ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ゼロジー

ぜろじー

日本のアニメ制作会社。1991年に設立されたスタジオ「ゼロ・G・ルーム(のち、ラディクス/RADIX)」を起源に置く。
目次 [非表示]

LEONLOLAなどのVOCALOIDを開発したイギリスの会社とは異なる。

概説編集

※「ねぎしひろし」の項目も参照

日本のアニメ制作会社

2011年に、アニメ監督ねぎしひろしによって設立された。

この会社は法人上の設立年こそ2011年だが、その源流は、ねぎしによって1991年に設立されたアニメ制作会社「ゼロ・G・ルーム」ひいては以降の業界再編とM&A(経営の買収合併)によってゼロ・G・ルームが改組されて成立したラディクスエースエンタテインメント(ウェッジホールディングス傘下、のちラディクスモバニメーション。いわゆるRADIX)にある。


「ゼロ・G・ルーム」時代初期の参加人員の流れ的には、ねぎしが所属していたスタジオコクピット(下請グロス専門)と葦プロダクション(タツノコプロ系)の両系列がメインとなって設立された会社とも言えた。ただ改めて「ゼロジー」を立ち上げるにあたっては、ねぎしはAICの支援を受けており、のちには代表取締役をAICから迎えている。(ねぎしは発起人ではあるが取締役。のちに会長となっている)


しかし、これら源流各社間およびゼロジーには全て歴史(ねぎし)的繋がりはあっても資本的(あるいは経営的または登記書類上の)繋がりが無い(ラディクスはウェッジ傘下だが、ゼロジーはウェッジ傘下ではなく、ゼロジー自体がウェッジの系列から離れた形で新規に設立されている)ことに留意を要する。


なお現在は、ねぎしひろしの尽力により「ゼロ・G・ルーム」「ラディクス/ラディクスエース/ラディクスモバニメーション」各社制作作品の制作著作権利はゼロジーに与えられており、これら各社の制作したアニメーション作品の著作権管理も同時に行っている。


2022年9月に同業の制作会社であるデジタルネットワークアニメーション(DNA、現:セイバーワークス)を傘下に収めグループ会社としたが、これはDNAの創業者である長牛豊がラディクスの出身者であった(つまりゼロジーと同祖である)事に起因している。2024年には自社でアニメーターを育成する目的で、アニメスクール『Z&Gアニメラボ』を設立した。


各管理ブランド編集

ゼロ・G・ルーム編集

いわゆる旧ZERO-Gゼロジーの原点・起源となる制作スタジオで、ねぎしひろしが最初に立ち上げた会社。

葦プロおよびタツノコプロで活動していた『NG騎士ラムネ&40』の一部スタッフ陣が、同枠の次作品として企画していた『KO世紀ビースト三獣士』(ひいては、そこから続くべき2文字アルファベットシリーズの企画作品)を制作するため、1991年に設立したアニメ制作スタジオである。

のちにタツノコプロのプロデューサーである植田基生が参加した。


2001年に子会社であったはずのラディクスに吸収されて法人としては消滅する。(後述)


ラディクス/ラディクスエース編集

こちらはゼロ・G・ルームの企画室が1995年に分社化して立ち上げられた会社。当初はゼロ・G・ルームの子会社であった。著作権名義はRADIX が用いられる事が多い。


当時は(広告会社系の)企画会社や(メディア系の)製作会社がアニメ企画を立ててスポンサーを集め製作委員会を立ち上げ、そうして立てられた企画を製作委員会から預かってアニメ制作会社が実制作を行う、という図式が一般化し始めたため、ゼロ・G・ルームがオリジナル作品を立てるに際して、この「企画」の部分に食い込むと同時にゼロ・G・ルーム(および、ねぎしひろし作品)の制作側著作権を管理する(アニメの「実制作部門」と「企画部および著作権管理部」を分割して専門性を高める事で会社のフットワークを軽くしようとした)ために分社化された。


ところが企画部門と実制作部門とを分社化した事で両社間で執り行う各種手続が増えて煩雑化。結果として2001年にゼロ・G・ルームを吸収合併しラディクスを存続会社として1995年以前の体制に戻った。(実質上はゼロ・G・ルーム→ラディクスという、単なる看板の掛け替え)


しかし2005年ウェッジホールディングス(元はメディア出版社のブレインナビ)によって買収を受け、ウェッジグループの100%子会社となった上でグループ内にて同様に買収を受けた同業他社他部門(旧エースデュースグループの映像作品管理部門)と合併させられラディクスエースエンタテインメントとなった。しかし翌2006年ウェッジグループのグループ再編が加速した末に、ウェッジホールディングス本体へ吸収合併され消滅する。

ゼロジーの傘下になったデジタルネットワークアニメーションは、この時にウェッジへの合流に対して反発する形で独立したメンバーによって成立した会社である。


ラディクス02/ラディクス(第2期)/ラディクスモバニメーション編集

こちらはラディクスの連結子会社。2001年設立。

ゼロ・G・ルームから見た場合、実質上の孫会社にあたるが、成立がゼロ・G・ルームのラディクスへの吸収と同時であったため、存在が同期した事は無い。

ラディクスの著作権管理部が分社化したもので、ねぎしひろし作品の著作権(制作権)管理を主業務とした。

しかし2005年のウェッジHDのラディクス買収によって、ラディクス本体と子会社として資本連結していた事が災いする。

ラディクスエースの成立と共に自ら改めて「ラディクス」を名乗りブランドを引き受けて維持するも、案の定ラディクスエースの吸収合併と同時期に、ウェッジの同業他社であるモバニメーションと合併させられラディクスモバニメーションになり、そしてねぎしはウェッジグループの取締役を退任させられる事となった。(つまり法人格の維持をラディクスが取った代わりに、人員人事をモバニメーション側が取った形になってしまった)

この事により、ねぎし作品の著作制作権管理が、ねぎしの元を離れる事態に陥り、いわゆるねぎし関連作品に対する著作権利のねじれ現象が起こった。

しかしラディクスモバニメーションとなったと同時にねぎしが離脱した事で作品の制作体制が整わなくなり、結局「ラディクスモバニメーション」としての表立っての参加作品は得られずに終わり、ねぎしから得ていたコンテンツも活かす場所を見いだせず死蔵させ、実質上の休眠状態に陥る。


ゼロジー編集

現在のゼロジー。ウェッジホールディングスとは無関係な独立資本で設立された会社。そのため会社登記上は上述した一連の前身企業群とは全く関係が無い事になっている。(ウェッジに残されたラディクス系列の流れとは、互いにねぎしが設立した同祖会社となるが)

ねぎしが自作の権利管理のねじれを解消するとともに、後継に制作の場を与えるため、設立させたアニメ制作会社。会社の設立にAICの支援を受け同社プロデューサー先川幸矢を代表取締役に迎えた。

2012年、ねぎしのウェッジ側との(原作権・制作者権)交渉により、ラディクスモバニメーションに残されていたねぎし作品の著作権・制作版権を全て譲渡され、その管理をラディクスモバニメーションより受け継ぐ事となった。

ここにねぎし作品の著作権管理のねじれは解消され、ゼロジーは正しく「ゼロ・G・ルーム」および「ラディクスグループ」の後継として作品管理を行う事となった。


おもな作品編集

ゼロジー(ZERO-G)編集


ゼロ・G・ルーム(旧ZERO-G)編集


ラディクス(RADIX)編集


ラディクスエース(RADIX ACE)編集


関連項目編集

ねぎしひろし

あかほりさとる:設立経営に参与こそしていないが、多くの作品をRADIXによりアニメ化された。なので、ねぎしに並ぶ旧ZERO-G設立の立役者およびRADIXの黒幕のひとりと見なされる事もある。

山下敏成:ゼロジーに所属していたスタッフ。2024年10月1日没。葦プロ第2スタジオ出身で、ねぎしの独立に伴う誘いによってゼロ・G・ルームからゼロジーまでの全社に所属した。キャラデザイン、設定協力、OP/EDアニメ製作、演出などを担当した。



外部リンク編集

ホームページ

公式Twitter

関連記事

親記事

アニメ制作会社 あにめせいさくがいしゃ

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 357

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました