概要
奇書という語は大元は清朝前期の書店が販促用につけたキャッチフレーズで、本来は世に稀なほど卓越した名作小説を指していた。
第二次世界大戦後、「日本探偵小説界の三大奇書」の煽り文に転用されたことが、日本のサブカルチャーにおいてこの概念が広まった全ての元凶である。「奇」という文字には「優れている」という意味もあるが、単に「変わっている」(優劣は問わない)事も指し、奇怪や奇妙、奇抜にも通じる。このことから、国内においては「異端文学」といった意味に重点が置かれるようになってしまった。また、古書界では手に入れにくい珍しい書物(「稀覯本」、「珍本」)を指して「奇書」と呼ぶこともある。
さらに転じて、小説以外でも
・制作意図が不明。なんなら著者も成立時期も不明。
・整合性が無い。内容がとにかく滅茶苦茶。整合性が成立している部分があっても中途から破綻している。
・出典が謎。物事の真相や予言について綴られていても裏付けが曖昧。
…といった文書一般がそう呼ばれることが多くなった。ヴォイニッチ手稿などのように全文暗号で綴られていて解読不可能な、小説ですらない書物も奇書として紹介されることもしばしばである。
中国四大奇書
本来の意味の「奇書」。四大名著とも。成立は1600年代以降か。
日本探偵小説三大奇書
煽り文のテンプレは「普通のミステリーに飽きてしまった人にお勧め」
どれも推理小説の体裁をとりながらも、文章も世界観も奇怪&精神医学や幻想思想などのあきらかに推理やミステリー関係ない要素が目白押し、作者正気か!? と思わずにいられない類のメタ構造…といった具合でフツーの読書家だと読破にはかなりの根気と知識とSAN値が必要なレベル。『ドグラ・マグラ』に至っては「読んだら発狂する」と称されるほど。
こうしたことからアンチミステリーの先駆けともいわれる。
作家竹本健治らの証言によると、竹本自身の作品である『匣の中の失楽』が小説雑誌「幻影城」において、当時の編集長島崎博が同作が1977年~1978年まで連載された際に上記3作と『石の血脈』(半村良)に匹敵する大作であると予告宣伝し、終了後に単行本化された際の「幻影城」1978年10月号にて評論家の二上洋一がこの三作をまとめて「三大奇書」と称し、『匣の中の失楽』を「第四の奇書」と言ったことに由来する、という説が有力とされている。(ソース なお諸説あり)
このようなことから、「三大奇書」という概念は『匣の中の失楽』という奇作への評価を前提としたものである趣旨が強いものの、同作を加えたうえで日本四大奇書と評されることも珍しくはない。
(少なくとも台湾では島崎の働きかけでこの名称・括りで紹介されている)
これら4作が後世に与えた影響は大きく、舞城王太郎の『ディスコ探偵水曜日』や古野まほろの『天帝のはしたなき果実』、清涼院流水の『コズミック』などのように第五の奇書を標榜する書籍が多数みられる。
…妙にメフィスト賞系率が高いのは気のせいであろう。
また、探偵小説以外にも『家畜人ヤプー』(沼正三)や『零號琴』(飛浩隆)などのように内容が徹底的にカオスな作品にもこの評価が付くことがある。特にヤプーは「戦後最大の奇書」「20世紀最大の奇書」と評価されている。参考
その他の奇書
前述のように「奇書」とは日本と中国独自のワードだが、近年ではYouTube等の動画サイトなどでは有志によって海外の異端文学や謎本、怪文書が紹介されている。
....他多数。
中でも
の3つを指して「生物学三大奇書」と呼ばれることがある。
「奇書」と呼ばれる書物は著者が冗談であることを明言しているものもあるが、「私はマジです(キリッ)」と言い切ってしまっているものがそう呼ばれることも多い。基本的にはネタ的に楽しまれるが、中には電波的な内容を真に受けて熱心な信者と化す者もいる。
こうした傾向は『非現実の王国で』などのアウトサイダーアートとも共通するものがある。サブカル系評論家の宮本直毅は『異世界はスマートフォンとともに。』を「『非現実の王国で』的な酩酊感(要約)」と称した。参考
ライトノベル奇書を決める試みもあるが人によって該当作が大きく異なるため定まったものはない(よく挙げられる作品としては『東京忍者』など)。
関連タグ
pixiv三大奇書(pixiv小説のタグ。このタグをつけられた作品は多数あり、特定の3作に限定する意味はない)
ライトミステリー - 『絶望系閉じられた世界』・『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい』・『左巻キ式ラストリゾート』もしくは『ブロークンフィスト』がしばしばラノベミステリ三大/四大奇書と呼ばれている
ジュブナイルポルノ - 『ひまわりスタンダード』、『ヒ・ミ・ツの処女探偵日記』、『左巻キ式ラストリゾート』がしばしばジュブナイルポルノ三大奇書と呼ばれている