概要
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(ロシア語:Владимир Владимирович Путин、1952年10月7日 - )は、ロシア連邦の政治家。第4代ロシア連邦大統領、第4代安全保障会議議大統領代行、第2代大統領、第2代安全保障会議議長、第5・9代連邦政府議長、統一ロシア党首、ベラルーシ・ロシア連合国家閣僚会議議長(首相に相当する)などを歴任した。この他にサンクトペテルブルク副市長も務めた。
自身が所属した(大統領では無所属が慣例)中道右派政党である統一ロシアの政治的実力者。部下にはメドヴェージェフがいる。色々な意味で『強いロシア』の体現者であり、サンクトぺテルブルグ市長時代の異名は『灰色の枢機卿』・大統領時代の異名『ロシア皇帝』などがある。
現在の大統領の任期は『2期12年』までであり、最長2024年5月まで大統領に在任できる。元々は2期8年までだったが、2008年12月の憲法改正によって現在の任期になった。諜報機関の出身とあってか、経歴は謎が多い。彼の周辺には多くの陰謀疑惑が付きまとっている。
人気
ロシアでは強権的な政治家が人気を呼ぶ傾向にあり、彼もまたその例に漏れずロシア国内での人気は高い。ちなみに悪名高い、かのソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンにも未だにファンが多いほどである。その為プーチンも激しいバッシングを食らうような過激な事を臆面も無く発言するため、それに魅せられるロシア人は多い。欧米では主要メディア及び主要政党からは激しく嫌われているが、草の根保守・リベラルには一定の人気を持つ。日本では強面で冷酷なイメージや諜報機関に所属していたという経歴・かつての日本を彷彿とさせる欧米への対抗者といった地位・柔道をやっていたなどのことから党派を越えて人気があった。
しかし、2022年2月のウクライナ侵攻を契機にそうした人気は一部のコアな層に限られるようになり、かつてのような「マッチョな面白大統領」として扱われるような風潮は憚れるようになった。
経歴
1952年10月7日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に誕生する。家庭環境はあまり裕福で無く、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。1960年9月に共同アパートと同じ通りにある第193小学校に通い始める。
小学生だったプーチンにドイツ語を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたという。プーチン自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。しかし6年生になると変化し、成績も上がってピオネール入団も許可された。この頃にはサンボと柔道も始めている。1965年5月に小学校を卒業した後、プーチンは化学の中等専門学校に入学した。
大統領
2000年ロシア連邦大統領選挙で当選し、同年5月に正式に第2代大統領に就任すると、「強いロシア」の再建を目標とした。これはロシア国民に「強かった時代のロシア(ソ連)」を呼び起こすためだとする意見がある。このような強い指導力は反対派からは「強硬である」と批判されたが、国民の支持を受けた。2004年ロシア連邦大統領選挙で再選され、同年9月にベスラン学校占拠事件が発生したことから、ロシアの国家統一の必要性を理由として、より一層の中央集権化を進めて大統領権限を強化した。
首相
2008年5月に大統領を退任し、後任の大統領となったメドヴェージェフによって首相に指名され、翌日に連邦議会の国家院(下院)で承認された。なお首相の就任により、メドヴェージェフとのタンデム体制となった。
大統領再就任
2012年ロシア連邦大統領選挙に当選し、同年5月に正式に第4代大統領に就任した。2008年12月の憲法改正によって今任期から大統領の任期が6年となったため、任期満了は2018年5月までとなる。2018年ロシア連邦大統領選挙では得票率76パーセントで圧勝し、任期満了は2024年5月までとなった。
2020年7月に憲法改正が実施され、保守的・愛国的な条文の追加のみならず「大統領経験者とその家族は生涯に渡り刑事訴追を免除される」・「大統領任期を生涯通算2期12年にし、改憲以前の大統領経験者はノーカウント」するといった条文を盛り込み、露骨な独裁体制を確立した。
ノルマンディー式典の対応
2014年6月のノルマンディー上陸作戦の式典で「プーチン氏が原爆のシーンで黙祷しながらロシア正教の十字を切った」という内容の報道が行われた。これが特に日本において評価され、同時に拍手していたと報道されているバラク・オバマが非難されている。ちなみにノルマンディー式典の他の指導者は、オランドは拍手せず、メルケルはじっと黙っていたと言われている。
しかしながら、各人の政治的立場やパフォーマンスの流れ・そもそもこれが「ノルマンディー上陸作戦」に因んだ式典であること・更に根拠とされる映像が編集されているということも考える必要がある。
外交
旧ソビエト連邦構成国
2003年11月に旧ソビエト連邦構成国だったグルジアでバラ革命、2004年11月に同じく構成国だったウクライナでオレンジ革命が発生し、以降両国がロシアよりもアメリカとの関係を重視するようになると、両国に対してプーチンは強硬な手段で臨むこともあった。
ウクライナ
2006年1月に天然ガス価格の引き上げを表明し、これを拒否したウクライナへの流量を支払い滞納などを口実に減らすなどの強硬手段を取ってロシア・ウクライナガス紛争を引き起こした。
2014年3月のウクライナ政変において、歴史的経緯からロシア系住民が多数を占め、ウクライナの新指導部に反発するクリミア自治共和国(クリミア半島)では、「礼儀正しい人々」と呼ばれた正体不明の武装集団(後にプーチンが所属章を剥がしたロシア正規軍だったと認める。)がウクライナの軍や警察など治安部隊を追放して領域を制圧した。
その後クリミア自治共和国は地域住民の選挙手続きに基づきウクライナを離脱し、ロシア連邦への編入を決議。プーチンは欧米の反対を押し切ってクリミア半島をロシア連邦の構成共和国「クリミア共和国」として編入した。なおセヴァストポリはロシア帝国時代から軍港都市であった経緯から、クリミア共和国には属さずにロシア連邦政府に直属する「連邦市」となっているが、同じ待遇を受けているのはモスクワとサンクトペテルブルクのみである。これにより欧米とロシアへの対立は仁義なき戦いの様相を見せ始めた。ロシアはかつてのソ連並みの「相容れなさ」を見せ始めたのか。
さらにはウクライナ東部(ロシアに隣接する地域で、クリミア半島と同様にロシア系住民が多い。)のドネツィク州とルハーンシク州でも、親露派武装勢力がウクライナからの分離独立を求めて武装蜂起を起こし、鎮圧と再統合を図るウクライナ政府軍と戦闘状態に入っているが、こちらでもロシア軍やロシアの情報機関が親露派武装勢力を支援していると言われている。
2022年2月24日にウクライナ領土に侵攻した。この侵攻に対して国内外のロシア人からも反対の声があがっている。また、プーチンは欧米を中心とした国々から非難と経済制裁の集中砲火を受けることとなった。日本では両岸問題との関連性から国民的関心も高く、ウクライナ大使館に20億円もの募金が数日で集まったり、反戦デモが日本・ウクライナ・ロシアなど国籍を越えた参加者の手で行われている。
グルジア
2008年8月7日にプーチンが北京オリンピックの開会式に出席している最中にグルジアが同国自治州の南オセチアに侵攻した事に対し、南オセチアの独立を支持する立場から「報復」を宣言し、翌8月8日にロシア連邦軍を派遣して南オセチアに軍事介入した。
グルジアの侵攻の原因については、同年8月28日にアメリカのテレビ局であるCNNとのインタビューで、「2008年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党候補者のジョン・マケインを優位にするためにブッシュ政権がわざと起こしたものだ」として、アメリカのブッシュ政権を厳しく非難して新冷戦と呼ばれる様相を呈した。2011年10月にはベラルーシ・カザフスタンとロシアがヨーロッパ連合型の地域統合を行うユーラシア連合を構想する寄稿を行っている。
日本
大統領就任当初から戦略的に投資の誘致・天然資源の輸出先として日本を重視し、2005年11月の来日時には100人以上の財界人を引き連れて日本側に投資の促進を訴えた。自衛隊とロシア連邦軍の救難訓練も毎年実施されるようになり、日本と平和条約を締結することに意欲的な姿勢を示しているものの、基本的に日ソ共同宣言を根拠にした2島返還論を推奨しており、未だ解決には至っていない。
来日時には日ソ共同宣言に基づき、2島を「譲渡」することで日本側を説得しようとした。その後も北方領土問題の解決と平和条約締結に意欲を見せるものの、問題が解決に至らないのは日ソ共同宣言を履行しない日本側の責任であるとしている。2001年7月の日露首脳会談では日本の森喜朗首相(当時)と共に「イルクーツク声明」を発表し、同宣言が平和条約締結の交渉の出発点である事を確認した。ただし、同宣言にある2島返還論は主権返還ではないとしている。北方領土はソ連が領土回復させたとする歴史認識を述べており、プーチンが監督するロシア地理協会は北方領土の島に対日戦を指揮したソビエト連邦軍将校の名前を付けた。
2005年11月の来日前にロシア国内向けテレビ番組に出演した際には「北方領土の主権が現在ロシアにあることは国際法で確立され、第2次世界大戦の結果であるので、この点については交渉するつもりは無い」と発言し、2016年5月には会見で「北方領土は1つとして売らない」とも発言しており、北方領土で軍事演習・対日戦勝記念パレードを実施し、北方領土の基地化も進めて日本政府の抗議を受けている。更に北方領土の経済特区指定・北方領土への新型ミサイル配備・北方領土の土地無償分与を開始するなど、日本の領土返還要求を牽制する態度も示している。
人物
- 動物好きである。特に犬好きでラブラドール・レトリーバーの「コニー」という愛犬を以前から飼っており、ドイツのメルケル首相(彼女は犬嫌いである)との会談にも同席させる程である。2012年7月に秋田県の佐竹敬久県知事に秋田犬の「ゆめ」を贈られ、お返しに猫好きの佐竹にサイベリアンの子猫を贈呈した。また2010年11月にはブルガリアのホリソフ首相からカラカハン・ドッグ(ブルガリアンシェパード)の「パフィー」を貰っている。
- 首脳会談に犬を同席させる理由はプーチン本人が犬好きである他、相手の注意を散漫にさせて自分達(ロシア側)にとって有利な展開に持ち込むための作戦だとも言われている。さらに2017年10月にトルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領からアラバイ(中央アジアの大型牧羊犬でセントラル・アジア・シェパードの一種)の子犬「ヴェールニー」をもらったが、その際ベルディムハメドフ大統領が子犬の首根っこをつかみ上げるのを睨みつけていた。
- 趣味は釣り・柔道など。特に柔道はレニングラード市大会で優勝するほどの実力者である。また本人が実力主義者かつ真面目なためか黑帯を特別贈呈されることが決まった際には「私は自分の力で取りたい」と発言して断っている。大統領になって以降もフォーミュラカーやハーレーを乗り回す姿が見られ、国立公園を訪れた際、襲いかかってきた虎を麻酔銃で撃つなど逸話には事欠かない(大国・ロシアの指導者に相応しい「マッチョ」なイメージを演出するパフォーマンスの一環である)。今も身体を鍛えているため筋肉質の体型、身長は意外にも168センチメートルである。また、かつてKGBという諜報機関で諜報員として活動していた。2020年以降は人相の変化や、明らかに姿勢が悪くなっていることから健康状態について様々な憶測がなされている。
評価
2015年2月にミンスク合意の件でドイツのメルケル首相・ウクライナのポロシェンコ大統領・フランスのオランド大統領の4人で会談したが、プーチンはその外交で見事に勝利して「最高の夜明けだ。」と述べたくらいである。また経済制裁の影響からか脱欧入亜の動きも活発化しており、欧米諸国から距離を置き始めている故にアメリカドルとユーロを同時に決済から除外しようとする動きも見られる。
こうした行動から実は現実主義の政治家であり、国内問題だけでなく外交でもそれを遺憾無く発揮している、という評価がなされる事もある。
KGB出身である事と、また後述の強火な発言から一部で「おそロシア」的文脈も帯びたコアな人気を有する。
思想
プーチンは誇大妄想的愛国主義を唱えるファシスト哲学者イワン・アレクサンドロヴィチ・イリイン(Ivan Alexandrovich Ilyin)に傾倒している。2006年からプーチンは彼に言及するようになり、演説でも頻繁に引用するだけでなく、2005年に亡命先のスイスにあった墓をロシアに移築する際にも関与した。更に木製の墓標だけが立つ簡素な墓の改装のために私財を投じ、2009年に豪華なものとへと生まれ変わらせた。
1917年のボルシェビキ革命を否定するイワン・イリインはその反革命思想のため、共産主義を聖なるロシアを穢す思想として批難したために、ソビエト連邦によって1922年に他の知識人達と共に「哲学者の船」に乗せられ国外追放された。ソ連体制において禁忌とされた思想家の一人であり、ロシア主義と極めて攻撃的に再解釈された正教会(オーソドクス)キリスト教信仰、そして陰謀論的思考回路を特徴とする。
イリインの思想は例えばこのようにまとめられる「ロシアのような巨大な国では民主主義ではなく、(権威主義的な)『国家独裁』だけが唯一可能な権力の在り方だ。地理的・民族的・文化的多様性を抱えるロシアは、強力な中央集権体制でなければ一つにまとめられない」(「フォーリン・アフェアーズリポート」サイトによる要約)。
亡命中に発表した論文の中で「ロシアにはファシズムが必要であり、選挙は国家指導者への支持を示す儀式としてのみ行われる」と主張している(コラム:苦境のロシアで「プーチン帝政」人気の謎)。
ウクライナに対する態度も特徴的である。ティモシー・スナイダー著『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会刊)によるとイリインはウクライナ人に対して、ロシアという有機体の外に在る別個の存在と認めてはいなかった。彼はウクライナ人について書く時「ウクライナ人」と括弧つきで表記した。(独立性を前提として)ウクライナについて語る者をロシアにとっての大敵と見做しさえした。
ペスコフ大統領報道官によると、プーチン個人も近年ではロシアの歴史にも興味を深めて本を読み込み一家言を持つようにもなったという。政権内ではイワン・イリインの著書『ロシアの国家主義について』を読む事が推奨されており、思想的バックボーンとして重んじられている事を示している。
2019年6月にイギリスのフィナンシャル・タイムズ紙に掲載されたインタビューで「自由主義(リベラル)的な価値観について、西側諸国の多くの人々が拒絶しているため、時代遅れのものとなった」旨を語った(欧米などに居る宗教右派や反リベラル派を指すとみられる)。これに憤ったイギリスの音楽家エルトン・ジョンに対し、彼を天才音楽家として尊敬しているとのらりくらりと返しながら、ロシア当局はLGBTの人々に対して「鷹揚で偏見のない」対応をしているが、性同一性に関する決定は大人だけが下すことができ、未成年者は「別にする」必要があると、ゲイであるエルトン・ジョンがまさに問題としている政策をあらためて正当化するという、西側世界発のリベラルな規範に挑戦し、性的少数者やその支援者たちを挑発する言動をとっている。
2021年7月に開催された東京オリンピックでは、トランスジェンダーのアスリートが性自認に基づいて競技に参加する事を否定した。
家族
1983年7月にリュドミラ・シュクレブネワと結婚した。なおリュドミラは元客室乗務員でレニングラード大学の文献学専攻の学生だった。1985年4月に長女のマリーヤ、1986年8月にドイツのドレスデンで次女のカテリーナが誕生した。2人は両親の母校であるサンクトペテルブルク大学(旧レニングラード大学)に合格し、マリーヤは生物土壌学、カテリーナは日本史を専攻すると報じた。2005年3月にマリーヤはギリシャで結婚式を挙げており、結婚相手は不明である。
2013年6月にリュドミラと離婚した。
プーチン語録
(1999年にチェチェン武装勢力に関して)
(2000年)
- 「日本は、不倫や近親相姦を題材とした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落したのか」
(2000年7月に沖縄サミットで、日本の森喜朗首相が2000円紙幣を各国首脳に配布した時に)
- 「あれは沈んだ」
(2000年9月にロシアの原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)
(2001年5月)
(2002年11月に「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)
- 「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」
(2003年9月に気候変動会議の開幕式で)
- 「国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」
(2004年6月にサッカー欧州選手権・ロシア対スペイン戦開始前の国歌斉唱で)
- 「謝罪は1回すれば十分だ」
(2005年5月に第2次世界大戦の際にソ連とドイツが密約を交わし、ソ連のバルト三国併合を取り決めたことに対して)
(2005年5月にソ連によるバルト三国支配への批判に対して)
- 「かわいくてついやってしまった」
(2006年7月にクレムリン宮殿の中庭で少年のシャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明)
(2008年3月にロシア国内の汚職の横行に関して)
- 「医者を送り込んで始末しなければならない」
(2008年7月にロシアの石炭大手企業であるメチェル社によるダンピングと脱税疑惑に関して)
- 「睾丸を縛ってつるし上げてやる」
(2008年8月に南オセチア紛争の際、グルジアのサアカシュヴィリ大統領へ向けて)
- 「我が国は核保有国だ。」
(2022年2月のウクライナ侵攻の際、各国の経済制裁に対して)
- 「ロシアの人々は、くずどもと裏切り者を愛国者と常に見分けることができ、誤って口の中に飛び込んだ小虫のように吐き出すことができる」(前述の侵攻に対する反戦運動に関して)
備考・出典
- 『ウクライナ危機の実相と日露関係』鳩山由紀夫・高野孟・下斗米信夫など。
- プーチン大統領、犬を贈呈される 中央アジア原産の牧羊犬。
- ウラジーミル・プーチンのタイムライン
- エルトン・ジョンはロシアのLGBT問題を「誤解」=プーチン大統領
- 全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…! キエフ制圧でも戦略的敗北は避けられない
- ロシア各地で反戦デモ 1400人拘束
- 「もう戦争してほしくない」ロシア出身のNHLスター選手が訴え
- プーチン大統領がトランスジェンダー選手に反対表明で物議