概要
野球やサッカー、バスケットボ-ルなどにおいて、背番号などを使う競技において輝かしい実績を挙げた選手を讃える意味で、引退後、以降その番号を他の選手に使わせないようにする措置の事である。
野球における初めて永久欠番はメジャー・リーグのニューヨーク・ヤンキースに在籍したルー・ゲーリックの4番で、1939年に制定されている。ヤンキースは名選手がひとけた台の背番号をつけるケースが多く、現在、ひとけた台の番号はほとんど永久欠番となっている。
日本のプロ野球では1947年に制定された巨人の黒沢俊夫がつけていた4番が最初とされているが、これは黒沢が腸チフスで亡くなり「4=死」との不吉な連想もあって他の選手とはいささか事情が異なっている。
讃える意味とは別に、不吉な番号だから、と誰も使わないという意味で、「42」(死に、死人)は日本人がほとんどつけない番号だが、メジャーでもアメリカ人などがつけない番号である・・・というよりつけられない番号となっており、これは黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを讃えて「メジャ-全球団が永久欠番」に制定したもので、日本にくる外国人がメジャーではつけられない番号だからという理由で、特に好んで使う番号である。また、逆に「13」は日本人には何とも思ってないが、外国人はこれを嫌うことが少なくない。これは「13=悪魔(サターン)」との不吉な連想からきている。
サッカー・Jリーグ・横浜・F・マリノスはかつて在籍した松田直樹(当時・松本山雅)が練習中急死したことにより、同選手がつけていた背番号「3」を永久欠番としている。
フィクション作品における永久欠番
ドカベンなど、現実のプロ野球とリンクさせて、架空選手を活躍させる場合、扱いが困るのが、架空の登場キャラに何番の背番号を与えるか、という問題が生じる。
巨人の星の星飛雄馬は川上哲治の背番号「16」(新・巨人の星では長嶋茂雄の背番号「3」)、侍ジャイアンツの番場蛮は前述黒沢の背番号「4」を使っている。これは現実の選手が使ってる背番号は使えない、かと言って現実に空いてる背番号が使われたら変更しなくてはならない、という理由から永久欠番の背番号を使ったものとされる。
ドカベンでは現実では存在しない「01」「02」などを使用(一時、阪神で02を使っていたが、現在は規定で使えない)。スーパ-スターズ編以降は現実の球団に遠慮がなくなったため、これらの架空球団に所属選手の番号は普通の番号となっている。
野球狂の詩では東京メッツが架空の球団であることもあって野呂尋久須の背番号「03」以外は実在する球団と同様の普通の背番号をつけているが、阪神タイガースに入団したとされる王島大介は背番号「10」、沢村慶司郎は背番号「11」と実在する同球団の永久欠番をつけた設定となっている。
一方で、同じ水島作品のあぶさんの景浦安武は背番号90で、こちらは現実の福岡ソフトバンクホークスの欠番となっているが、これは「現実の球団があぶさんの功績を讃える意味で欠番にした」であり、これは南海時代から20年以上続く伝統となっていたが、あぶさんの連載が終了してからの2016年に使用が解禁された。
現在の永久欠番の選手。
NPB
読売ジャイアンツ
※黒沢は1947年のシーズン中、腸チフスを発病し6月23日に急死(享年33)。また沢村は1944年に戦死。二人が1947年に日本野球界初の永久欠番に指定。
阪神タイガース
中日ドラゴンズ
北海道日本ハムファイターズ
100 | 大社義規(日本ハム球団初代オーナー) |
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※1981年にリーグ優勝の胴上げの時に着ていたユニフォームの背番号が100番。
広島東洋カープ
埼玉西武ライオンズ
24 | 稲尾和久(投手) |
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千葉ロッテマリーンズ
26 | ロッテ・ファン |
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東北楽天ゴールデンイーグルス
10 | イーグルス・ファン |
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福岡ソフトバンクホークス
15 | 藤井将雄(投手) |
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※チーム在籍中の2000年10月13日に31歳の若さで死去したため、以後、つける選手がおらず、球団も将来的に永久欠番にすることを示唆している。
独立リーグ
新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ
22 | 高津臣吾(投手・監督) |
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石川ミリオンスターズ
※森は2017年、西武コーチ在任中に急逝後制定。
高知ファイティングドッグス
0 | 梶田宙(監督・コーチ・投手) |
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※梶田は四国アイランドリーグplus発足時の選手で最後まで残り、実働10年。
愛媛マンダリンパイレーツ
77 | 弓岡敬二郎(監督) |
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兵庫ブルーサンダーズ
17 | 山川和大(投手) | 27 | 薬師神真之(内野手) | 50 | 向谷拓巳(内野手) |
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66 | 山崎章弘(監督) |
※山川と向谷は初めてドラフト会議で指名(育成選手)されプロ野球入り。薬師神は2017年シーズン中に急逝。山崎はチーム創設以来指導に携わり功績により制定。
その他
野球日本代表(日米大学野球選手権大会)
13 | 東門明 |
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※早稲田大学の三塁手。第1回大会で送球を頭部に受けて急死。早稲田大学野球部でも、東門の背番号9を永久欠番とした。
野球中華民国代表
33 | 郭源治 |
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※中日ドラゴンズ、台湾プロ野球で活躍。後に許銘傑(元西武・オリックス所属)、羅嘉仁らが使用したこともある。(現在は日本に帰化)
関連タグ
中島みゆき:この名の楽曲がある。(メイン画)