加越とは
ここでは2について述べる。
列車愛称としての「加越」
気動車急行時代
1963年4月、名古屋駅〜金沢駅間を東海道本線・高山本線・北陸本線経由で結ぶ気動車急行として誕生。高山本線初の急行列車だったが、特急「ひだ」が誕生した1968年10月改正で「のりくら」に統合され消滅した。
電車特急時代
1975年3月のダイヤ改正で湖西線が開業したことにより、それまで現在の琵琶湖線経由で運転されていた特急「雷鳥」「白鳥」など多くの優等列車が米原駅や長浜駅を経由しなくなり、新たに米原駅で東海道新幹線と連絡し北陸方面と結ぶ特急列車として運転を開始。
当初は米原駅〜金沢駅・富山駅間に6往復が設定され、485系7両編成食堂車なしのL特急だった。1985年3月まで米原駅〜金沢駅間を結ぶ急行「くずりゅう」とタッグを組んでいた。
1978年10月改正から夕焼けの東尋坊をデザインしたイラストマークが掲げられた。また同ダイヤ改正では、それまで在来線最速の国鉄特急だった東北本線の「はつかり」がスピードダウンしたことで最速の特急となり最高表定速度は86.1km/hに達した。
しかし、1982年11月改正で上越新幹線が開業してからは富山駅発着列車は徐々に削減され、国鉄が民営化されJR西日本受け持ちになっていた1991年3月改正で全列車が金沢駅発着に改められた。遡る1988年3月改正から速達の「加越」は「きらめき」の愛称を冠し専用塗装が施された編成が充当されていたが、「加越」にも「きらめき」編成が充当されたりするなど区別が曖昧になり1997年3月改正で「加越」に再統合された。また特急「白山」用の489系が間合運用で充当されたこともある。
2003年7月に使用車両が485系から683系2000番台に置き換えられると、名古屋駅発着の「しらさぎ」との違いが「運転区間」以外なくなり、同年10月1日に「しらさぎ」50番台となり廃止された。
なお、末期には「しらさぎ」の臨時便が運転される際、米原駅から先のダイヤに組み込まれることもあるなど事実上「しらさぎ」グループの一員になっていた。
関連タグ
- 急行時代
- 特急時代