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アウォーディー

あうぉーでいー

2010年生まれの競走馬。血統的には芝馬とされながらも、後にダートレースにて活躍を残した。馬名は「受賞者」を意味する。
目次 [非表示]

データ

馬名アウォーディー
生年月日2010年5月10日
英字表記Awardee
性別
毛色鹿毛
ジャングルポケット
ヘヴンリーロマンス
母の父サンデーサイレンス
競走成績42戦10勝
近親半妹:アムールブリエエンプレス杯連覇、名古屋グランプリ連覇、ブリーダーズゴールドカップ連覇(2015~2016年))、半弟:ラニUAEダービー(2016年))

概要

父にジャングルポケット、母にヘヴンリーロマンスを持つアメリカ生まれの外国産馬

…ここでおかしさに気づいた方はいると思うが、恐らくその感覚は正しい。

そう、両親ともに内国産馬なのである。

では何故アウォーディーが外国産馬なのか?というと、実は母ヘヴンリーロマンスはジャングルポケットの仔を受胎したままアメリカへ渡り、そこで後のアウォーディーを出産しているため、生国はアメリカとなっているのである。人間でいうなら、さしずめ帰国子女と言ったところだろう。


デビュー、そして長すぎた条件時代

日本へと渡ったアウォーディーはノースヒルズ代表・前田幸治氏をオーナーとして、栗東松永幹夫厩舎に入厩した。

5月と遅めの生まれなのもあってか調整が遅れたが、何とか2歳戦には間に合い、クリスマスイヴの阪神競馬場の芝1800mの新馬戦でデビューし、4着。その後勝ち上がったことで一縷の望みを繋いで日本ダービーを目指すが、最後のトライアルである青葉賞を5着に敗れ、ダービーは諦めることとなった。

以後は5歳となった2015年の6月までずーーーっと芝で使われ26戦を戦い、5勝2着4回3着6回。主な勝ち鞍は4歳以上1000万下。堅実に走りはするものの、なかなかオープンクラスを勝ち上がれずにいた。


この原因は、当初は「芝で実績を残したヘヴンリーロマンスにダービー馬のジャングルポケットを掛け合わせたのだから芝馬に違いない!」と判断されていたからであり、妹のアムールブリエが関東オークスで2着と好走し、エンプレス杯と名古屋グランプリを優勝。弟のラニもダートで好走したことにより、ヘヴンリーロマンスの子は種牡馬を問わずダートに強くなる傾向が明らかになっていった。


芝からダートへ。そして、重賞制覇

この傾向を見た陣営は、アウォーディーをダートへ転向させることを決断。

夏休みを経てから、9月の阪神開催の1600万下のダート1800m・オークランドレーシングクラブトロフィーを3馬身差で快勝して遂にオープン入り。これによって自信を持った陣営は、続いてシリウスステークスへと挑み、2着ダノンリバティから3馬身差を開いて快勝。ダート転向が見事に決まり、重賞初制覇を決めた。また、この勝利で鞍上の武豊も通算300勝を決めた。

次走はチャンピオンズカップ浦和記念を予定していたが、左のトモに不調が見られたため回避し、年内は療養へ充てた。


ダート王への道

2016年、明けて6歳となったアウォーディーは始動戦の名古屋大賞典大差で圧勝。続いて挑んだアンタレスステークスも直線で粘るアスカノロマンを半馬身差で競り落として勝利。一気にダート王へと上り詰めるかに思われたが、その後に馬房で寝違えを起こしてしまい右前足を負傷。予定していた平安ステークス帝王賞を回避し、療養に入った。

療養明けの9月は日本テレビ盃で再始動。同年のフェブラリーS馬・モーニンをアタマ差で交わして勝利。そして陣営はついにG1級初挑戦としてJBCクラシックへの挑戦を決めた。


遅咲きのダート王・ついに戴冠

そして迎えたJBCクラシック。ここには苫小牧の星ホッコータルマエを始めとして、前年度覇者コパノリッキー、日本テレビ盃での雪辱を誓うサウンドトゥルーなど、強豪が多く集った。

しかし、そんな強豪だらけの様相でもアウォーディーの強さは変わらなかった。本番では道中中団から3コーナーで先団に取り付き、抜群の手応えで粘るホッコータルマエを4分の3馬身交わして1着。

ダート転向から6連勝。居並ぶ強豪らを破り、遂に悲願のG1馬となった。


その後はチャンピオンズカップへ挑むが、サウンドトゥルーに雪辱を果たされ2着。年末の東京大賞典ではアポロケンタッキーの2着に終わる。しかし、連対は確保しており、来年にも期待が持てる内容となっていた。


世界への挑戦、…しかし徐々に見える陰り

2017年、7歳となったアウォーディーは弟のラニをはじめとする4頭と共にドバイワールドカップへと遠征。本番では10馬身をぶっちぎるアロゲートに圧倒されて敗北するが、日本勢最先着の5着と意地は示す形となった。

帰国後は帝王賞へ挑み3着を確保。ダート王、未だ健在をアピールしたが、秋のJBCクラシックではサウンドトゥルーの4着、チャンピオンズカップではドバイで絶不調だったゴールドドリームの復活劇の前に5着に敗れる。

その後も中々復調せず、2018年の初戦・川崎記念では3着に好走するが、続くフェブラリーSでは全く良いところがない9着。再度ドバイワールドカップへ挑むが6着に終わり、帰国後の帝王賞でも8着に沈んだ。

この様子をみた陣営は、秋からの巻き返しを図るため、アウォーディーを長期の放牧に出した。


だが…



突然の最期

8月、放牧を終えたアウォーディーは栗東への帰路へ着く…はずだった。

しかし帰厩目前の8月6日、アウォーディーは右飛節を骨折。致命的な骨折となってしまい、予後不良の診断が下された。


通算成績42戦10勝、獲得賞金総額4億3510万4000円。

芝での長らくの苦戦から砂へと切り替え、遂に栄光を手にしたアウォーディー。

その生涯は刹那の輝きであったのかも知れない。

だが、その僅かな輝きは『世界へ挑んだダート王』として、確かに皆の記憶と記録に焼き付けている。


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