概要
史実においては、主力艦隊である第一艦隊に所属、主力部隊の護衛を主な任務としていた水雷戦隊である。
その性質上、開戦当初は前線に出ることは比較的少なく、攻撃的で華々しい任務に従事することは少なかった(対艦戦闘はアッツ島沖海戦のみ)。
では戦艦と一緒に後方で待機していたのかというと必ずしもそうではなく、第十戦隊結成までの、ミッドウェーより前の作戦において阿武隈と一七駆、くわえて借り物の一八駆などが赤城などの機動部隊の護衛任務を担っていたり、その他たびたび他部隊の任務を手伝っている他、戦況の悪化や部隊再編に伴い、次第に前線へと投入されていき、そのほとんどが戦没するまで奮戦している。
旗艦
太平洋戦争開戦から1944年11月に解隊されるまでの間、殆ど一貫して旗艦は軽巡洋艦・阿武隈(1934.11~36.12/1940.11.15~44.11.15)。
スリガオ海峡海戦での阿武隈の損傷の際、霞に継承されている。(矢矧の場合と違い、阿武隈の救助を行ったのは潮である。)
一水戦旗艦阿武隈に乗艦した将官(一部)
南雲忠一(最終階級:大将)…一水戦司令官(1935-36)。開戦時の第一航空艦隊司令長官。
杉浦嘉十(最終階級:中将)…一水戦参謀(1934-35)。開戦時の17駆司令、のち4駆司令。羽黒艦長としてペナン沖海戦にて戦死。
大森仙太郎(最終階級:中将)…開戦時の一水戦司令官(1940-42)。続いて妙高・羽黒の第五戦隊司令官。
木村昌福(最終階級:中将)…開戦時は鈴谷艦長。最後の一水戦司令官。能代・島風戦没後、一水戦司令部を引き連れ第二水雷戦隊を継承。
編成
主なメンバーとしては、旗艦の阿武隈の他には
であろうか。
早期戦没した子日を除き、艦これ未実装の薄雲(叢雲の僚艦だった艦)を加えるとちょうどマリアナ沖海戦後の編成である。
なお、第四水雷戦隊の武勲艦朝雲も、木村昌福少将の一水戦異動と同時期に単身一水戦に異動。開戦時12駆の上記「薄雲」とその僚艦「白雲」(未実装)で第九駆逐隊を再編成している。
霞・不知火はこの9駆に編入後18駆を再興したが、朝雲は霞編入の2ヶ月後、第十駆逐隊に転属している。
太平洋戦争開戦時の編成は以下の通り。
- 旗艦:阿武隈
第六駆逐隊は、元より南方の激戦区に貸し出されていたが(響のみ損傷で外れていたが)、アッツ島沖海戦後、龍田を旗艦とした教導艦隊である第十一水雷戦隊へと(書面上)転属された(この当時、暁は第十戦隊の一員として参加した第三次ソロモン海戦で既に戦没していた)。
なお、キスカ島撤退作戦はそのあとではあるが、響はまたもや僚艦と異なり北方に残ってこれに参加している。
ミッドウェー海戦前に第十戦隊が結成され、一水戦が第五艦隊に転属された際、一七駆逐隊も第十戦隊へと転属された(要は主力艦隊の護衛を担い続けることとなった)。
第二七駆逐隊は阿武隈と共に作戦に出ることは殆どなく五航戦の護衛についたあと、四水戦に転属となり比較的激戦区に投入される。
緒戦での作戦を終えた最初の編成替えで四水戦から古巣の一水戦に復帰した第二四駆逐隊(海風・山風・江風・涼風)はミッドウェー海戦に主力艦隊護衛任務に就く(当時涼風は損傷修理中)ものの、直後の別任務で単独行動をしていた山風が米潜により襲撃を受け轟沈。行方不明のまま7月の艦隊再編成時に二水戦に異動となり、ソロモンの激戦区で活躍した。
籍はおいていなかったものの(籍は二水戦にあった)第一八駆逐隊は阿武隈の指揮下、並びにその方面で活動することが多く、キスカ湾での壊滅による入渠から復活した後に、霞と不知火が正式に一水戦に(第九駆逐隊編入後第十八駆逐隊を再興の形で)編入されている。
第七駆逐隊はアリューシャン作戦の頃からの編入であり、同作戦で朧(当時は横須賀鎮守府警備駆逐艦)が撃沈(そのタイミングで初春も大きな損傷を負い、長期間の入渠となる)、その後南方などにたびたび出張していたが、漣の戦没と同時期に北方第五艦隊に復帰となる。
尚、戦中在籍日数が最長であった駆逐艦は初霜であり、沈没後の除籍までのラグも含めるならば初春がこれに並ぶ。
名ありの作戦に参加した個数の最多は7個(礼号作戦含む)の霞、次点は潮と初霜の4個。
参加作戦
主な功績としては、キスカ島撤退作戦、第二・第四次多号作戦(阿武隈没後、霞指揮下)などがあり、その他参加作戦は真珠湾攻撃、セイロン沖海戦、アリューシャン作戦、アッツ島沖海戦、スリガオ海峡海戦など。
オルモック湾の第三次多号作戦でまたも司令部が壊滅した二水戦司令部の代わりに一水戦司令の木村昌福少将及びその司令部をそのまま二水戦司令部としてスライドさせて二水戦司令部としている。(一水戦参謀の星野清三郎氏曰く「看板を替えただけで実質的には一水戦」)
連合艦隊最後の勝利といわれる「礼号作戦」において、この元一水戦司令部は大いに活躍することになる。
北号作戦の完遂で本土に帰投するまでは木村少将が二水戦司令、つまりは元一水戦司令部が二水戦の看板を掲げていたのだ。
艦隊これくしょんにおいて
後期になるまで激戦区から外れ北方にいたため末期に活躍した艦が多い。したがって、改二も必然的に多い。改二・乙/丁改実装艦は、旗艦の阿武隈改二のほか、以下の通り。
駆逐隊 | 改二実装艦名 | 一水戦所属期間→異動先 |
---|---|---|
第六駆逐隊 | 響(Верный)・暁改二 | 開戦時~43年4月→第十一水雷戦隊 |
第十七駆逐隊 | 浜風乙改・磯風乙改・浦風丁改 | 開戦時~42年4月→第十戦隊 |
第二一駆逐隊 | 初春改二・初霜改二 | 開戦時~44年1月、同年8月~解散 |
第二七駆逐隊 | 時雨改二 | 開戦時~43年7月→第四水雷戦隊 |
第二四駆逐隊 | 江風改二 | 43年4月~同年7月→第二水雷戦隊 |
第十八駆逐隊 | 霞改二/霞改二乙 | 43年9月※~解散 |
第七駆逐隊 | 潮改二 | 44年1月~解散 |
※霞は43年9月~44年3月まで第九駆逐隊の所属。18駆は9駆の改称。
※44年11月に解散し、残存艦は第二水雷戦隊に統合された。司令部は木村昌福少将以下、旧一水戦司令部が「看板の架替え」で二水戦司令部となっている。
「第1水雷戦隊」任務において第七駆逐隊の残存艦の潮・曙と第十八駆逐隊の残存艦の不知火・霞の4隻を阿武隈が率いるという構図になっている。
タミヤの艦これ艦船プラモ第一水雷戦隊セットでは、阿武隈(長良型)・霞(朝潮型)・不知火(陽炎型)でセットにされていた。
そして多くの人が聞き逃しているが、ボイスにおいて電は出撃前に「第一艦隊、第一水雷戦隊、出撃です」と自称している。当然、一水戦は天龍や龍田ではなく阿武隈の水雷戦隊である。
二次創作においてはさほど数は多くないものの、イラストが散見される。
所属艦には第六駆逐隊や第十七駆逐隊など人気艦娘も数多いのだが、それぞれ駆逐隊で完結していて水雷戦隊全体に及ぶグループを扱った例はあまりない。
原因は恐らく阿武隈の入手難易度(中国では鋼八万と呼ばれるまでに手に入らないと話題になったとか)、神通や矢矧に比べて旗艦らしさが掘り下げられていなかった事、そしてなにより史実において第一水雷戦隊として活動したエピソードである『キスカ島撤退作戦』をモチーフにした3-2(キス島撤退作戦)が「軽巡を連れていけない」「その阿武隈を除いても、史実メンバーはイベントドロップでもない限り5隻しか集まらない」などの事情で各々の育った駆逐艦を使うというのが主流になっていたことか。
しかしノベライズ「陽炎、抜錨します!」漫画「止まり木の鎮守府」などで一水戦旗艦として面倒見の良い阿武隈が掘り下げられているのと、2015年の阿武隈の梅雨ボイスによる扱いの反動などから『一水戦旗艦としての阿武隈』に対して注目が集まっていた。
そして阿武隈改二の実装に伴い、遂に阿武隈が第一水雷戦隊旗艦を名乗るようになった。
2015年7月17日の阿武隈改二実装メンテナンスにより、3-2分岐条件が変更され、軽巡が旗艦なら連れて行けるようになり、さらに史実メンバーを要求する任務が実装された。 加えて、秋雲が最低値での建造が可能になった為、建造や2-5ボスで阿武隈さえ引き当てれば、あとはコモンの秋雲、響、初霜、若葉、五月雨を引き当てれば3-2を最初から史実メンバーで攻略することも可能になった。
もちろん阿武隈と建造レシピが同じであるため、同じくレア艦の島風を引き当てれば組み込むことは可能、2-4でもドロップが確認されているため、阿武隈より先に手に入ることも多いだろう。
(1-6で掘ることにより朝雲をそろえることも一応可能ではある。3-2チャレンジ中に長波と邂逅する可能性はある。残念ながら、風雲・夕雲は3-2攻略後の海域でのみでしか入手できない。)
阿武隈の正月ボイスにて「今年も、阿武隈と一水戦のみんなをどうぞよろしくお願いいたします」と言っている。
水雷戦隊旗艦として提督に話しかけてくるのは、これと二水戦の神通の2015年秋イベント限定ボイスがある。
所属水雷戦隊旗艦を自称する艦娘には、二水戦の能代・矢矧(艦歴では10戦隊のほうが長いが)と四水戦の由良改二がある。
開戦前の旗艦と部下
龍田
1920-21,22-23,26-27
天龍が二水戦旗艦を勤めていた頃、彼女が一水戦を担っていた。天龍、夕張と交代し3回担当している。
緒戦では六水戦のウェーク島攻略に加わった。錬成部隊の11水戦が結成されると旗艦となり第六駆逐隊を部下とした。
天龍
1921-22,23-25,27-28
二水戦旗艦を北上に託した後、龍田・夕張とローテーションで3回旗艦を担当。
夕張
1925-26,31-33
二水戦も経験したが一水戦旗艦も2回経験している。
2回目の部下は睦月型の22駆、23駆、30駆であり、開戦時六水戦や解散編入後の三水戦で再び指揮下に置くことになる。
神通・那珂
神通:1928-29 / 那珂:1929-30
二水戦(那珂は四水戦)で名を馳せる両名だが、1回だけ一水戦旗艦も担当している。
流石に両名とも艦娘の部下はいない。
川内
1930-31,33-34,36-40
第三水雷戦隊の代名詞である川内だが、開戦直前は川内・夕張・阿武隈で旗艦をローテーションしており、川内は3回旗艦を担当した。阿武隈の直接の先輩にあたる。
初回の部下には朝風・春風・松風の5駆(開戦時五水戦)、阿武隈に引き継いだ3度目の川内時代の部下は睦月型の30駆(開戦時六水戦)、初春型の21駆、初春型・白露型混成の9駆(開戦時の27駆)、白露型の24駆(開戦時四水戦)がいる。3度めの旗艦時の司令官には「栗田ターン」で有名な栗田健男少将もいる。
なお、艦娘春風が料理の師匠を川内と言うのは、いわゆる第一艦隊での料理コンテストで川内が優秀な成果を収めたことと、この時期5駆が隷下にあったことに由来するためと思われる。
関連タグ
第二水雷戦隊 第三水雷戦隊 第四水雷戦隊 第五水雷戦隊 第六水雷戦隊
第五艦隊 アリューシャン作戦以降基本的にこの艦隊に所属していた。