この言葉のもとの意味は英語であり、Westernと綴られる。
pixivのタグとしてはほぼすべてが西部劇、あるいは西部風ファッションという意味で使用される。この項目では西部劇全般に関し解説したのち、映画「ウエスタン」に関して説明を行う。
西部劇
この映画や小説のカテゴリは、おおざっぱに説明すると北米、特にアメリカの西部開拓時代、年代で示すと19世紀後半の物語であり、フロンティアスピリッツ(開拓者精神)を持つ主人公がならず者や先住民といった敵と戦闘する、というプロットが多い。日本でいうところの時代劇のようなものだろうと思われる。
この種の映画は20世紀、サイレント映画の初期にはすでに撮影公開されていたとされ、トーキー映画の時代にも引き続き撮影公開されたが、これらの映画は低俗な娯楽映画として低予算で作られたため一旦観客に飽きられた。
この分野の第一の復活は1930年代の終わりであった。有名な監督としてはジョン・フォード(高校卒業後映画界に入り俳優として活躍、監督となり、1920年代から盛んにこの種の劇を撮影した。そのほかにも歴史ものなどの映画を撮影しアカデミー賞監督賞を3度受賞。西部劇ではモホークの太鼓、駅馬車など、それ以外では怒りの葡萄、わが谷は緑なりきなどがある。また、ジョン・ウェインを見出したことでも有名)などがあげられる。
このころのこの作品のプロットは「荒野に一人、何かを守るために敵と対峙するフロンティアスピリッツを是とする主人公(白人)」という作品が多く、アメリカ移住者に多数存在したプロテスタント的価値観にあふれた者であったとされる。
また、新たなメディアであるテレビのコンテンツとしてもこれらの作品は利用された。
しかしその構図も徐々に崩れることとなる。第二次世界大戦後、1950年代にはこれらの価値観のほかに複数の価値観が生まれたことにより、単純な勧善懲悪がはやらなくなったこと、先住民や黒人の描かれ方(両社ともに史実を全く無視してテンプレート的に描かれていることが多かった)に疑問が生まれたこと、さらには主人公の人間らしさのみを焦点においた作品なども生まれたこともあり、それまでの戦いの原因などに触れないような単純なプロットの作品ははやらなくなっていった。
さらに、アメリカ国内ではジョン・F・ケネディ大統領による映画の製作コードの変更や映画作成にかかる費用の増大により、製作のコストが安く比較的自由に撮影可能なイタリアなどの外国で撮影されるようになった。これらの作品はマカロニウエスタン(日本だけでの呼び名、アメリカなどではスパゲッティウエスタン)と呼ばれ、当初は古いアメリカの作品と比べ新鮮な目で見られたものの、それが一般化するにつれ暴力描写等が過激に、さらにはそれ自体のパロディへと変化し、結局マカロニウエスタンは作られ始めてから10年程度、ヒットからは6年程度で飽きられることになった。
現在でもこの種の映画は作成され、小説なども作品も作られてはいるものの、当時のようなヒット作はあまり存在しないものとなっている。
参照
関連タグ
映画
ウエスタン(原題:C'era una volta il West、英語ではOnce Upon a Time in the West)は、1968年にイタリア(日本では翌年公開)で公開された映画である。
この作品の監督はマカロニウエスタンの名手と当時言われていたセルジオ・レオーネ、音楽はやはりマカロニウエスタンには欠かせないエンニオ・モリコーネであった。
役者は主演:チャールズ・ブロンソン、共演:ヘンリー・フォンダ(アメリカの俳優、西部劇の代表作品として荒野の決闘、他の作品では怒りの葡萄、十二人の怒れる男、舞台ミスタア・ロバーツなど)、クラウディア・カルディナーレ(イタリアの女優、代表作品として山猫{ジュゼッペ・ランペドゥーサの小説をルキノ・ヴィスコンティ監督が映画化した作品}など)などであった。
この映画は監督の代表作としても有名であるが、それ以上に西部劇の金字塔とまで言われることがある。
作品に関して
この作品の舞台はそれまでの開拓時代まっただ中ではなく、西部開拓がもうすぐ終わる時代という設定であり、それまでのマカロニウエスタンとは全く異なり、物語の流れからもこの作品は伝統的な西部劇に近いといわれており、監督の「衰退に向かうハリウッド製西部劇への別れ」が込められているとされる。またこれまで監督は作品中に主要な役で女性を登場させることは少なかったが、この作品では登場させた。しかも登場させたのは今までの西部劇にありがちな「助けを待つ女性」ではなく、「自らの強い意志を持つ女性」であった。
そのほか
この作品の興業であるがアメリカでは(それまで「アメリカの良心」を表していたようなヘンリー・フォンダが悪役をやることもあり)それほどよくなかったもののヨーロッパや日本では好評であったとされる。
なおこの作品は監督の作品の中では「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の第一作目(ほかの作品は「夕陽のギャングたち」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」)といわれる。