概要
馬名はロシア出身の作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーから。
主な勝ち鞍はジュライカップ(1999年)、ナンソープステークス(1999年)などで、マイラーが多いヌレイエフの他の産駒と違い短距離を得意とした。
アメリカ・ニュージーランド・日本で種牡馬として好成績をおさめた。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
父 | ヌレイエフ |
母 | ファイアザグルーム(母父:ブラッシンググルーム) |
生産者 | R・D・ハバード、E・C・オールレッド、C・Sシュチェスニー |
馬主 | マイケル・テイバー&スーザン・マグナー |
調教師 | エイダン・パトリック・オブライエン(アイルランド) |
競走成績 | 8戦3勝 |
略歴
1996年
5月1日、ケンタッキー州の牧場で誕生。
父・ヌレイエフはノーザンダンサーの後継種牡馬の一頭。母・ファイアザグルームはアメリカで競走生活を送り16戦8勝(重賞3勝)の成績を挙げている。母父・ブラッシンググルームは24頭のGⅠ馬を輩出した大種牡馬。
1997年
7月、キーンランドセールに出品され、クールモアグループの代理人ダーモット・オブライエンが落札。クールモアグループ代表ジョン・マグナーの妻(スーザン・マグナー)とマグナーの盟友マイケル・テイバーの共同所有となる。
小柄ながら筋肉質でたくましい馬体だった。
クールモアグループの専属調教エイダン・オブライエンに預けられ、バリードイル(アイルランド)にある厩舎に入った。
1998年
8月20日、マイケル・キネーン騎手を鞍上にヨーク競馬場(イギリス)の未勝利戦(芝6ハロン)でデビューし1着。
9月19日、ロンシャン競馬場(フランス)のサラマンドル賞(GⅠ)に出走。直線で最後方から追い込んでアルジャブルに半馬身差2着で入線したが、進路妨害で6着に降着処分となる。
10月17日、ニューマーケット競馬場(イギリス)のデューハーストステークス(GⅠ)に出走。直線で伸びを欠き、ムジャヒドの3着に敗れた。
1999年
5月28日、カラ競馬場(アイルランド)のラフタウンステークスに出走。これといった実績馬がいなかったが、131ポンドの斤量が堪えてターファーの2着に敗れた。敗戦により英愛の2000ギニーへの出走は回避となった。
6月16日、アスコット競馬場(イギリス)のジャージーステークス(GⅢ)に出走。直線で伸びを欠き、ロッツオブマジックの4着に敗れた。
7月8日、ニューマーケット競馬場のジュライカップ(GⅠ)に出走。残り1ハロンで先頭に立つと後続を引き離し、コースレコードで重賞初勝利。
8月19日、ヨーク競馬場のナンソープステークス(GⅠ)に出走し1着。
11月6日、ガルフストリームパーク競馬場(アメリカ)のBCスプリント(GⅠ)でダート競走に初挑戦。直線で伸びを欠き、アータックスの6着に敗れた。これを最後に引退となり、カルティエ賞最優秀短距離馬に選出された。
2000年
アイルランドを拠点に種牡馬生活を開始し、オーストラリアやニュージーランドでもシャトル種牡馬として供用された。
2003年
初年度産駒がデビューし、北米とニュージーランドの新種牡馬ランキング1位を獲得。コンゴウリキシオーの活躍で日本でも注目された。クールモアはストラヴィンスキーを日本軽種馬協会所有の種牡馬デヒアと交換する事となる。
2006年
日本軽種馬協会に購買され、日本に輸入される。静内種馬場で種牡馬として供用された。輸入後もニュージーランドへのシャトルは続いた。
2014年
日本軽種馬協会の九州種馬場に移動。
2018年
種牡馬を引退。日本軽種馬協会の静内種馬場で余生を過ごす。
2023年
11月21日、老衰のため死亡(27歳)。
主な産駒
バルモント ベンバウン キーニンスキー ミスターバリトン ソルジャーズテイル セレナーデローズ コンゴウリキシオー