曖昧さ回避
- たけし軍団の芸人。本項で解説。
- ウルトラセブンに登場する怪獣。→発泡怪獣ダンカン
- きかんしゃトーマスに登場する蒸気機関車。→ダンカン(きかんしゃトーマス)
- ヨーヨーの父・ドナルド・F・ダンカン。または、彼が創設したヨーヨーメーカー。
- ファイナルファンタジー6の登場人物。→ダンカン・ハーコート
- マビノギの登場人物。ティルコネイルの村長。→ダンカン(マビノギ)
- ダンカン1世(スコットランド王) - 実在したスコットランド王の名前
- ダンカン2世(スコットランド王) - 同じく実在したスコットランド王の名前
- アーン・ダンカン - 実在するアメリカイリノイシカゴハイドパーク出身の政治家
- アダム・ダンカン - 実在したイギリス海軍の提督で軍人
- クリス・ダンカン - アメリカの野球選手で13は兄にあたる。
- シェリー・ダンカン - アメリカの野球選手で12は弟にあたる。
- ティム・ダンカン - アメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島クリスチャンステッド出身のバスケットボール選手
- マイケル・クラーク・ダンカン - アメリカ出身の俳優。10は幼少期の友人である。
- マリアーノ・ダンカン - ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手。
- セイモア・ダンカン - アメリカカリフォルニアサンタバーバラのギターメーカー及び創業者。
メイン画像は1と3を兼ねたネタ絵。
略歴
日本の芸人、構成作家。1959年生、埼玉県出身。本名飯塚実。株式会社TAP(旧オフィス北野)専務取締役を務める。
もともと7代目立川談志の弟子で、立川談かんという落語家だったが、ある日談志から「よそへ修行に行ってこい」と移籍するように言われる。ぶっちゃあへの相談を経て、ビートたけし門下への移籍希望を訴えたところ、談志からラベルにマジックで『たけしへ こいつ頼む 談志』と書いたブランデーを手渡され、これを手土産にたけしの下に弟子入りすることになった。
その後、たけし軍団で頭角を現し、軍団の知恵袋かつ、持っていた才能が開花し、放送作家としても活躍、R-1グランプリの審査員を務めたこともある。
家族構成は妻(ダンカンは「ママリン」と呼ぶ。2014年に乳がんで死去)、長女、長男、次男。
芸能界きっての阪神タイガースファンで、1990年から毎試合スコアブックをつけている。長男の名前は「甲子園」、次男は「虎太郎」(松村邦洋のアドバイスに由来)。虎太郎は現在俳優として活動中である。
なお、甲子園は(子供の頃は阪神の暗黒期であったため)「最下位」とあだ名を付けられたり、熱湯風呂を強要されたりといじめに遭っていたことを明かしている。
芸名
軍団入り当初はそのまま高座名を名乗っていたが、談志から「てめえ、たけしの所に行くなら俺の名前使うんじゃねーよ!」と言われ、またたけし軍団の体制を整えるための「軍団芸名一斉変更令」が出されたことにより「ふんころがし」という芸名になった(当時の不潔な生活ぶりから「ふんころがし」か、見た目から「ねずみ男かの2択であったらしい)。
しかし、その芸名で横山やすしに自己紹介したところ、「舐めとんかいワレ!師匠連れてこい!」と殴られた上に2時間も説教され、最終的には高座名をカタカナにした「ダンカン」に落ち着いた。
ちなみに「談かん」はアメリカの俳優ケニー・ダンカン(※アメリカではB級映画のチョイ役ばかりのほぼ無名の俳優だったが、日本でなぜか「ハリウッドで活躍する西部劇のスター」と紹介され話題になった。このとき彼を紹介した一人が、談志が嫌いつつ芸を評価していたトニー谷である)に由来する。
軍団における立ち位置
几帳面で上下関係に厳しく、軍団一腹黒い男とも言われる。三軍(若手)以下の世代でたけしに弟子入りを志願した者は、皆ダンカンの元へ預けられるらしいが、安易な気持ちで入った者を振り落とすための試練と「しごき」が課されることになる。
談志直々に送り込まれた弟子、頭脳派ということからたけしからは深い信頼を得ており、松村邦洋のモノマネで有名な「ダンカン馬鹿野郎(この野郎)」というフレーズも、実際にはたけし本人はほとんど発したことはない。
放送作家として「お笑いウルトラクイズ」の構成にテリー伊藤と主体的に関与しており、同番組の狂気的な企画はこの二人が主な原因と言われる(しかし、たけし、タカ、ダンカンは揃って「テリーさんは死刑になるべきだ」と言っており、実際ダンカンは「バス吊り下げアップダウンクイズ」、自分の企画ではあるが「ビルの屋上からバンジージャンプクイズ」の被害者になっている)。その苛烈さはタカと「なんであれ、誰も死ななかったんだろう?」と語るほど(一応死者は出なかったが怪我人は続出しており、またさすがに洒落にならないレベルの怪我はカットされていたとのこと)。
ちなみに、玉袋筋太郎によれば、同番組の成り立ちとしては「芸人のハローワーク的な番組にしたかった(年配の芸人や、目立たない芸人の活躍の場を作りたかった)」とのことで、制作側が悪者になってでも派手な見せ場を設けたいというたけしの思想や、それに同調したダンカンやテリーはじめスタッフの企画・演出手腕が合わさって破天荒な番組になったという。