※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
プロフィール
生年月日 | 1997年3月19日 |
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死没日 | 2019年? |
英字表記 | Yu Fuyoho |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ラグビーボール |
母 | ユウミロク |
母の父 | カツラノハイセイコ |
競走成績 | 29戦2勝(平地6戦0勝 障害23戦2勝) |
生涯獲得賞金 | 1億2227万5000円 |
生産 | タイヘイ牧場 |
馬主 | 株式会社アイテツ |
概要
北海道日高町の「タイヘイ牧場」で生産された00世代の障害馬。
同じ牧場で産まれた競走馬は他にサニングデール、シルポート等がいる。
父ラグビーボールは『関西の秘密兵器』と言われた86世代の馬で、馬主の小田切有一氏が名付けた珍名馬第一号としても知られる。1986年のNHK杯や高松宮杯を制した他、東京優駿でもダイナガリバーの0.5秒差で4着入線。
代表産駒は他に1996-97年ダイヤモンドステークス連覇や96年の目黒記念を制したユウセンショウなどがいる。
父の父はナイスダンサーで、何気にナイスネイチャの近縁だったりする。
母ユウミロクもラグビーボールと同期。1987年のカブトヤマ記念を制した他、優駿牝馬では9番人気という低評価を覆してメジロラモーヌの2着に入った。
繁殖牝馬としてはユウフヨウホウと先述の全兄ユウセンショウ、更には2000~01年中山グランドジャンプ連覇の半兄ゴーカイ(父ジャッジアンジェルーチ)を産んだ。
母の父カツラノハイセイコはダービーと春の天皇賞を制したハイセイコーの代表産駒。母父としての重賞産駒はユウミロクから産まれた3兄弟のみ。
馬名は馬主「株式会社アイテツ」の冠名「ユウ」と、富士山の別名「芙蓉峰」から。
勝負服は「白+桃井桁絣、桃袖」。
同馬主の馬はユウフヨウホウとユウセンショウの他、京都記念の勝ち馬ユウトウセイ等がいる。
経歴
中山大障害に至るまで
デビュー自体は割と遅く、2000年3月に中京競馬場で開催された4歳未出走戦でデビューした。結果は11頭立て9着で、その後は未勝利戦1800mを挟んで2200~2500mと長めの距離を走るのだが、最高でも5着と振るわず半兄ゴーカイの活躍もあってか、2000年5月の未勝利戦を最後に障害に転向する。
障害レース初戦こそ5着に敗れるものの、そこから飛越に慣れ始めたのか3着を二度経由して障害4戦目で初勝利を挙げる。その後出走した牛若丸ジャンプSや淀ジャンプSは勝てなかったものの勝ち馬から離されなかったが、初の障害重賞出走となった阪神スプリングジャンプを含め勝ち馬から離されるレースが続いた。中山大障害の前走障害3歳以上OPでは着順こそ3着であるが、勝ち馬カネトシガバナーからは10馬身ほど突き放されている。
2001年中山大障害
この年の中山大障害は10頭立てと少頭数のレースとなった。1番人気は今年の中山グランドジャンプで連覇を果たし、中山大障害を2年連続2着と好走している半兄ゴーカイ。2番人気は前走でユウフヨウホウを負かしたカネトシガバナーで、3番人気には前走を制し障害重賞で勝利した実績もあるマキハタコンコルドが入った。
ではユウフヨウホウはというと、知っての通り10頭立て10番人気である。確かに半兄ゴーカイの実績はあるのだが、如何せんここ最近のレースで勝ち馬から離されすぎてしまったせいだろう。しかし、前走でちゃんと勝利しているワンダフルシチーに人気で負けるのは分かるのだが、前走で勝ち馬から8馬身ほどは離されていたメジロシュナイダーにまで人気で負けているのはどうしてだろうか。というか、ワンダフルシチーの前走の勝利は障害初勝利のはずなのだが……。ついでだが、鞍上は今村聖奈の父今村康成である。
レースは最初の5号生垣障害でマキハタコンコルドの落馬競走中止、という波乱のスタートとなる。カネトシガバナーがハイペース気味のレースを作る中、ユウフヨウホウは後方で構える。大竹柵障害でギフテッドクラウンが落馬、さらに大生垣障害でメジロシュナイダーも落馬するというタフなレースとなってしまう。ユウフヨウホウは大きくバランスを崩すことなく、中団から後方で追走を続け、4号竹柵障害を飛越する頃には4番手まで順位を上げていた。
最後の5号生垣障害でハイペースが祟ったのか、遅れ始めていたカネトシガバナーも落馬してしまう。ここでゴーカイとミナミノゴージャスが抜け出し、ユウフヨウホウは少し離れて3番手に上がる。そしてダートコースを横切って最後の直線、ゴーカイがミナミノゴージャスを競り落とし悲願の中山大障害制覇……と思われた時だった。
外からもの凄い脚で、ユウフヨウホウがゴーカイを追い越していったのである。
そのまま並ぶ間もなく突き抜けたユウフヨウホウは、2馬身差をつけて中山大障害を制した。単勝は11470円で、障害G1で初の単勝万馬券および兄弟でのワンツーだったりと、色んな記録を残す勝利となった。鞍上の今村康成は、生涯唯一の重賞&GI制覇を果たした。なおゴーカイは中山大障害で3年連続で2着となった。翌年も現役を続けたが、中山グランドジャンプ3連覇は叶わずに引退している。
その後
彼の様にGIで単勝万馬券を出す馬は、サンドピアリスやコパノリッキーの様に覚醒するか、ダイユウサクやビートブラックの様に完全に一発屋であるかのどちらかである。
ユウフヨウホウは後者の方で、連覇を狙った翌年の中山大障害では7着に敗れるなど、掲示板に載ったのは一回のみで現役を引退した。掲示板に載ったのは2003年の阪神スプリングジャンプなのだが、14頭中6頭が競走中止したためである。
現役を引退した後は、名古屋学院大学馬術部にて馬術競技馬となった後静岡県磐田市の磐田若葉乗馬クラブへ移動(Wikipediaより引用)し活躍したそうだが、netkeibaの掲示板によると2019年に亡くなったようである。