名越稔洋
なごしとしひろ
東京造形大学映画学科卒業。
1989年にセガに入社。入社後はデザイナーとして『G-LOC AIR BATTLE』『バーチャレーシング』などの3D作品に参加する。
1992年頃に、『バーチャファイター』でCGデザイナーとして参加。
1994年『デイトナUSA』のプロデューサーを担当し記録的大ヒットとなった。
1998年にAM11研部長就任、2000年7月1日にはセガ開発チームの分社化・子会社化に伴い設立された株式会社「アミューズメントヴィジョン」の代表取締役社長に就任。『モンキーボール』等を手掛けた。
2004年7月1日に同社がセガに再統合されるに伴い、セガR&Dクリエイティブオフィサーを肩書きとした。
2011年8月31日に制作チーム「龍が如くスタジオ」(セガ第一CS研究開発部)を設立。
その後はセガ取締役CCO(Chief Creative Officer)開発統括本部長、子会社であるインデックス(後のアトラス)取締役を歴任し、2015年にセガゲームス並びにセガ・インタラクティブのCPO(Chief Product Officer / 最高開発責任者)に就任。
2020年4月にセガゲームスとセガ・インタラクティブの再統合に伴いCFO(Chief financial Officer / 最高財務責任者)からCCOに降格。
2021年4月1日には役員の肩書きを失いクリエイティブ・ディレクターに降格。
また、セガは『龍が如く』シリーズやその関連作品を(日本国内では)SONYが発売するPSコンソールに独占して供給していた(日本のPC,Xbox版はセガ・オブ・アメリカが販売しており、『Yakuza』名義になっている)が、2020年に入って名越本人がCCOに降格したことで裁量権を失ったようで、それ以降の作品である『龍が如く7』『ジャッジアイズ』などは、PC,Xboxでもそのままのタイトルで販売できるようになった。
世間的には2005年から始まった『龍が如く』シリーズの開発者として知られ、その風貌は金髪・細身・色黒でラッパーかその筋の人のように見えるが、趣味がリラックマ集めと意外な一面もある。
……そもそも、元からこのような風貌ではなく、初代『龍が如く』を手掛けだした頃から肌を焼き眉を細くし目付きが険しくなっていった。その為、中肉のオタク風だった昔の彼と今の彼はまるで別人にしか見えない。また、その見た目により一部の人から「かりんとう」とネタにされている。
ニンテンドーダイレクトに出演した時は神室町をバックに故・岩田聡と登場。
ドキばぐに登場した際は本宮ひろ志風のタッチで、熱血な…というよりは暴力的で猪突猛進なキャラクターとして描かれた。(『龍が如く』にも大きな影響を与えた)『シェンムー』の呪いが解けていないというキャラクターとして登場し、その容姿の変貌ぶりについてもよくネタにされている。
また、本作の単行本に掲載された小島秀夫との対談で、「僕たちが初めて知り合ったのは柴田亜美先生の飲み会に呼ばれたとき」と語っている。
2020年7月28日の『セガなま』で、自社タイトルのeスポーツ紹介コーナーにおいて、プレイヤーの容姿に対する発言が問題視され、一部ネットで炎上状態となった。
8月25日の配信の冒頭で「不適切な発言であった」とプレイヤーおよび視聴者に対し謝罪した。また、番組MCの1人である椿姫彩菜も、前回の配信に対し適切な対応ができなかったと謝罪のコメントを述べている。
2021年10月8日、セガを退社。同日、龍が如くスタジオチーフプロデューサーだった横山昌義氏が同スタジオ代表兼制作総指揮に就任し、『龍が如く』シリーズの制作を引き継いだ。
2022年1月24日、NetEase Games社の出資で「名越スタジオ」を設立し、代表取締役社長に就任。