概要
本編には名前はおろかその存在もほとんど匂わせていない裏設定的な存在。
ただし、主人公の相田マナのキャラ設定にいろいろな影響を与えている。
四葉ありすの兄で、四葉家の長兄。四葉財閥の御曹司でありながら大貝第一中学校に進学、卒業している。ちなみに元生徒会長。
家業を継ぐことを嫌って、現在は世界各地を放浪している、所謂放蕩息子。そのため父である四葉星児との仲は良くない様子。
存在を明かしたシリーズ構成・メインライターの山口亮太本人のツイッターや、公式ブックレットや資料集などにしばしば名前が出てくる。
名前の元ネタは10代目体操のおにいさんとして有名な佐藤弘道と思われる。
作中への影響
マナは歴代でも指折りにリーダー気質の強い主人公といえるが、もともとの初期構想では、これはヒロミチがマナに与えた影響の結果ということになっていた。
幼少期のマナは人の役に立ちたいという気持ちや正義感が空回りしており、一部の男子から「ウザい」と反感を買われることもあった。
(実際、4話で描かれた小学校時代の回想シーンでは、弱い者いじめをする男子に対して「最低よ!」とすごい剣幕で牙を剥きながら怒鳴っており、そのせいで余計に相手の反感を買っている。第1話で中学生のマナが喧嘩を止めたシーンとは大違いである)
そんな彼女の様子を見かねたヒロミチが、「人助けをするには相応の肩書きが必要」とし、生徒会長など役職に就けるよう「(肩書きを得る)チャンスは逃してはいけない」と説いた。
その言葉が今のマナの「人の上に立つ」事への考え方の礎になり、将来は総理大臣になって日本を……………いや世界を幸せにしてみせるという壮大な夢を持つに至った、ということである。
登場していれば、本編ではあまり色恋沙汰からは縁遠かったマナの初恋相手としての役割もあったらしく、いずれにせよあの超人マナが尊敬する人間の一人だった。
人物像
イラストなどは一切ないためビジュアルなどは不明。
「肩書を利用しろ」というアドバイスをマナにしているのだが、実はヒロミチ自身は四葉財閥の肩書や財力を嫌うアナーキストで、何ものにも縛られない自由を求めて実家を飛び出して世界を放浪している。
マナのリーダー的資質の根幹を作り出した人物にもかかわらず、本人はリーダー的な責任に縛られることを徹底的に拒否しているのだ。この辺りの矛盾はなかなか面白く、人間臭さが出ているところでもあるだろう。
また、フラリと大貝町に帰ってきてまたフラリと行ってしまうくらいには気まぐれな性格な模様。
年齢などは不明。明かされた情報を総合しても曖昧である。一応大きく分けると二つの可能性がある。
マナが生徒会長になった理由に関係していることや、在学中に生徒会長としての姿をマナが見ていたことを匂わせていることから、二歳差程度(つまり本編では高校一年生相当)という可能性と、ありすが家から出して貰えていなかった頃に姿が見えなかったことに加え、あちこち旅しているという設定からかなり離れているという可能性などがある。
常識的に考えて「旅をしている」という設定を見るに後者が有力と思われる。が、ドキドキの作風や四葉家のぶっ飛んだ設定を見るに、高校に行かず若くしてあちこちを回っている筋金入りの放蕩息子という可能性も否定はできない。
幻のエピソード
本来の構想では第38話でメインゲストとして登場する予定だったとのこと。
彼が登場する予定だったエピソードのプロットは、突如大貝第一中学校にOBであるヒロミチが現れ、学校に波乱を呼ぶというもの。この時、マナが生徒会長に立候補した明確な理由も語られる予定だった。
なお、ヒロミチの正体は「実はありすの様子を見に来た」という形で、四葉家に戻ったヒロミチとありすとの会話で視聴者に明かすオチにするつもりだったという。
この設定を聞いた作品のファンからは、結局登場出来なかったヒロミチの存在を「勿体無い」と思う声も多かった。
なお物語の最後では、察しの良いヒロミチはプリキュア達の正体に薄々勘付き、ありすとの別れ際に「キュアハートによろしく」と言い残して去っていく、という内容だったらしい。不仲でも、あの父にしてこの子ありといったところで、ヒロミチの性格はどうにも父親似なようだ。
人間関係
- 父(星児)
先の通り、親子仲は良くない。33話であれだけ大らかで懐の広い人格を見せた人物であるが、ありすをかつて箱入り娘にしていたことから分かるように星児には頑固な部分もあるし、ヒロミチが世界を放浪している理由も、そんな父との確執があってのことである。ヒロミチが顔さえ合わせるのを避ける程(というプロット)なところを見ると、本来は四葉家の敷居を跨ぐことも禁じられていそうである。一方で母は本編中において台詞がないため、考察は難しい。
- 妹(ありす)
プロットではヒロミチが日本に来た理由は「ありすの様子を見に来たため」である。ありすもプロットの展開では38話プロットのエピローグで兄を平然と迎えており(「日本に来ていたなら連絡してくだされば…」との台詞も)、兄妹仲は恐らくそこまで悪くないようだ。本来兄が継ぐはずの家業を妹に押し付けた形となっているが、結果としてありすの夢を成し遂げやすい状況になったため、むしろありすは兄の選択に感謝している可能性も考えられなくはない。33話ではありすは小さい頃は「箱入り娘」として父親に自由を奪われていたことが明らかになっているが、ヒロミチはそれを見て父への反感を持った可能性もある。そしてそんなありすを解放したのが兄である自分ではなく、外からやってきた相田マナという少女だったのをヒロミチが知った時、彼はマナに大きな可能性を感じたのかも知れない。
- 相田マナ
先に記したように、マナの人格形成に大きな影響を与えている。予定ではマナの初恋相手の候補でもあった。(恐らく)設定上では恋心の有無はともかく、マナが意識している唯一の男性であることは読み取れる。「映画版の結婚シーンにおける相手はヒロミチではないか?」と過程して妄想するファンもいるほど。下記の通りマナは演出上、誰か一人に思いを寄せるという描写こそ避けられていたが、四葉邸でのお泊り会の際に「告白タイム」と称して楽しもうとしている辺り、まったく興味がないわけではなかった。もし告白大会の話が進んでいたら、あるいはヒロミチの話が出ていたのかもしれない。
登場しなかった理由
上述の38話のコンセプト自体は好評だった反面、後半時期のエピソードということもあって、新キャラ投入に難色を示す意見が多かったようだ。それに加えて父・星児との複雑な親子関係は子供には理解出来ないこと、さらに本筋となる物語を進める内容でもないなどの様々な懸念が出たため「待った」がかかり、一時保留となる。
その後、放送上の都合(9月8日に2020年夏季オリンピック開催地決定に伴う特番の放送の可能性が浮上。結果的にその特番による休止はなかったが、その穴埋めで8月25日に『映画プリキュアオールスターズNewStageみらいのともだち』のTV放送が急遽決定し、以降のエピソードが1話ずつ繰り下がることになった)で1話短縮される可能性も出てきたため、慎重に内容を検討した結果、エピソードはおろか、ヒロミチの登場を組み込む余地そのものがなくなり、キャラクター自体がお蔵入りとなってしまった。
また、ヒロミチはもともとはマナの初恋の相手という役割が意識されていた。が、「誰か一人に想いを寄せてしまうと、マナの博愛という精神がブレる」という理由で、「マナが誰かに恋してるとTVの前の子供が感じかねない演出は避ける」という方針が中盤以降は徹底されたため、ヒロミチを登場させる必然性が薄くなってしまったことも大きいだろう。
(なお、マナに恋愛禁止令が敷かれた影響で、ラブコメっぽい感じのエピソードの大半を菱川六花が担うことになった。六花だけがイラりつやラケりつやマナりつなどカップリング描写が豊富なのはそのためである)
ちなみに登場していれば、ありすが本作のメインキャラで唯一兄弟姉妹がいるキャラクターとなっていた(円亜久里とレジーナを姉妹と捉える場合はその限りではないが)。
設定上の扱い
本編の描写だけでは、ヒロミチの現在の扱いが「裏設定」なのか「没設定」なのか、視聴者が判断するには材料が不足している。
「ドキプリ」はキュアエースとレジーナが放映開始後に後付け設定として加えられた影響で、もともと構想していたエピソードの多くが尺の都合上で割愛された作品であることは各種インタビューで語られている。
そのためキュアマジシャン、キュアプリーステス、ルスト、ゴーマのように設定だけしか語られないキャラクターというのが本作にはかなり多い。
が、上記したキャラたちはそれでも、作中で存在はしていることを感じさせる描写がいくつか存在はする。
しかし、ヒロミチはそんなキャラ達とも少し違っており、作中でヒロミチの存在を視聴者が感じることのできる描写は皆無。
公式的には「存在していない」に限りなく近い位置付けにあると考えた方がよさそうではある。
(ありすの部屋の写真に兄の姿がこっそり写っているくらいのお遊びくらいあっても良さそうだが、「あえて」なのかやっていない)
実際、上北ふたごによるコミカライズでは、ありすは「一人っ子」と明言されていたりもする。
ヒロミチは「現在のマナの人格形成に大きな影響を与えたキャラクター」という位置付けで考えられていたのだが、実はこの立ち位置は劇場版で登場したマナの祖母・坂東いすずとそのまんま同じである。
劇場版は山口亮太自身が脚本を書いているので、本来はヒロミチを通じて描くつもりだったテーマを、その代わりにいすずを通して描いたのが劇場版の物語なのではないかとも考えられる。
また、4話の時点でのありすの回想で描かれたマナの小学校時代は「正義感はあるが感情的」というスタンスで今のマナよりも未熟な様子が色濃く出ているのだが、33話のありすの回想で描かれた就学前のマナは大人に対しても論理的にものを言えており、今のマナと寸分違わぬリーダー的資質がある(こう書くと後付けゆえの設定ミスじみてるが、一応4話の回想は同級生からの理不尽な嫌がらせという子供にとって許しがたい動機があるためギリギリ成立する)
少なくとも33話の脚本が正式な形で書かれた時点では、「マナの幼少期」のイメージはヒロミチ抜きのものになっているのではないかということはうかがえる。
ちなみにこの33話もまた山口亮太自身が脚本を書いており、尺の都合で劇場版からカットされたシーンを膨らましたものということ。このことから見ても「いすずの背中を見て育った幼少期のマナ」という設定においてならば、ヒロミチを必要とせずとも今のマナにつながるだけのメンタリティを持てる理屈付けができていることになる。
マナが生徒会長選挙に立候補するまでの経緯というのは本編では語られておらず、先輩であるヒロミチのアドバイスがあったからとすると確かに自然ではある。
だが一方で、ヒロミチが存在しないとマナの人格形成が説明不足になるかというと、そういうわけでもないように作られているわけだ。
つまりは、ヒロミチが「設定上のみ存在してる」としても「設定上から存在してない」としても、どちらであっても本編の物語は通じる。
ただし、シリーズ構成を担当する山口亮太は、ムック本において先に述べた「マナが生徒会長になった理由」を問われた際に、ヒロミチが理由とハッキリ言及している。よって、一応のところ「本編の世界観にありすの兄が存在はしている」という解釈のほうが有力とは言える。写真や過去エピソード等で存在感すら出せなかったのは、視聴者を混乱させないためであろう(ありすママは存在そのものが明かされていたことを考えると、その点に差があったと思われる)。
その後の展開
エイプリルフールのネタで、山口亮太が後日談のネタとして、ヒロミチを登場させる嘘企画案を公開(ついでにシルエットだけの未登場ジコチュー幹部であるルストとゴーマ)。やはりエピソードを考えた御本人も勿体無いと感じている模様。
また、古賀豪SDも「ドキプリ」は連続するストーリー性を重視した反面、戦いに関係ない日常描写が弱くなってしまったことが反省点としてあると語っており、もし機会があれば「ありすの1日」や「レジーナの学園生活」のようなスピンオフを描いてみたいとコンプリートブックで述懐していた。
そんな中、2015年に講談社キャラクター文庫より、プリキュアシリーズの展開が開始。売上次第では『ドキドキ』まで続く可能性はあり、小説という媒体だが何かしら実現するかもしれないと見られていた。
しかし後に戦隊シリーズのように続刊が実質的な打ち切り状態になっため、『ドキドキ』の小説が発売される可能性は限りなく低くなってしまった。
そして…
放送から11年を迎えた2024年に小説ドキドキ!プリキュアが発売。
この小説版にて遂に登場する事が発表された。