概要
雪見(ゆきみ)とは、雪景色(雪が降ったり積もったりしている風景)を眺めて楽しむこと(※1,2)。また、その際の遊びや、それを目的とする宴をも指す(※1,2)。古来日本の風俗の一つである(※3)。
歴史
宴を設けない素朴な雪見については、延暦年間(奈良時代末)に「初雪が降ると群臣が参内して初雪見参」との記述があり、これが最も古い記録である(※3)。雪見の宴については、『日本三代実録』に見える貞観14年(平安時代前期)の記述が最古(※2,3)。その後、雪見は絶えることなく今日まで続けられてきている(※2)。
京の都では洛北の小野の里(山城国愛宕郡小野郷。現在の京都市左京区の高野から八瀬・大原にかけての地域の古称。)が古くから有名であった(※2,4)。寛治5年(1091年)には、白河上皇が、小野の里で余生を過ごす小野皇太后(藤原歓子)の山荘を、雪の降り積もった朝に訪れ(小野御幸〈※6〉)、これが皇室史上初めての「雪見御幸(天皇・上皇による雪見の行幸)(※4)」となった(※3)。小野皇太后は「雪見に来た方がよもや屋内にはお入りになるまい」と言って庭に向けて機知に富んだ風雅な饗応を見せたが、これは後世まで語り草になり、雪見御幸といえば「小野御幸」を指すようになった。
鎌倉時代には幕府も雪見の宴を開くようになり、後世の室町幕府や江戸幕府も雪見の宴に興じた(※3)。
江戸時代になると庶民に楽しむようになり、江戸の町にある雪見の名所は20か所を超えていた。
歴史的作品
雪見を描いた作品として歴史的に最も重要なものは、白河上皇の雪見に関する逸話に取材した絵巻物『小野雪見御幸絵巻(おの の ゆきみ ごこう えまき)』(※5)(13世紀後半、鎌倉時代中葉)であろう。「歴史」節で先述したとおり、これが最古の雪見御幸であったと思われる。
また、世に最も知られている作品は、葛飾北斎の名所絵『富嶽三十六景 礫川 雪ノ旦』であるかも知れない。ここでは、美女数人をはべらせた大尽(大金持ち、富豪)が礫川(元・東京都文京区小石川)にある料亭の二階に宴を張り、富士山を眺める様子が描かれている。
俳諧・俳句では、松尾芭蕉の「いざゆかむ雪見にころぶ所まで」が有名(※3)。「門を出て行先まどふ雪見かな」永井荷風(※1)。「雪見」は冬の季題・季語である(※1)。
関連イラスト
最後のは「歴史的作品」節で記述した葛飾北斎『富嶽三十六景 礫川 雪ノ旦』の名画オマージュである。
固有名詞「雪見」
pixivでは、上述した「雪見」のほか、固有名詞の「雪見」、すなわち、名字などで「雪見」を名乗る人物にもタグ付けされており、数ではむしろこちらのほうが圧倒的に多い。例えば「雪見小梅」「雪見和彦」「雪見龍葵」などはフルネームでタグ付けして「雪見」と区別すべきであるが、作者によってタグがロックされているものは整理できないままになっている。また、なぜ「雪見」と関連付けされているのか判らないものも少なくない。
固有名詞「雪見」の関連イラスト
左から順に、日本の男性音楽グループ「mono palette.(モノパレット)」のメンバー「雪見」、漫画『うらら迷路帖』の登場人物「雪見小梅」、漫画『隠の王』の登場人物「雪見和彦」、中華人民共和国のテレビドラマ「仙劍奇侠傳三』の登場人物「雪見龍葵」。
脚注
※2 「雪見」 コトバンク > ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
※3 「雪見」 コトバンク > 小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』(井之口章次)
※4 「雪見御幸」 コトバンク > 小学館『精選版 日本国語大辞典』
※5 「小野雪見御幸絵巻」 コトバンク > 小学館『日本大百科全書]](ニッポニカ)』
※6 「小野御幸」 コトバンク