカンが担当。複数のお笑い芸人、漫才師が出演している。

映画版

2021年にNetflix限定で配信された。

監督・脚本は劇団ひとりが担当。企画協力として秋元康が参加している。

先述のドラマ版とは異なり、深見千三郎とたけし両方を主人公として描く。

主役は大泉洋(深見千三郎)・柳楽優弥(ビートたけし)。また、「たけし所作指導」としてたけしのモノマネで知られる松村邦洋が参加している。


お笑いコンビ

水道橋博士玉袋筋太郎(玉ちゃん)のコンビによる漫才師

コンビ名については、楽曲や小説とは関係がないと見られている。


なお、現在はコンビとしては事実上活動終了状態にある。


経歴

もともと二人はたけしの追っかけであり、それぞれ別で『ビートたけしのオールナイトニッポン』の出待ちをして弟子入りを志願をしたが、なかなか許可は降りなかった。

この頃、たけし軍団を事実上取り仕切っていたダンカンの発案で、同時期に集まっていた他の弟子入り志願者たちとともに『風雲!たけし城』に一般観覧者に混じって出演するようになる。


1986年当時、軍団メンバーの一人である大阪百万円が、自ら志願してたけしの古巣である浅草フランス座で修行を行なっており、彼を通じて当時の支配人から「もっと若い奴がいるならうちで修行させないか」とたけしに打診があった。そこで、『たけし城』に参加していた弟子入り志願者6人がフランス座に入れられ、「浅草キッドブラザース」(「東京キッドブラザース」のもじり)と命名された。


「フライデー襲撃事件」を受けてたけしからは「もう辞めてもいい」と連絡があったことや、フランス座での過酷な生活に耐えられず、メンバーも次々脱落していった。

そんな中、状況を打破すべく博士と玉袋の二人が独自に「浅草キッド」を名乗り渡辺正行主催の「新人コント大会」に出演する。しかし、状況は好転せず、最終的には博士がたけしに頼み込んでフランス座から引き上げることになった。


フランス座からの引き上げを機にコンビとして独立し、以降「浅草キッド」を名乗るようになる。


その後はライブやバラエティ番組で精力的に活動。1992年には冠番組『浅草橋ヤング洋品店』の放送が開始した。


1996年には博士の免許証不正取得事件が、1998年にはビートきよしからの承認を得て2代目「ツービート」を襲名、きよしと「スリービート」として活動を始めようとしたところできよしのバカラ賭博容疑での逮捕など苦境が続いた。


2000年代以降はソロでの活動が多くなっていた。


2020年、玉袋がオフィス北野(現TAP)を退社しフリーに。博士は残る形となった。また、退社後玉袋は「浅草キッド」を名乗ることがなくなっており、事実上解散ともとれる状況にある。


2022年5月には、博士が都内で街頭演説を行い、同年夏の第26回参議院議員選挙比例区にれいわ新選組から立候補すると表明した。

同年7月10日の参院選で、れいわ新選組は比例代表で2議席を獲得。水道橋は党内得票数1位(特定枠を除く)で初当選。しかし鬱病から2022年11月に休職した。その後病状は改善したものの、2023年1月16日に議員辞職願を届け出て受理され、議員辞職。



エピソードなど

弟子入り後、たけしと10年ほど口を利いてもらえなかったらしい(しかし、2人の目標はたけしに弟子入りすることだったので、そこまで不満はなかったとか)。

たけしは2人の漫才の腕を認めており、バイク事故以降はしょっちゅう話すようになったという(ガダルカナル・タカいわく、「バイク事故のあとでたけしさんはすごく丸くなった」らしい)。浅草キッドの最高の思い出として、「師匠であるたけしの旦那役を務められたことである」と発言したこともある。


いわゆる「たけし軍団セピア」がいなくなったあとも軍団に残ったため、ガダルカナル・タカダンカンら第1世代からは後輩として一目置かれ、それよりも後の後輩からは先輩として信頼される、というポジションにあるらしい。


名前の通り博士は機転が利き、師匠譲りの鋭いコメントで笑いを取る。また、初期はただ破天荒だっただけの玉袋も、次第に芸人としての如才なさを発揮し、ラジオでの率直で穏やかなトークや「スナック芸人」など独特のポジションを開拓している。

なお、「玉袋」という芸名だとなかなか難しいものがあるため、NHK(近年は地デジプライムタイムも)の番組や一部ゴールデンタイムの番組は本名(赤江裕一)、もしくは「玉ちゃん」(『たまむすび』では赤江珠緒から「玉さん」と呼ばれている)名義で出演する。近年では「玉ちゃん」のほうが定着しつつある。


軍団らしく遊び人で相当女癖が悪かったが、結婚して子供ができてからは、2人ともとてもいい父親になったとのことである。

ちなみに博士は自身の息子に「たけし」と名付けている。これは、師匠への尊敬の念を表すとともに「師匠の名前を呼び捨てにする快感があるから」だとか。


爆笑問題とは、太田プロ時代に相当険悪な仲だったらしいが、今は和解したとのこと(しかし、玉袋は「田中は許してない」と発言したり、博士が太田と確執があるようなそぶりを見せたりする一方、太田が「笑っていいとも」で浅草キッド宛にフラワースタンドを贈ったりなど、どこまでネタなのか不明)。


博士は免許証の不正取得事件で謹慎したことを機に、インターネットについて勉強して自らブログを開設しており、早くからネットとの関わりが深い。東国原英夫そのまんま東のころ)に、ブログ開設を勧めたのも博士である。

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