ナウマンゾウ
なうまんぞう
ヤベオオツノジカとハナイズミモリウシと共に、旧石器時代の日本列島の大型陸棲哺乳類を代表する種の一つである。
明治時代初期、横須賀で最初の化石が発見され、ドイツのお雇い外国人であり当時の東京大学地質学教室の初代教授ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって研究・報告された。その後1921年に浜名湖北岸、現在の静岡県浜松市西区佐浜町の工事現場で牙・臼歯・下顎骨の化石が発見された。
京都帝国大学理学部助教授の槇山次郎は1924年に、インドに生息した古代のゾウ「ナルバタゾウ」の新亜種であるとしてこれ等の化石を模式標本とし、ナウマンにちなんでエレファス・ナマディクス・ナウマンニと命名した。一方同じ年に、東北大学教授の松本彦七郎は臼歯の形からアフリカゾウに近いと考えて同じ化石にパレオロクソドン・ナウマンニと命名した。現在では本種もナルバタゾウもエレファス属ではなくパレオロクソドン属と判明しているが、種小名により和名はナウマンゾウで呼ばれることになった。
1962~1965年まで長野県の野尻湖で実施された4次にわたる発掘調査で、大量のナウマンゾウの化石が見つかり、多くのことが分かった。また東京都内でも1976年に地下鉄都営新宿線浜町駅付近の工事中に3体分の化石が発見されて以来20箇所以上で発見されている。
体高2.5~3メートルで、現生のインドゾウと比べるとやや小型である。中国大陸のナウマンゾウは日本にいたものよりもかなり大型である(参照)。
日本産のは、同じく日本列島で最も成功した象類であるトウヨウゾウやアケボノゾウに近い大きさで、体高は2メートルまたは2.4メートル程度だったと思われるが、これが日本列島における「島しょ矮小化」と呼ばれるサイズシフトの安定型である可能性はある。実際、アケボノゾウの胴長短足の体型は山岳地帯に適しているともされる(一応、現生のゾウも時には山に生息していたりする)。
- 日本列島は元々狭くて国土の大半が険しい地形に占められており、食べ物が限られている。さらには、大陸と繋がったり離れていたりを繰り返しただけでなく、海水面の上昇や気温の変動によって何度も生物淘汰が起こってきた。結果、「島しょ巨大化」が一部の生物で起こるものの、一般的には哺乳動物が小型化しやすく、メガファウナの種類も生態系のニッチ毎に限られやすい。
- だが、決して最小のゾウ類ではなく、小さな島などにいたゾウやマンモスの種類は体高が人間の腰にも満たなかった。ナウマンゾウに近縁な象類に限っただけでも、最大と最小ではこんなに差がある。これは恐竜にも見られた現象であり、たとえばエウロパサウルスはブラキオサウルスの仲間でありながら非常に小さい。
当初は熱帯性の動物で長い毛を持っていないと考えられていたが、野尻湖発掘によりやや寒冷な気候のもとにいたことが判明した。氷期の寒冷な気候に適応するため、マンモスのように皮下脂肪が発達し全身は体毛で覆われていたと考えられている。北海道では一時期マンモスと共存していたことも判明している。牙は発達しており、雄では長さ約240センチ、直径15センチほどに達した。牙は小さいながらも雌にも存在し、長さ約60センチ、直径6センチほどであった。
ナウマンゾウなどのように大型の動物の歯や骨の化石は「龍骨(竜骨)」と呼ばれ、古くから収斂薬、鎮静薬などとして用いられてきた。正倉院に宝物として保存されている「五色龍歯」は本種の臼歯の化石である。
野尻湖畔からは本種などの化石と共に旧石器時代の石器や骨器が見つかっており、本種もマンモスと同様に当時の人類の狩猟の対象であった可能性が高い。日本では約2万年前に絶滅したとされるが、これは日本列島に現生人類が現れた後期旧石器時代にあたる。
ナウマンゾウやヤベオオツノジカやハナイズミモリウシなどは、最終氷期以前の氷河期と温暖期を生存してきているため、人間の影響がなければ最終氷期の気候変動を生き延びた可能性もある。
- ナルバダゾウは、パラケラテリウムと並ぶ史上最大の陸生動物とされている(参照)。
- 実は近縁種が大陸では14世紀まで生存していたのではないかとする意見が出されているが、実情は不明であり現時点では科学的な根拠に乏しい。