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スターリンの編集履歴

2021-03-07 06:06:35 バージョン

スターリン

すたーりん

ソ連共産党(ボリシェヴィキ党)初代書記長であり別名〈赤い皇帝〉とも言われた世界の半分を支配した男。渾名『全人類の教師』

概要☭

ヨシフ(正確なロシア語発音はイオシフ)・スターリン

露.Иосиф.В.Сталин

英.Joseph Stalin

喬.იოსებ სტალინი

1878年12月18日-1953年3月5日


本名ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ(Иосиф Виссарионович Джугашвили)、グルジア語ではイオセブ・ベッサリオニス・ヅェ・ジュガシヴィリ(იოსებ ბესარიონის ძე ჯუღაშვილი)ソ連共産党(ボリシェヴィキ党)初代書記長。


初代〈赤い皇帝〉、共産主義の大看板、レーニンの残忍さとユートピア計画の正当な後継者。グルジア靴屋ヴィッサリオン・ジュガシヴィリ(通称“ベソ”)、ケテヴァン・“ケケ”・ゲラーゼの息子として生まれ、神学校で学ぶも無神論者となって共産主義に傾倒し、ロシア社会民主労働者党に入党し暴力革命家となる。その後革命家として地下活動を続け論文発表で筆名「スターリン」を名乗った。


1917年のロシア革命に参加し、ボリシェヴィキ党内で頭角を現した。1922年に書記長に就任し、その生みの親であるレーニンが亡くなると、スターリンは政敵のトロツキーやブハーリンを排除し最高実力者となった(トロツキーはソ連から追放した後、しばらく経ってから暗殺者ラモン・メルカデルをメキシコへ送り暗殺、ブハーリンは失脚させ後に見世物裁判で処刑)。それ以降スターリンは問答無用の存在感とソ連と世界中の共産党への最高権力を振りかざし、自身に歯向かう者を容赦なく消し去る超冷酷オヤジとして歴史に名を刻むことになる。

(ただし、特に中国共産党などは戦前からソ連の統制から独自に動いており、それだけが原因ではないがスターリンも中国における交渉相手としては当初はむしろ国民党の方を想定していた)


【私のテンポ(リズム)を乱したものは消えろ】

ソビエト国家の共産党(当時の名称はロシア共産党〔ボリシェヴィキ〕)の書記長として主導権を得たスターリンは、急速な工業化と産業の集団化に邁進した。さらに政治家軍人はもとより、一般の人々に至るまであらゆる層の人々を大量に粛清。監視社会体制を確立した。このときの万能感を得た傍若無人の独裁者ぶりは後に赤い皇帝とあだ名されるようになり、共産党の指導者というものは何においても万能的権力を振りかざしてもかまわないというロジックを共産主義者に刷り込んだ。


【共産党VSナチ党の最終決戦】

ヒトラー率いるナチスドイツと独ソ不可侵条約を締結し、ヨーロッパを独ソで分割することを取り決める。この条約に基づいて行われたポーランドの分割、バルト三国の併合、フィンランド侵攻(冬戦争)などの侵略行為が国際的な非難を浴びた。ナチスドイツは間もなく不可侵条約を破棄してソ連に侵攻し、第二次世界大戦で最も悲惨と言われる独ソ戦(ソ連側の呼称は大祖国戦争)の火ぶたが切られる(スラヴ民族を蔑視し共産主義を敵視するナチは文字通りの絶滅戦争、反撃するソ連軍は占領地での報復や協力者への懲罰など非人道的な行為を多数行ったうえ、ソ連側が焦土作戦をとったため、両国の戦いに巻き込まれた諸国民には大変過酷なものになった)。

米英から援助を受ける連合国ではあったが、アメリカハリー・S・トルーマンイギリスチャーチルとは対立していた。良好だったフランクリン・デラノ・ルーズベルトとのヤルタ密約に基づき対日参戦し、満州・樺太・千島列島に侵攻。共産党VSナチ党の悪魔的政党の最終決戦はスターリン率いる共産党の大勝利となり、国際社会においての魔王的存在感を確立した。


第二次世界大戦は連合国の勝利に終わり、ソ連は東欧を自らの勢力におさめ(衛星国)、世界はアメリカを中心とする西側とソ連を盟主とする東側に分かれた冷戦へと時代は移る。アジアでも金日成北朝鮮毛沢東中華人民共和国を支援。国内では個人崇拝や強烈なプロパガンダを布き、核兵器原子力開発を急がせた。


1953年に脳卒中で倒れ死亡。享年74歳。ソ連邦から『全人類の教師』の称号を得た。


人物

性格など

自分が少数民族グルジア人であるにもかかわらず、グルジア人が現地カフカースでは支配的な多数派であることを意識していた。そこで、ウクライナやベラルーシなどをソ連の構成国とするレーニン案に対し、すべての非ロシア人少数民族地域を自治区としてロシア連邦に組み込む、より公正な「自治化案」を提出した。

一方、独ソ戦中にはロシア人を「第一の民族」と位置づけ、ロシア民族の国粋主義をソ連の防衛に活用した。戦後にはイスラエルの親西側傾向を受け、医師団事件などユダヤ人陰謀論にも思える側面を見せた時期もある(ただし、大テロルの時代も生き抜いた旧知の副官カガノヴィチはユダヤ人)。人間不信で疑い深く臆病、権力欲と顕示欲が強い性格で、このような性格は独裁者になると一層増幅され、家族や肉親ですら信用せず、被害妄想と言えるほど周りの他人を疑って接していた。

母と長女だけは別であったが、長女の方は恋愛絡みで酷い干渉を受けた(最初の恋人がスパイ容疑でシベリア送りとなった)件を根に持っていたらしく、スターリンの死後10年も経ってからアメリカに亡命してソ連を捨て、出版した回顧録で父親を「孤独感と絶望感から来る弾圧マニア」とボロクソに叩いていた。


上記のように直接的な死因は脳卒中だが、間接的には他人を信用しなかったことによる発見、及び治療の遅れが原因ともされる。治療の遅れに関しては、長女の回顧録によると倒れた際に側近たちがいたにも拘らず、やる事なす事に全員我慢の限界だったのか放置したとされおり、いまだに諸説入り乱れている。また、ある側近が「流石に毒には勝てなかった」と零していたとの記録が存在しており、そのせいで毒殺説も現在まで存在し続けている。


生活

趣味は温室でのレモン栽培や映画(特にアメリカ製)鑑賞。レモンを来客に食べさせては嬉々として自慢していたが、映画鑑賞に関しては周りにまともな露訳ができる人がいなかったため、映画産業の責任者が必死に暗記したり適当なアドリブで凌いでいたとか。しかし、スターリンはむしろ馬鹿げた通訳騒ぎを楽しんでおり、決して専門の通訳を入れようとしなかったそうだ。

飛行機が苦手で、列車での移動がほとんどだった。

特異かつ捻じ曲がったユーモアセンスがあり、側近を結構キツイ方法でからかったり、個人的なお遊び(部下を酔い潰すのが好き)と実益(忠誠度チェック)を兼ねて毎度仕事の終わりに宴会を開いては部下に酒を沢山飲ませていた。当然側近は例外なく腎臓か肝臓のどちらかがアルコールでボロボロだったという。


語録

  • とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」
  • 「感謝とは、に悩まされて気分を悪くするようなものだ」
  • 「諸君はドイツからのニュースを聞いたか? 何が起こったか、ヒトラーがどうやってレームを排除したか。ヒトラーという男は凄い奴だ! 奴は政敵をどう扱えばいいかを見せてくれた」(ドイツでの「長いナイフの夜」事件で、ヒトラーがエルンスト・レーム率いる突撃隊の粛清を聞いての発言。この事件をベースに大粛清を決意したとも言われる)。
  • 赤軍には捕虜は存在しない、存在するのは『反逆者』のみである」(冬戦争でのロシア人捕虜の話を聞いて)
  • 「お母さん、僕はツァーリみたいな仕事をしているんだよ」(1935年に死期の近づいた母のお見舞いに行き、彼女に「どんな人になったの?」と聞かれた際に。ただ、息子の悪名は耳に入っていたのか母は「司祭になってもらいたかったのにねぇ」と零し、それを知った殆どの人民が大喜びしたとか。ただし直前に「どうして(子供のころ)あんなに僕を殴ったの?」「だからそんなに立派になったのよ」という会話もなされている)
  • 「ろくでなしがくたばりやがった」(ヒトラー自殺の報を聞いて)
  • 日本は最後にはまた這い上がってくる」(大戦終結直後)
  • チベット攻撃?結構な事だ」(毛沢東からチベット侵攻の許可を求められての返事)
  • 「北朝鮮は永久に戦い続ければいい。なぜなら、兵士の人命以外に北朝鮮が失うものは何もないからだ」(朝鮮戦争について周恩来に語った一言)
  • 「私はもうお終いだ。誰も信用できない。自分さえも」(1951年にフルシチョフに語った呟き)

スターリンの発言によく帰されるが別の人の発言

  • が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」

(Смерть решает все проблемы. Нет человека, и нет проблемы)

ロシアの小説家アナトリー・ルィバコフの『アルバート街の子供たち』(1987)の一節だが本家ロシアでもよく誤ってスターリン本人の発言に帰されるらしい


スターリンの容姿は影武者説

我々がよく知る「恰幅がよく口髭をたくわえたあの容姿は実は影武者のもの」であったと言われている。本物のスターリンは過去に罹患した天然痘の痕が顔に残っていたとされる。



関連タグ☭

次代☞マレンコフ


悪魔魔王

赤い皇帝 全人類の教師悪の教師

ソ連 赤いpixiv 共産主義

ロシア おそロシア 暴君 独裁者

レーニン フルシチョフ

ヨシフ・スターリン

岡田眞澄

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