空海
くうかい
曖昧さ回避
空海
弘法大師(こうぼうだいし)の号でも知られる真言宗の開祖。
774(宝亀5)年、讃岐(香川県)の生まれ。屏風浦(香川県善通寺市)に育つ。
俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお(まな))。実家である佐伯氏は代々郡司(地方官僚)の家柄で、眞魚は幼き頃より利発であったことから両親の期待を背負い、また心根の優しさから「田畑と共に日々を生きるに懸命なる人々を救う術」を求めて勉学に励み、都の大学で明経(儒学の一種。当時の高級官僚に必要とされた常識)を学んだ。
しかし、それに飽き足らず「政治(明経)では人を救えない」として、より人々を助ける道を求めて仏道を学び、その結果として出家を求め、これを自らのものとすべく、19歳より出身地である讃岐を皮切りに人も寄らぬ辺境の地を巡る修業の道を往く。(伝承上ではこれがお遍路である四国八十八箇所の始まりとされる)
四国の山野を巡る荒行を幾度も行った末、土佐国(高知県)の室戸岬にある洞窟である御厨人窟(みくろど)に籠りて悟りを開き、その際に自らが洞窟より見た光景が空の青と海の青のみで彩られた、全き青き光景であったことから自身の法号を「空海」と称したとされ、この悟りに導かれ再び都へと赴き、改めて都にて師を得てのち出家へと至る。
この頃は、政治と宗教が密接に成り過ぎて、僧侶による朝廷内で汚職や権限の乱用が発生するなど、仏教の権限が失墜を始めていた頃であり、状況を憂いていた彼は天台宗開祖最澄(伝教大師)と共に、唐(中国)へ渡り、天竺(インド)より渡来した般若三蔵法師より真言(サンスクリット語)の基礎と最新の経典を学んだのち、長安青龍寺へと赴いて当時、真言密教の高僧として名高かった恵果和尚に学び、半年で門下大阿闍梨へと上り詰めて「遍照金剛」の阿闍梨号を得たのち、日本に帰国。この日本に真言密教と当時最高峰の土木灌漑技術をもたらした。
和歌山の高野山金剛峯寺や京都の東寺を開き、真言宗を大成して布教に努めた。
嵯峨天皇・橘逸勢と並び、三筆の一人に数えられる能書家であり、「弘法も筆の誤り」、「弘法筆を選ばず」などの諺の元にもなっている。実際にはちゃんと筆を選んでいたらしい。
また、空海が訪れたという伝承が各地に存在し、とくに四国に数多く残っている。超人的伝説も多い。当時の四国は現在以上に水不足に悩まされた乾燥地帯であったため、産業を興すことも並大抵ではなかった。これを憂いた時の天皇である嵯峨天皇は空海に地域の利水灌漑工事を行う事を命じる。さらには、その拠点として地方各地の廃寺を復興させることも重ねて命じた。こうして空海が唐から持ち帰った技術で改修されたのがアーチ形堤防・満濃池である。この事より四国のみならず全国各地に弘法水伝説(各地の井戸や泉や灌漑施設を弘法大師が開いたとする伝説)が伝えられる事となった。
風呂敷や讃岐うどんを発明した、いろは歌の考案者である、日本に衆道を伝えた等々、真偽不明の伝説からあからさまに嘘の話まで流布している。
一人の人間が為すにはあまりにも多すぎるため、元祖がわからないものをとりあえず空海が考案したとしていることも多い。
また、空海伝説の一つである「虚空蔵山」と付く山はあちこちにあり空海が修行に励んだ山としての伝説として語り継がれている。
835年4月22日(承和2年3月21日)に入定。しかし真言宗においては「生きたまま仏の世界に入った」ものとしており、現在でも高野山の奥にて生存をしているものと見なしている。
921(延喜21)年、醍醐天皇により弘法大師の諡号が下賜される。
1098(承徳2)年、土佐国の金剛頂寺(四国八十八箇所26番)11世・蓮薹により南無大師遍照金剛の「大師宝号」が唱えられ、以降、真言宗の唱え文となった。
ちなみに修験道のひとつである、天台宗時門衆(天台時門宗/天台時門派。本山は大津市の三井寺こと園城寺)の開祖とされる、空海・最澄と同じく入唐八家のひとりとして数えられる円珍(智証大師)は、空海の甥御(あるいは姪の子)とされる。
十住心論
空海の代表的な著述書の一つで、正確には『秘密曼陀羅十住心論』と言われ、830年頃に淳和天皇の勅に応え、真言密教の体系を述べた書物で、『三論宗』『法相宗』『華厳宗』『律宗』『天台宗』『真言宗』の六宗から出された、各宗の教義解説書である『天長六本宗書』の一つに数えられている。
人間の精神と思想の発展段階を十段階で表しており、最下層の『異生羝羊住心(いしょうていようじゅうしん)』は「煩悩にまみれた心」という意味で、『獣(恐らく畜生)』を指している。
余談だが、その上の『愚童持斎住心(ぐどうじさいじゅうしん)』は孔子の『儒教』における思想の境地を指し、更に一つ上の『嬰童無畏住心(ようどうむいじゅうしん)』は、老子と荘子の『老荘思想』の境地のことである。
1 | 異生羝羊住心 | 人間以前、倫理道徳以前の状態 |
---|---|---|
2 | 愚童持斎住心 | 倫理に目覚めた段階の心の状態 |
3 | 嬰童無畏住心 | 世間の苦しみを知らず安らかな状態 |
4 | 唯蘊無我住心 | 宗教的認識の第一段階の心 |
5 | 抜業因種住心 | 法則を知り、迷いの元、業の原因、種子を抜く境地 |
6 | 他縁大乗住心 | 大乗仏教の最初の段階 |
7 | 覚心不生住心 | 空寂の自由の境地 |
8 | 一通無為住心 | 法華・天台の境地 |
9 | 極無自性住心 | 華厳宗の心の段階 |
10 | 秘密荘厳住心 | 真言秘密の境地 |
人間往来『空海』
関連イラスト
創作での空海
地方出身者である事、出家前から野山を駆けて求道を極めんとし、密教における徒弟関係の順守を基調とする体育会系なエピソード、朝廷が設定した留学年数を無視し早々に切り上げて帰って来た事、そして同時代を生きた全く正反対の最澄(都の名門出身、官僚的デスクワーカー&ホワイトカラーイメージ、文化会系気質)との対比から、大抵は身分や形式的な手続や根回しを唾棄する度を越えた実力主義者の側面が強調されたり、傲岸不遜で荒々しい人物として描かれるケースが多い。(各地の空海伝説の中にも自分に無礼を働いた者には非常に容赦が無い描写がとても多い)
一方で、それに灌漑工事の現場指揮者というブルーカラーな親方気質、その中で得た地方の民に寄り添う姿勢などから形式にとらわれない人格者(変な高望みなどせず、ささやかな幸せを守りたい無垢な庶民にはとても優しい人物)として描写される場合もある。
- 夢枕獏の『沙門空海シリーズ』(上述、曖昧さ回避「2.」の原作)では軽妙洒脱にして豪放磊落(そして傲岸不遜)な人物として描かれる。未だ恵果師の下に在らぬか、あるいは在っても修行の浅き(沙門)の身であり、同じく長安で学ぶ留学生であるクソ真面目学生橘逸勢と共にどっかのコンビのような冒険を繰り広げる。(まぁ、作者同じだし……)
- 『ラヴヘブン』:空海(ラヴヘブン)を参照。
- 乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはHRでの登場。
- 銀色の短髪に紫目の眼鏡をかけた男性。主人公に召喚され、異世界にやってきたが見知らぬ世界にきても落ち着いているようだ。
- 『トニカクカワイイ』(畑健二郎):平安時代、讃岐国の我拝師山(現・善通寺市)で司に助けられた少年"眞魚"として登場。司を「姉様」と慕い、彼女から様々な事を教えられる。