チーム横典
ちーむよこてんもしくはちーむよこのり
- 実在人物を描いた作品群、いわゆるナマモノジャンルにあたる。実在の競走馬・競馬関係者の印象を損なうような表現は避けること。
- アプリリリース以降、一部のユーザーが本タグに該当する作品の存在や関連するネットミームを騎手本人に伝える事例が散見されるが、ナマモノの基本的なルールとして、創作の題材となっている本人に当該作品を閲覧させるような行為は基本的にマナー違反である。特にSNSへの投稿を行う際には検索避けを徹底するなど、本人や関係者、一般のファンなどの目に本タグを付した作品が触れないような配慮を心がけられたい。
- 応援してくださっているファンの皆さまにご注意いただきたいこと - ウマ娘プロジェクト
- 「ウマ娘 プリティーダービー」の二次創作のガイドライン - ウマ娘プロジェクト
ウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘のうち、元の史実馬が横山典弘騎手に縁深いキャラが2人以上描かれたイラストにつけられるタグ。
横山典弘(1968年東京都生まれ・1986年騎手デビュー)は、JRA・美浦トレーニングセンター所属(フリー)の騎手。
1990年、キョウエイタップでのエリザベス女王杯制覇を皮切りに、メジロライアンで宝塚記念(1991年)、サクラローレルで天皇賞(春)(1996年)、ホクトベガでフェブラリーS、帝王賞、南部杯(いずれも1996年)と川崎記念(1997年)、タイキシャトルでマイルチャンピオンシップ(1997年)を制覇。
1998年はセイウンスカイで皐月賞、菊花賞の二冠を達成、その後2009年にロジユニヴァースで日本ダービーを制し、50歳を過ぎた現在でも日本トップクラスのジョッキーとして活躍し続けている。息子の横山和生・横山武史もまた騎手であり、時には親子3人揃ったレースもある。
その一方で、「ノリポツン」とも称される周りの馬から距離を置いて最後方に位置取る騎乗や、その原因となったホクトベガとの悲しいエピソード、騎乗馬について雄弁に語った際に負けることから「ノリが吹いたら切れ」という都市伝説を生むなど、個性豊かな騎手としても有名。
騎乗馬たちとのエピソードも多く、「ノリ(ノリさん)」のニックネームで多くの競馬ファンたちから愛されている。
あくまで競馬/ウマ娘ファン間でのネタであるためはっきりした基準はないが、以下のような馬たちがメンバーとみなされることが多い(掲載は年代順)。
メジロライアン
(Mejiro Ryan、1989~92現役、牡・鹿毛)
父:アンバーシャダイ、母:メジロチェイサー、母父:メジロサンマン
勝鞍:宝塚記念(91)
クラシックやその後の有馬記念などではアイネスフウジンやオグリキャップ相手に惜敗を重ねたものの、GI6度目の出走となる宝塚記念で勝利をつかみ取った馬。
種牡馬としてもメジロブライトやメジロドーベルなどの活躍馬を輩出した。
横山騎手の騎乗は1989年10月29日に行われた京都競馬場での未勝利戦から。以後、葉牡丹賞で安田富男に乗り換わった以外は横山騎手が一貫して鞍上を務めた。
このころ、まだ若かった横山騎手はやんちゃかつ生意気で、ことあるごとに「メジロライアンが一番強い」と吹いて回っていたという。
しかし、メジロライアンは若さゆえか惜敗続きで、馬主であるメジロ牧場側からも騎手交代の声が聞こえてしまう。
横山騎手は「ライアンが一番強いことは間違いない。負けたのは自分のせい」と猛省し、次走の宝塚記念は「これで負けたらもう強いとは言わない。」という強い覚悟を持って騎乗。これまでとは一転した先行策をとり、見事ライアンをG1制覇へと導いた。
本人にとって、自身を成長させてくれた馬として思い入れが深く、ライアンの引退式では実力通りに勝たせてあげられなかった不甲斐なさと自分を育ててくれた感謝の思いから涙を流した。
その後もライアンへの思いは変わらず、「今日の僕があるのはライアンのおかげ」「ライアンが一番強いという思いは変わらない」と今でも口にし続け、ライアンが死去した際には墓碑の建立資金も提供した。
セイウンスカイ
(Seiun Sky、1998~2001現役、牡・芦毛)
父:シェリフズスター、母:シスターミル、母父:ミルジョージ
勝鞍:クラシック二冠(98)
デビュー前に父が売却処分され、自身も見た目の悪さからなかなか入厩先が決まらないなどの逆境から這い上がり、クラシック二冠馬にまで下剋上を果たした馬。
横山騎手の騎乗は1998年の皐月賞からで、同馬での皐月賞勝利は横山騎手にとって初のクラシック制覇である。
菊花賞では、前半をハイペースで飛ばす→中盤にペースダウンして体力を温存→後半で末脚を発揮し逃げ切るという戦法で巧みに後続を翻弄。このレースは現在でも人馬一体の神騎乗として名高い。
後に横山典弘騎手の息子である横山武史騎手がタイトルホルダーとセイウンスカイと同じ戦法で菊花賞を逃げ切り勝ちしており、その際にも話題となった。