中井英夫
なかいひでお
1922年9月17日東京生まれ。祖父、父と続く植物学者の家系に育つ。
本名同じ。別名義に塔晶夫、碧川潭、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世(世田谷区羽根木が由来)など多数。
東京大学文学部言語学科を「窮乏のため」中退後、日本短歌社→角川書店で短歌雑誌編集の仕事につく(この時発掘したのが寺山修司や中城ふみ子などの先鋭的な歌人。短歌編集者としての足跡は特筆すべきものがある)。
1955年1月に「突然『虚無への供物』の全編構想が浮かぶ」も、完成までにはそれから約九年を要した。途中の第二章分までを62年の江戸川乱歩賞に応募するも次点に終わる(その後最終章まで書き足し、単行本になったのは64年)。
61年に角川を退社、以後はフリーの作家として活動。
他の代表作に『とらんぷ譚』『金と泥の日々』『薔薇の供物』など。推理(?)小説の大長編『虚無』のイメージが強いが、作品の殆どは短編(集)や詩集、評論等である。
1993年12月10日死去、享年71。
今日では大怪作アンチミステリ『虚無への供物』の作者として知られるが、実は推理小説よりも幻想文学作品の比重が高い。
またその博識ぶり&何かと語りたがりな性格を生かした評論、エッセイの著作も多い。
7歳の時から江戸川乱歩(の妖しい変格世界)に耽溺して自分でも幻想・妄想小説を書き始め、10代前半で夢野久作や小栗虫太郎を読破していたという相当な筋金入り。「薔薇」「黒鳥」「月蝕」といった妖しげなキーワードにコダワリが強い(ただ「前日の皆既月蝕を見損ねたから“月蝕領主”の名は放棄する!」などと、自筆年譜にわざわざ書いていたりもする)。
また同性愛者であり、1950年代以降の日本ゲイカルチャーとの関わりも強い。『虚無』が最初に(途中まで)掲載されたのも会員制男性愛サークル「アドニス会」発行の、いわゆるゲイ雑誌だった。三島や澁澤龍彦らとは長年に渡り「(BLだけに限らず趣味・価値観のあう)同好の士」として親交が深かった(しかしそんな三島の自刃に際しては「あの彼流の美学は私には我慢ならない」「要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだね」という旨の手厳しい批判をしている)。
その一方で(三島ら他の多くの作家が「作品がすぐ古くなる」という理由で排除していた)当時の世相・時事風俗に対する異常なまでの愛着・執着も特徴。他人の作品解説文で掲載雑誌の広告内容(コロムビアのポータブル蓄音器がどうたらこうたら、等)について無駄に熱く語ったり、「実際の事件関係者の名前(実名)までちゃんとしっかり書かないと死んじゃう病」などは、大いに好み・評価の分かれるところだろう。
1967年から電算機学校に通うなど、コンピューターへの関心が早かった文士のひとり。
当局から検閲を受け一部削除された横溝正史の初期代表作『鬼火』のオリジナル完全版復刻に寄与した功労者(他の作家目当てで収集していた当時の雑誌の中に検閲削除箇所ページを破り忘れられてそのまま残ったものが、たまたま紛れ込んでいた)。