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矢作芳人の編集履歴

2024-05-03 14:44:49 バージョン

矢作芳人

やはぎよしと

JRA(日本中央競馬会)・栗東トレーニングセンターに所属する調教師(1961〜)。

概要

JRA日本中央競馬会)・栗東トレーニングセンターに所属する調教師

1961年東京都生まれ。


2010年代栗東トレーニングセンターを代表する名調教師の一人。

三冠馬コントレイルや春秋グランプリ連覇ホースリスグラシュー、日本調教馬初のブリーダーズカップ制覇を成し遂げたラヴズオンリーユー、同じく日本調教馬初の海外ダート重賞制覇を成し遂げたマルシュロレーヌなどの活躍馬を管理してきた。


同時に国際派トレーナーとして知られており、海外のセールで外国産馬を仕入れて日本で走らせたり、管理馬の海外遠征を精力的に行っている。

また、スタッフや所属騎手の育成にも力を入れ、世界を見据えた人材を育成している。


トレードマークとして帽子を着用しており、2021年のブリーダーズカップで2勝を挙げた後は海外メディアから「帽子の男(The man in the hat)」と呼ばれている。


来歴

1961年

3月20日、東京都品川区に誕生。父・矢作和人大井競馬場の調教師で、母の矢作タキは史上初の天皇賞母子制覇を成し遂げたトウメイテンメイ母子を手掛けた坂田正行調教師の妹にあたる。


大井競馬場内の厩舎の2階で育ち、そのような環境や小学生時代にハイセイコーブームが到来したことで競走馬のみならず競馬そのものに興味を抱くこととなる。

一方で学業成績でも優れており、周りからは神童のような扱いを受けていたという。


1973年

名門校である開成中学校に進学。

しかし周りが勉強のできる子だらけで、とてもかなわないと悟ったため勉学に情熱を失い、テニスに熱中した。


1976年

開成高校に進学。

高校進学後は新たに競輪競馬麻雀などギャンブルに熱中し、出席日数が足りなくなるほど遊び回った。その中で物事にセオリーがあること、それを知った上で勘を働かせることが大事であると知ったという。

それを活かして、留年することなく高校を卒業した。


また、同級生の大半が東京大学医学部へ進路を定める中で勉強に嫌気が差していたが、そんな中で「金を稼ぐために好きでもないことを仕事にしたら、人生地獄だ」という教師の言葉を参考に、競馬の世界に進むことを決めたという。


1979年

大学へは行かずに競馬の世界に進みたいと父に話したところ猛反対されたが、「競馬界はこれから国際化するので海外で修行を積む事」「地方競馬には未来がないので中央競馬へ行く事」を条件に許され、アテネ・フランセ英語を勉強した後、日本競馬界と環境が似たオーストラリアへ渡った。

オーストラリアではロイヤルランドウィック競馬場シドニー)、フレミントン競馬場メルボルン)、トゥーンバ競馬場クイーンズランド州)で働いた。


1982年

帰国後、父の厩舎の手伝いをしながら競馬学校を受験するが不合格。大井競馬場では優れた技術を持ちながら地方競馬ゆえ日の目を見ない人々を目にし、父の言った事は正しかったと感じた。


1984年

7月、3度目の試験で合格し、競馬学校厩務員課程に入学。

10月、競馬学校を卒業。叔父の坂田正行調教師を頼って栗東へ行き、工藤嘉見厩舎(栗東トレーニングセンター)を紹介してもらい厩務員となった。


1986年

調教助手となる。


1987年

3月、武田博厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。

6月、新たに厩舎を開くこととなった菅谷禎高調教師(栗東トレーニングセンター)の誘いを受けて移籍。菅谷は矢作を「ゆくゆくは調教師になる男」と考えて特別扱いし、厩舎の経営や厩舎スタッフへの対応を学ばせた。矢作は菅谷を師匠と呼んでいる。


1990年

オーストラリアでの修行時代に知遇を得ていたJRA常務理事・佐藤雄三の口添えでドバイ奨学生としてイギリスへ留学し、ジェフ・ラッグ厩舎で3か月間の研修を行った。


1991年

こうして将来を嘱望されるようになっていった中、暴力団幹部を相手に喧嘩沙汰を起こし、警察から事情聴取を受け書類送検となった。調教師試験を受験するが不合格。周囲から「JRAは事件を起こした奴を調教師にはしない」と言う声が聞こえてきて勉強に熱が入らなかった。


2002年

9月、菅谷が肝不全で死去し、武田博厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。

12月、大久保龍志厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。


2003年

8月、島崎宏厩舎(栗東トレーニングセンター)へ移籍。


2004年

14回目で調教師試験に合格。父から借金し、開業までの1年を生産者巡りや海外の競走馬セール視察などに充てた。


2005年

3月、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。解散した松永善晴厩舎から管理馬を引き継いだが、スタッフの大部分は同年に開業した河内洋厩舎へ移籍し、矢作の厩舎のスタッフは年配者だらけで、馬に乗れる者は2人しかいないという厳しい状況からのスタートとなった。

3月26日、中京競馬第9競走で管理馬テンザンチーフが初勝利。


2007年

10月27日、スワンステークススーパーホーネットが勝ち、重賞初勝利。


2009年

年間47勝を挙げ関西リーディングトレーナーとなる(全国2位)。


2010年

12月19日、朝日杯フューチュリティステークスグランプリボスが勝ち、GⅠ初勝利。


2014年

年間54勝を挙げ全国リーディングトレーナーとなる。


2016年

3月3日、ドバイターフUAE)でリアルスティールが勝ち、海外重賞初勝利。


2019年

リスグラシューが管理馬初の年度代表馬に選出された。


2020年

コントレイルが牡馬クラシック三冠を達成。最多勝利調教師・最多賞金獲得調教師・優秀技術調教師を受賞。


2021年

11月6日、ブリーダーズカップアメリカ)でラヴズオンリーユーフィリー&メアターフマルシュロレーヌディスタフを勝利。


2023年

2月25日、パンサラッサが世界最高賞金(約13億円)のサウジカップサウジアラビア)に勝利。

8月、矢作厩舎の外厩施設となる真狩サマーステーブル北海道真狩村に開設。


主な管理馬


所属騎手

坂井瑠星 古川奈穂


関連タグ

調教師 JRA 栗東トレーニングセンター

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