概要
スノウインハザードは、漫画「ウマ娘プリティーダービー スターブロッサム」に登場する、オリジナルウマ娘。
第13話の後半で初登場、第14話のラストにフルネームが明らかになった。
一人称は「ぼく」。大柄で長身の体格と褐色肌の外見ながら、極度の寒がりで、普段からトレセン制服の下にパーカーを着込み、スカートの下にジャージを履いている。夏合宿の際も長袖のパーカーを着こんでいた。身長はサクラローレルやヒシアマゾン達と比べて頭1つ分くらい高い。
力も他のウマ娘と比べると強いらしく雪かき用のシャベルを片手で持って使っていた。
実力のあるウマ娘だがそれゆえに勝ちへの執念、情熱が欠けておりどことなく冷めているところがある。同じレースをする相手が必死な中でもその態度を変えることが無いためか傲慢さする感じられる。
ただ結構負けず嫌いな一面もあり不利な状態に追い込まれると闘志を燃やす一面も。
アメリカ出身で、同郷のヒシアマゾンとは幼馴染。凱旋門賞ウマ娘にも勝った北米芝チャンピオンの姉(史実のタイキブリザードの半兄でヒシアマゾンの父シアトリカルがモデルか)がいる。
史実に同名の競走馬がいないため、ネーミングの連想からタイキブリザードがモチーフ元と推測されている。
競走馬『タイキブリザード』
風を育みながら
付け入る隙を探すがいい
渾身の力で振り切るがいい
ただし忘れてくれるな
私は決して諦めない
最後まで食らいつく
どこまでも追いすがる
その積み重ねが私の中に
激しい上昇気流を育んでいく
いつか荒れ狂う吹雪となって
すべてを飲み込んでやる
1991年3月12日、アメリカ・ケンタッキー州生まれ。美浦・藤沢和雄厩舎所属。
1994年2月14日、新馬戦を圧勝。2着は後の重賞3勝馬カネツクロス。続く3月6日の中山競馬場500万下でも勝利。サクラローレルが2着だったが、この2頭の最初で最後の対決となった。
……が、その後はなかなか勝ちきれない。タイキブリザードはシルバーコレクターになってしまったのである。
1995年は宝塚記念・有馬記念共に2着、翌1996年では産経大阪杯で重賞初制覇(これまで主な勝ち鞍が谷川岳ステークス(オープン)のままであった)するが安田記念も2着。その後はアメリカに遠征しブリーダーズカップ・クラシックに出走する(日本調教馬初のBC参戦)も、レース前の熱発と前日の雨の影響で13頭立ての最下位に撃沈してしまった。
1997年は始動戦の京王杯スプリングカップでレコード勝ちを収め、安田記念でついにGⅠ初制覇。その年の秋には再びアメリカに遠征するが、オークツリーブリーダーズカップマイルハンデキャップは3着、BCクラシックは6着に終わった。同年の有馬記念(9着)で引退。
BCクラシック2回と97年有馬記念以外は掲示板を外していない安定した成績を誇った。
1998年に種牡馬入りし、2005年に引退。代表産駒は2001年札幌2歳ステークス勝ち馬のヤマノブリザード。
かなり大柄な馬で、体重計測をしない海外遠征時以外だと馬体重が520kgを切らないレースが無かったほど。例えば先述の1997年安田記念は546kg。……もっとも、このレースにはもっとデカい奴がいたのだが。
余談
高身長なのが「ウマ娘シンデレラグレイ」の作者・久住太陽先生の好みにドストライクだったらしく、ファンアートと共にご満悦のツイートが投稿されている。
関連タグ
タイキシャトル(ウマ娘):同じ冠名(厩舎・主戦騎手も同じ)で実名実装済のウマ娘。史実ではブリザードが安田記念を勝利した翌年にシャトルが勝利する。
バブルガムフェロー(ウマ娘):同厩舎。1997年宝塚記念で対戦あり。
ヒシアケボノ(ウマ娘):GⅠ優勝時馬体重560kgの記録を持つ超大型馬がモデル。