概要
2010年代の栗東トレーニングセンターを代表する調教師。
三冠馬コントレイルや春秋グランプリ連覇ホースリスグラシュー、日本調教馬初のブリーダーズカップ制覇を成し遂げたラヴズオンリーユー、同じく日本調教馬初の海外ダート重賞制覇を成し遂げたマルシュロレーヌなどの活躍馬を管理してきた。
国際派として知られ、海外のセールで外国産馬を仕入れて日本で走らせたり、管理馬の海外遠征を精力的に行っている。
トレードマークとして帽子を着用しており、2021年のブリーダーズカップで2勝を挙げた後は海外メディアから「帽子の男(The man in the hat)」と呼ばれている。
スタッフや所属騎手の育成にも力を入れ、世界を見据えた人材を育成している。
来歴
1961年
3月20日、東京都品川区に誕生。父・矢作和人は大井競馬場の調教師で、大井競馬場内で育った。学業成績に優れ神童と呼ばれた。
1973年
開成中学校に進学。周りが勉強のできる子だらけで、とてもかなわないと悟ったため勉学には情熱を失い、テニスに熱中する。
1976年
開成高校に進学。競輪、競馬、麻雀などギャンブルに熱中し、出席日数が足りなくなるほどだったが、留年することなく高校を卒業した。
1979年
大学へは行かず競馬の世界に進みたいと父に話したところ猛反対されたが、「競馬界はこれから国際化するので海外で修行を積む事」「地方競馬には未来がないので中央競馬へ行く事」を条件に許され、アテネ・フランセで英語を勉強した後、日本競馬界と環境が似たオーストラリアへ渡った。
オーストラリアではロイヤルランドウィック競馬場(シドニー)、フレミントン競馬場(メルボルン)、トゥーンバ競馬場(クイーンズランド州)で働いた。
1982年
帰国後、父の厩舎の手伝いをしながら競馬学校を受験するが不合格。大井競馬場では優れた技術を持ちながら地方競馬ゆえ日の目を見ない人々を目にし、父の言った事は正しかったと感じた。
1984年
7月、3度目の試験で合格し、競馬学校厩務員課程に入学。
10月、競馬学校を卒業し工藤嘉見厩舎(栗東トレーニングセンター)所属の厩務員となった。
1987年
3月、武田博厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。
6月、新たに厩舎を開くこととなった菅谷禎高調教師(栗東トレーニングセンター)の誘いを受けて移籍。菅谷は矢作を「ゆくゆくは調教師になる男」と考えて特別扱いし、厩舎の経営や厩舎スタッフへの対応を学ばせた。矢作は菅谷を師匠と呼んでいる。
1990年
JRAのドバイ奨学生に選ばれ、イギリスのジェフ・ラッグ厩舎で3か月間の研修を行った。
1991年
暴力団幹部を相手に喧嘩し、警察から事情聴取を受け書類送検となった。調教師試験を受験するが不合格。周囲から「JRAは事件を起こした奴を調教師にはしない」と言う声が聞こえてきて勉強に熱が入らなかった。
2002年
9月、菅谷が死去し、武田博厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。
12月、大久保龍志厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。
2003年
8月、島崎宏厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。
2004年
14回目で調教師試験に合格。父から借金し、開業までの1年を生産者巡りや海外の競走馬セール視察などに充てた。
2005年
3月、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。解散した松永善晴厩舎から管理馬を引き継いだが、スタッフの大部分は同年に開業した河内洋厩舎へ移籍し、矢作の厩舎のスタッフは年配者だらけで、馬に乗れる者は2人しかいないという厳しい状況からのスタートとなった。
3月26日、中京競馬第9競走で管理馬テンザンチーフが初勝利。
2007年
10月27日、スワンステークスでスーパーホーネットが勝ち、重賞初勝利。
2009年
年間47勝を挙げ関西リーディングトレーナーとなる(全国2位)。
2010年
12月19日、朝日杯フューチュリティステークスでグランプリボスが勝ち、GⅠ初勝利。
2014年
年間54勝を挙げ全国リーディングトレーナーとなる。
2016年
3月3日、ドバイターフ(UAE)でリアルスティールが勝ち、海外重賞初勝利。
2019年
2020年
コントレイルが牡馬クラシック三冠を達成。最多勝利調教師・最多賞金獲得調教師・優秀技術調教師を受賞。
2021年
11月6日、ブリーダーズカップ(アメリカ)でラヴズオンリーユーがフィリー&メアターフ、マルシュロレーヌがディスタフを勝利。
2023年
2月25日、パンサラッサが世界最高賞金(約13億円)のサウジカップ(サウジアラビア)に勝利。
8月、矢作厩舎の外厩施設となる真狩サマーステーブルを北海道真狩村に開設。