鉄道車両の系列の一つ。
大半が東海道・山陽新幹線の300系のイラストで占められている。
東海道・山陽新幹線 300系電車
メイン画像の車両。1990年に先行試作車が登場。1992年のデビュー当時は「のぞみ」専用電車として運用された。営業最高速度270km/h。外観も0系、100系から一新され、今までの新幹線のイメージを大きく変えた。一方で食堂車やビュッフェ車が連結されることはなかった。代わりに売店と車内販売の準備室を兼ねたサービスコーナーを設置(7号車東京寄り、11号車博多寄り)、2003年9月末に廃止された。
1993年鉄道友の会ローレル賞受賞。JR東海にJ編成61本、JR西日本にF編成9本が配備された。
後継車両の500系、700系の登場により、のぞみからひかり、こだまの運用が中心となった。N700系投入による置換が進行し、2012年3月で営業運転から退いた。
保存車
J1編成(量産先行車)の16号車がリニア・鉄道館に、J46編成の1号車が関西新幹線サービックに(新幹線清掃の訓練用として)保存されている。
特徴
量産先行車(J0→J1編成)は量産車と屋根高さや各部寸法が違う他、先頭形状も若干異なっている。
初期車(J1~J15 F1~F5編成)はプラグドア(内開き:通常想定される外開きでは0.25気圧近くになる新幹線のトンネル気圧差では吸い出されて外に動くことがあり適切でないため)になっているが、後期車では引き戸に仕様変更がされた。
登場時は下枠交差パンタグラフを3基搭載し走行時の後ろ2つを使用していたが、のちに2基に減らされ、またシングルアームパンタグラフへの変更が行われた。またダンパーが取り付けられた。
JR東海が設計に関与し東海道新幹線で運用される営業用新幹線電車は、後に登場したものも全て本系列16両編成と同じ編成定員(1,323人)に揃えられている。
従来より最高速度を50km/hも引き上げた上、のぞみの性格上高速で長時間の走行を強いられたこと、新技術を多数盛り込んだことが仇となり、デビュー後しばらくは故障が頻発。線路上で立ち往生してダイヤを乱すことがあり、テレビニュースでも度々報道された。後に点検と改善が進み、以降は安定した性能を発揮するようになった。また、当時は未知だった速度域故に振動が酷く、乗り心地が悪いと悪評が付いたが、こちらも後にダンパー取り付けが行われ改善されている。
これらの問題点は後継車両の開発時にフィードバックされ、700系以降は徹底的な長距離試運転を行うようになった。
1+3+3+3+3+3という特異なユニットを組んでいたため、700系(4両1ユニット)における山陽新幹線のひかりレールスター用や、同新幹線のこだま用の0系や100系(2両1ユニット)などのように短編成化することが困難であり、東海道・山陽新幹線系統では初めての「16両編成以外で一般営業運転をしなかった形式」となった。そのため、8両編成以下でしか営業運転できない博多南線の運用に就くことはなかった。
無理やり組む方法もないではないが、10M6TというMT比が崩れ、8両なら6M2T(どれか1両さらに独立T車を作る必要)、4両では3M2Tになるため、いずれも16両のときよりM車の比率が下がり性能が維持できない。
のぞみの運用について
- 1992年3月14日:東京―新大阪間でデビュー。
当初は早朝の下り列車のぞみ301号(東京6:00→新大阪8:30)のみ、新横浜に停車し、名古屋と京都を通過する運用だった(名古屋飛ばしも参照)。
- 1993年3月18日:のぞみを博多に延伸。東京―博多間1時間1本体制で運転。
上記ののぞみ301号の後続列車にのぞみ1号(東京6:07→博多11:11)を運転。名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉に停車。
- 1997年11月28日:のぞみ301号の運転を終了。
これにより、名古屋・京都を通過する列車は廃止となった。
- 1997年11月29日:500系のぞみ東京乗り入れ開始。
のぞみ301号はのぞみ1号(東京6:00→博多10:49)に統合し、500系で運転。新横浜、名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉に停車。
- 2001年9月30日:のぞみの定期運転を終了。
- 2012年3月16日:300系ラストラン。
・のぞみ329号
(東京9:47→新大阪12:23)
・のぞみ609号
(新大阪9:52→博多12:24)
※いずれも全車指定席で運転
300系新幹線が登場する作品
- 伝説の勇者ダ・ガーン:アースライナー
- 勇者特急マイトガイン:ガイン
- 勇者指令ダグオン:ダグターボ / ターボライナー
- 超特急ヒカリアン、電光超特急ヒカリアン:のぞみ(ヒカリアンのぞみ)
関連タグ
そのほかの300系
東急 300系電車
東急電鉄(東急、東京急行電鉄)が1999年より同社唯一の軌道線である世田谷線で運行している二車体連接電車。旧型車の置換えと世田谷線のバリアフリー化、冷房化を図っている。2両編成10本が在籍し、編成ごとに異なるカラーリングを纏っている。
東武 300・350系電車
(一番下)
東武鉄道の特急形車両で1991年に運行開始。同社の1800系を改造した車両で、300系(300型)は6両編成を、350系(350型)は4両編成を組む。「きりふり」「ゆのさと」「しもつけ」などで運用されていた。
名鉄 300系電車
名古屋鉄道(名鉄)が2002年から運用している通勤型車両で、同社初のステンレス車両。名鉄小牧線向けの4両編成で、名古屋市営地下鉄上飯田線乗り入れ用に使われている。
神戸電鉄 300系電車
神戸電鉄が1960年に一次車4両が、1962年から1964年迄に二次車6両の合計10両が製造された神戸電鉄初の高性能車両である。 グレー地に窓周りオレンジの塗装は本形式が最初であり、2両ユニットで運転されていた。 一次車4両は二代目京急600形や阪神3011形や西鉄1000形に似た前面非貫通二枚窓の湘南顔のセミクロスシート車で、二次車は貫通形オールロングシートであり、後の神鉄通勤車の雛形を作った。
宅地増加に伴う旅客増加の為、一次車はオールロングシートへ改造後、後に3扉へ増設され、二次車を中間に組み込み2扉3扉混在の4両編成で運用され、余剰の2両は1000系列と混結した。
非冷房且つ老朽化の為、1994年に5000系に置き換わる形で全車引退したが、晩年は何と非冷房にも関わらず当時の三田発着特急にも用いられた。
クロスシートからロングシートへ変更された事に、神戸電鉄が観光路線から通勤路線へと変化する過程を見る様で興味深い車両だった。