巻来功士
まきこうじ
16歳の時に投稿作品が『週刊少年ジャンプ』新人漫画賞の最終候補作に残るなど、早くからその才能を認められた存在だった。
九州産業大学時代には小学館の編集者がわざわざ自宅まで訪ねてくるほどだったが、同学年の北条司が第18回手塚賞で準入選したのに対し、巻来は佳作にも選ばれなかった。
1979年、親に頭を下げ、大学を中退して上京。
1981年、『少年キング』から『ジローハリケーン』(ペンネーム:村田光介)でデビュー。その後『ローリング17』を連載するが、『少年キング』が1982年に休刊。再び各社に持ち込みを続ける生活に戻る。
1983年から原哲夫のアシスタントをしながら『週刊少年ジャンプ増刊号』に読み切り作品を掲載。
当時、ジャンプ編集部は梶原賞受賞作品の連載の約束を果たさないことで梶原一騎に恫喝されてピンチだったが、受賞作は漫画化を一切考慮しておらず、自分が担当する漫画家の経歴に泥を塗るのを恐れ手を挙げる編集者がいなかった。
しかし、『北斗の拳』担当の堀江信彦が巻来に原作を渡し、どれだけ内容を改変しても良いので何が何でも漫画化するよう要請する。
『週刊少年ジャンプ』で『機械戦士ギルファー』として連載し、13回で打ち切りとなるが、西村繁男編集長は漫画化できたことを何よりも評価し、堀江は出世コースに乗った。
1986年、『週刊少年ジャンプ』でみんなのトラウマとして一部でカルト的な人気を誇る『メタルK』を連載しアンケートの結果も常に良かったが、大人の事情により10回で打ち切りとなった。
1987年、『週刊少年ジャンプ』で代表作となる「ゴッドサイダー」の連載を開始。
「連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏」(2016年)には荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」とオカルトやグロ系の作風が似ていることから「ジャンプにホラーは2ついらない。アンケートで負けた方を打ち切りにする」と担当編集者から告げられ、巻来が敗北した経緯などが描かれている。
1989年から『週刊少年ジャンプ』で連載した『ザ・グリーンアイズ』は人気が出ず、その後は少年漫画に見切りをつけてスーパージャンプなどの青年誌で活動し、エログロ、オカルト、寝取られといった作風で新作を発表している。