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ClassicMacOS

くらっしっくまっくおーえす

バージョン9までのMacOS。バージョン10以降のMac OS X(現macOS)とは基本的に別のシステムである。
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概要編集

バージョン9までのMac OSを指すタグ。本来は名称に半角スペースが入るが、pixivではスペースを入れたタグが使えない。


現行のmacOS(旧称Mac OS X)は技術的に直系ではなく、基本的に別物のシステムである。MacOSXmacOSを参照。


名称編集

初期のMacのシステムソフトウェアは単にSystemと呼ばれていた(日本語版は漢字Talk)。 ちなみにSystem 6で統一されるまではSystem Software(パッケージとしてのシステムソフトウェア)とSystem(システムソフトウェア本体)のバージョンがずれており紛らわしい。


Mac OSという呼称は古くから俗称として広く通用していたものの、製品名として公式採用されたのは1997年3月に発売された7.6以降である。


後継のMac OS XはのちにOSX、さらに2016年からはmacOSという呼称に変わっており、今日、オリジナルのMacintoshのOSを指す場合はClassic Mac OSと呼ばれる。


沿革編集

初期編集

最初のSystem Softwareは1984年にMacintoshとともに登場した。白黒でシングルタスク、階層型のファイルシステムを持たない(ファイルブラウザ/グラフィックシェルのFinderで擬似的に再現していた)という、極めて簡素な環境であった。また、OSを構成するAPIなどの大半が64KBのROMに搭載されていた(Macintosh Toolbox)。


GUIを実用的な速度で動かすことができるのが売りであったが、これはToolboxに含まれるQuickDrawというグラフィックルーチンによって実現しておりカスタムチップには一切頼っていない(つまりCPUによるソフトウェア描画)。QuickDrawをそのままGUIアプリケーションとして実装したのがMacPaintであり、同ソフトは初代MacにバンドルされてGUIによるソフトウェアがどのようなものなのかを知らしめた。また、QuickDrawは印刷にも用いられ、画面表示と印刷出力が完全に一致していた(当時のワープロソフト等では画面表示と印刷結果がまるで違うのは当然のことだった)。これらは当時の他社にとっては驚異の的であった。


画面表示をそのまま印刷するとジャギーが目立ってしまうが、1985年にAppleはAdobe開発のPostScriptを搭載したプリンターを発売し、Adobeのアウトラインフォントを揃えることで商業レベルの印刷が可能になった(DTP)。もっとも1980年代のPostScriptフォントやPostScriptプリンターはぞれぞれ当時のMacの本体以上の値段であり、一式を揃えるとかなり高価なシステム(150万円以上)になるため、個人ユーザーにはほぼ無縁なものであった。


Macは1985年のSystem 2.1でハードディスクなどの大容量ボリュームと階層型ファイルシステムに対応したHFSを実装する。また同年にはDTP関連のソフトや、Excelなどのオフィスアプリケーションが揃いはじめ、Macがビジネスの世界にも広がった。Mac対応のMIDI音源やソフトウェアシーケンサーも現れ、音楽制作(DTM)の環境も整いはじめた。


QuickDrawは1987年のMacintosh IIの登場とともにカラー化する。AdobeからIllustratorの初めてのバージョンがリリースされたのもこのころで、当時まともなカラーマネジメント環境を持っていたほとんど唯一のコンピューターであったことが高く評価され、デザイナーの間でMacintoshが広く使われるきっかけとなった。また同年秋に登場したSystem 4.2(System Software 5.0)から協調的マルチタスク環境であるMultiFinderを実装し、同時に複数のアプリケーションを動かすことができるようになった。


1989年のSystem 6.0(日本語版は漢字Talk6)で24ビットフルカラー(1677万色)に対応した。TrueTypeによるアウトラインフォントを標準搭載し、Adobeから高価なPostScriptフォントを買わなくても簡易なDTP環境が手に入るようになった。1990年にPhotoshopがリリースされ、それまで高価な機材が必要だった写真のレタッチ作業がパソコン上で安価に実現できることから、写真・デザイン業界へのMacの浸透に拍車がかかった。


Mac OS 7編集

1991年のSystem 7でシステム全般が大幅に刷新・強化され、協調的マルチタスク機能を標準化、白黒時代の見た目を引きずっていたGUIも全面カラー化された。32bitアドレスに対応した仮想メモリ機能を実装し、最大で4GBのメモリ空間を扱うことができるようになった。もちろん4GBものメモリを搭載できるMacは当時存在しなかったのだが、ハードディスクをメモリがわりに使うことで物理メモリサイズを超える巨大なファイルが扱えるようになるのである(従来は24bitアドレスで最大16MBの物理メモリ空間しか使えなかった)。Finderにアイコン編集機能を追加し、ユーザーがアプリケーションや書類のアイコンを簡単に差し替えることができた。


現在のmacOSでも広く使われているAppleScript(OSレベルのマクロ言語)やQuickTime(動画・音楽などを取り扱えるマルチメディア環境)を標準で付属するようになったのもこのバージョンから。日本語対応は遅れ、1992年のSystem 7.1(漢字Talk7)からになった(WorldScriptという多言語環境の完成を待って日本語対応したため)。漢字Talk7はことえりを初搭載したバージョンでもある。


このバージョンはそれまでのシステムソフトウェアに比べて格段にサイズが大きく、最小限起動可能な構成であっても1.44MBのフロッピーディスクに収めるのが精一杯であった。特に漢字Talkは7種類の日本語TrueTypeフォントが付属したためフロッピー26枚組という驚きのボリュームであった(CD-ROM版もあったが)。


この後、System 7/漢字Talk7は順次PowerPCへの対応、Open Transportによる新しいネットワーク機能、テキスト読み上げ、Java仮想マシンの搭載…などの拡張が重ねられるが、QuickDraw GX、OpenDocやPowerTalkなど野心的な機能を目指しながら普及しないまま途絶えてしまった技術も多い(一部はMac OS9 やOSXの時代になってから名前を変えて日の目をみることになる)。さらに新しいMac OS 8(当時互換機路線を目指していたために正式にOSとしての名が与えられた)として構想されていたCopland(コードネーム)の開発が頓挫し、Coplandに搭載される予定だった機能のうち完成したものから順次搭載する方針に切り替えた。


Mac OS 8以降編集

こうして1997年にリリースされたMac OS 8は、FinderがCoplandのものになり、見た目が従来のフラットデザインから「プラチナアピアランス」という立体感あるものに全面刷新された。Finderのマルチスレッド化により、ゴミ箱を空にしたりファイルをコピーしている最中でも他の作業ができるようになったほか、コンテキストメニューに対応し、2ボタンマウスが有効に使えるようになった(Macのマウスは基本的に1ボタン)。Appleの経営の実権を握ったスティーブ・ジョブズの意向により互換機へのライセンスは打ち切られた。MacromediaからFlashDreamweaverが登場したのもこのころで、当時デザイン業界で圧倒的な地位を築いていたMacはWeb系の制作にも展開していく。


1998年初頭にマイナーアップデート版の8.1が登場。新しいファイルシステムとしてHFS+(これも元々はCopland用に開発された技術)を実装し、巨大なファイルを扱う機会が多い映像制作業界でMacが地位を築くきっかけとなった。同年秋に登場したMac OS 8.5からはPowerPC専用バージョンとなり、ファイル内容の検索機能(従来はファイル名のみ)などを搭載した。Mac OS 8.6は新しいカーネル(OSの中核部分)を搭載し、省電力機能とマルチプロセッサのサポートを強化している。


1999年のMac OS 9リリース時にはすでに次期バージョンのMac OS Xが発表されていたが、Keychain(パスワードなどの一括管理)、擬似マルチユーザーと音声によるログイン、TCP/IPを介した個人用ファイル共有などの新機能が多数搭載された。最後のバージョンは2001年にリリースされたMac OS 9.2.2である。


Mac OS Xへの移行編集

2001年から2003年にかけてMac OS Xに置き換えられた。2002年に登場したPowerMac G4(Mirrored Drive Doors)がClassic Mac OSで起動できる最後のMacとなった。同機はメモリを最大2GB搭載できるものの、OS9では1.5GBまでしか認識しなかったようである。


そして、互換環境として用意されたClassic環境も2007年のMac OS X v10.5で排除され、以降のMacからはClassic Mac OS用のソフトを動かす環境がなくなった。Classic Mac OSのToolbox APIに由来するCarbon APIも2018年リリースのmacOS Mojaveを最後に廃止された。


Mac OS Xへの移行が必要になった理由編集

一言で言うと、Classic Mac OSはシステムが根本的に脆弱だったためである。System 7.xは機能拡張ファイルの追加によりOSに機能を追加することができ、アップル自身もこの仕組みを大いに活用したのだが、機能拡張ファイルにバグがあったりすると途端に不安定になった。また、特に問題となったのは本OSの協調的マルチタスクとメモリ保護機能の欠如であった。


協調的マルチタスクとは、稼働中のプログラムが短時間にOSに処理を返すことで複数の処理を同時に動かす方式である。これはシステムへの負荷が少ないものの一つの処理が止まるとシステム全体を道連れにフリーズしてしまうことが多い。これに対し、Mac OS Xやその原型となったOPENSTEP(およびこれらを含むUNIX)の処理方式はプリエンプティブ・マルチタスクといい、OSの中核部分であるカーネルが多数の処理を強制的に切り替える方式である。協調的マルチタスクよりも処理が重くなるが、1990年代のコンピューターの機能向上により、特定のプログラムがフリーズしてもシステム全体が影響を受けることがないというメリットの方が大きくなっていた。


メモリ保護とは、プロセスが自身に割り当てられたメモリ領域以外にアクセスできないようにして、エラーを起こした際に他のプロセスやシステムが破壊されないようにする機能である。この実現のためにはMMU(メモリ管理ユニット)というハードウェアの追加が必要になる。実はアップルがMacintoshに先行して開発・販売していたLisaはCPUである68000にMMUを追加しており、メモリ保護機能があったのだが、Macintoshは同じ68000を採用しながらコストダウンのためかMMUをオミットしてしまった。MMUは後継のCPUである68030で標準で内蔵されるようになり、Mac OSもSystem 7以降でMMUの機能を活用した仮想メモリ機能を実装したものの、メモリ保護は欠けたままであった。これは、従来のソフトウェアと互換性を保った形でのこの機能の実現は困難であったためと思われる。


アップルは本来Mac OS 8になるはずだったCoplandで不完全ながらプリエンプティブ・マルチタスクとメモリ保護の機能を目指したが、System 7.xと互換性を保ちながらこれらの機能を(部分的にしろ)実現すると言うコンセプトに無理があり、失敗してしまった。このため従来のしがらみを思い切って切り捨て、UNIXベースの新しいシステムに置き換えるという判断に踏み切ったのである。


なお、実はClassic Mac OSもMac OS 8.6以降のカーネルはプリエンプティブ・マルチタスクに対応した新しいものになっている。しかし過去との互換性のためこの機能は(ごく一部のマルチプロセッサ対応のプロセスを除いて)最後まで生かされることがなく、ユーザーから見るとSystem7以前と同様の協調的マルチタスクのままであった。


関連タグ編集

Apple_Inc. OS Macintosh

AppleⅡ MacOSX OSX macOS NeXT

DTP MacPaint PICT QuickTime Finder ことえり

Adobe AdobeCS Adobe_Illustrator Photoshop

DTM AIFF AppleLossless iTunes

擬人化 OSたん OS娘


Windows9x…Classic Mac OS同様の制約(MS-DOSから引きずっていた、不完全なメモリ保護とプリエンプティブ・マルチタスク)により、NT系に一本化され終焉を迎えた。

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