概要
アリエン・ロッベン( 1984年1月23日~)とは、元サッカー選手。ポジションはフォワード(CF、WG)、ミッドフィルダー(SH)。利き足は左。現役時代は主にバイエルン・ミュンヘンなどでプレーした。オランダ代表としても活躍。怪我が多いことからガラスの男などと言われる。
来歴
クラブ経歴
オランダの田舎、フローニンゲン州Vベドゥムで生まれた。ヴィスレイ・スナイデルやロビン・ファン・ペルシといったオランダ出身の名選手はアムステルダム近郊出身者がほとんどのため、地元の象徴的な選手となっている。
徐元のクラブ、VVベドゥムでサッカーを始め、2000年、エールディビジのFCフローニンゲンでプロデビュー。その後2002年にオランダの名門、PSVに移籍。この年に12得点を挙げたことが評価され、エールディビジの最も優秀な若手に贈られるヨハン・クライフ賞を受賞した。
2004年、プレミアリーグのチェルシーFCに移籍。しかし、精巣腫瘍を患ったりケガが相次いだりしたことに加え、バロンドール受賞歴もあるアンドリー・シェフチェンコの加入によるシステム変更などが重なり目立った活躍はできなかった。
2007年、リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリードに移籍。ポジションを確保するもののこちらでも怪我が相次ぐ。クリスティアーノ・ロナウド加入による金銭補填のために移籍。
2009年、ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンに移籍。移籍初年度から10番を託される。そして、このチームでロッベンは栄光を掴むことになる。フランク・リベリーと共に両ウイングからのドリブル突破で得点を決めまくる。2010年にはドイツ年間最優秀選手を受賞した。8度のブンデスリーガ優勝。1度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝、クラブワールドカップ優勝などチームにも数多くのタイトルをもたらした。
2019年、現役引退を発表。
2020年、古巣フローニンゲンにて現役復帰。開幕戦で先発出場するも負傷交代となったが、復帰戦では2アシストを決めた。
2021年、2度目の引退を発表。
代表経歴
2003年、親善試合のポルトガル戦で代表デビュー。2006年のFIFAワールドカップドイツ大会でワールドカップデビューし、セルビア・モンテネグロ戦でワールドカップ初得点。オランダはベスト16で敗退した。
EURO2008にも召集される。初戦こそ欠場するも第2戦のフランス戦で復帰し得点を挙げる。オランダはベスト8で敗退。
2010年のワールドカップにも召集される。直前にハムストリングを負傷。グループリーグの1,2戦目は欠場し、3戦目のカメルーン戦から復帰。オランダは決勝に駒を進めるものの、ロッベン一人に攻撃を任せるカウンター狙いの攻撃がはまらずスペインに敗れ準優勝となった。この大会後、筋断裂が判明し、オランダ代表とバイエルンの関係が一時悪化することになる。
2012年のEUROにも召集されるもののオランダは一勝もできず敗退。自身も無得点に終わる。
2014年のワールドカップでは初戦のスペイン戦、4年前の雪辱を晴らす2得点で快勝に貢献。オランダも準決勝に進出するもアルゼンチンにPK戦で敗れる。3位決定戦のブラジル戦には勝利し、自身最後のワールドカップを3位で終える。
2018年のロシアワールドカップはオランダがヨーロッパ予選で敗退し出場できず。敗退が決まった後、代表からの引退を発表。
人物
選手としての特徴
センターフォワードやサイドハーフもこなすが、最も得意なポジションは右ウイング。「分かっていても止められない」と評されるカットインが武器で、カットイン後に放たれるコントロールシュートの精度も高い。本人も「俺がカットインする事をディフェンダーが分かっていることを俺も分かってる」と語っているほど。サッカー界屈指の俊足で、前述した2014年ワールドカップのスペイン戦ではサッカー史上最速といわれるぶち抜きからゴールを奪った。
その一方、怪我が多く1年通して稼働できないのが欠点。また、エゴイストな面も強く彼のいるチームは「10人+ロッベン」などと称されることも。2010年ワールドカップ決勝での強引にシュートを打ちに行く姿勢がチームメイトから苦言を呈された。
その他の特徴
・引退後マラソンに挑戦。2時間58分33秒を記録するなど相変わらずの快速を見せつけている。
・髪の毛は2323。チームメイト曰く若い頃から。本人は気にしており、イジられるとフォークを投げつけたことも。
・オランダ代表のチームメイトである、ヴィスレイ・スナイデルとはクラブで10番を背負う、レアルに移籍するも活躍できず、2323など共通点が多い。