概要
室町幕府第15代征夷大将軍(在任:永禄11年10月18日~天正16年1月13日(1568年~1588年2月9日))。
生涯
第12代将軍足利義晴の次男。兄は第13代将軍足利義輝。
奈良の興福寺一乗院門跡に入り僧としての生涯を送るはずであったが、兄が松永久秀らに殺されたことで運命が激変する。
側近の細川藤孝らに守られ奈良を脱出した後還俗、近江の六角義賢、ついで越前の朝倉義景を頼る。
1568年(永禄11年)、当時朝倉家に仕えていた明智光秀の仲介により織田信長に奉じられて京都に入り、征夷大将軍就任を果たす。当初は信長との関係は良好であったが、幕府権力の復興を目論む義昭と自らの武力による天下統一を目指す信長の対立はほどなく深まっていった。
義昭は各地の戦国大名に活発に手紙(御内書)を出し信長包囲網を形成する(「お手紙将軍」or「お手紙公方」という現代における別称?はこれによる)。武田信玄らによるこの包囲網は一時信長を窮地に陥れるが、1573年(元亀4年)に信玄が上洛途中に病没すると事態は一転した。
同年7月、信長により京都から追放され、僅かに残っていた畿内の幕府直轄領の支配権も喪失する。一般的にはこの時点を持って室町幕府の滅亡とするが、義昭自身は将軍職を辞したわけではなく、毛利輝元を頼って備後の鞆(現広島県福山市)にいわば亡命政権(鞆幕府)を形成する。
この鞆、義昭の先祖足利尊氏が新田義貞討伐の勅命を光厳上皇から受けた地でもあり、何かの因縁を感じさせる。
1582年(天正10年)6月、信長が本能寺の変で倒れ豊臣秀吉が柴田勝家、織田信孝らとの後継者争いを制して全国統一事業を引き継いでいく間もなお鞆にあった義昭は1588年(天正16年)、ついに京都に戻り同時に将軍職を辞して再度の出家をする。
秀吉の御伽衆として余命を全うしたが、征夷大将軍職就任の野心をあらわにする秀吉を、猶子にするようとの要請を拒否する最後の意地を見せた。1597年10月9日(慶長2年8月28日)、大坂にて死去。享年61。
創作における足利義昭
信長の野望
兄の義輝と同時に戦国群雄伝から初登場。近年の作品では信長包囲網の首謀者であることなどを評価され、知略・政治に優れた武将となっている。兄と共に戦場に出せば弱点を補える。作品のシナリオによっては兄と同じく最初から征夷大将軍についていることもあり、さまざまな恩恵を受けられる。
戦国無双
武器:薙刀(2Empires) 槍(3以降) 刀剣(4Empires) 声:福原耕平(2Empires) 山田真一(3Empires) 宮坂俊蔵(4)
「将軍家の血に刃向かうとは謀反人め!」(4Empires特殊台詞)
初登場の2Empiresでは公家ボイスのモブ武将の1人として登場していた。『3Empires』では声が変更されて再登場。基本的に若武者の顔モブ(毛利輝元などのモブ武将と同様)で、イベントではオカマ口調で喋るが、戦場に出すと何を血迷ったのか知将ボイス化(その上、義輝と異なり特殊台詞無し)する。4で特殊モブ化。主に織田の章に登場し、基本的に通常のセリフを喋るが、窮地に陥るとオカマ口調に変化する。
4Empiresでは兄・義輝同様に固有武将の1人として登場しており、武器の変更と特殊台詞が追加された。特殊台詞を喋る時はやや怯えた口調(台詞字幕の表記は無いが「ひぃぃ!」と言ってから上記の特殊台詞)で喋る。
殿といっしょ
短身痩躯で見るからに頼りない風貌の青年。信長を頼って尾張に向かうが、当の信長からは「焼き討ちの名目」くらいにしか思われておらず、とんでもなく下に見られている。
やがて細川幽斎に唆されて信長に憎悪を滾らせ、一方的に織田家を離脱する。
明智光秀は「朝倉家を見捨てた裏切者」として警戒しており、信長が煽るもんだから日に日に猜疑心が強くなっている。
信長の忍び
超がつくほどの野心家で、語尾には「のだ」を付ける。一見自宅に攻め込まれても駄洒落を連発するなどアホそうであるが、保身と出世の為であればどんな艱難辛苦も汚れ役も辞さないかなりの厄介者。信長からは「出世の道具」としか思われていないことに気が付くと、彼を討ち取るために石山本願寺や武田家などあらゆる敵対勢力に協力要請として手紙を書きまくった。実の兄を殺した松永久秀にまで協力を懇願しており、内心自分が将軍になれる可能性を作ったということでそこまで嫌ってはいなかったらしい。
しかしあまりに反信長路線を突っ走ったため、腹心の細川藤孝にうっかり「信長さえ倒せば他はどうでもよい!!」と口走ってしまってしまい、堪忍袋の緒が切れた細川一門の離脱を招いてしまう。その結果、織田軍に包囲されて降伏に追い込まれ、土下座させられた末に「キサマなんぞ殺す価値すら無い」と言い放たれた挙句京都を追放される。
が、全く懲りておらず、『軍師黒田官兵衛伝』では毛利家に居着いて信長や秀吉の軍勢を倒そうと躍起になっている。『余は引き続き各地の大名に打倒信長を呼びかけるのだ!!誰に手紙書こっかなー島津…伊達…ダメもとで明智とか?』
戦国乙女
か わ い い。
13代将軍・足利ヨシテルの実弟で、ヨシテルの失脚に伴い15代将軍に任ぜられた10歳の美少年。落魄していた自分を将軍の座に着かせてくれた明智ミツヒデの事を深く信頼している(所謂おねショタである)。
関連リンク
関連タグ
徳川慶喜:江戸幕府の最後の将軍。偶然だがこちらも第15代である。
北条高時:鎌倉幕府・第14代執権(最後の執権は赤橋守時)、北条氏最後の得宗(将軍もいたが傀儡で、最高実力者は高時で比較するならこちら)。