ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

原点回帰の日本シリーズ

0

げんてんかいきのにほんしりーず

原点回帰の日本シリーズとは、読売ジャイアンツVSホークス(南海ホークス。、⇒福岡ダイエーホークス。、⇒福岡ソフトバンクホークス。)ホークスの日本シリーズである。

概要

1950年から始まった初期の日本シリーズでは1951年の第2回から読売ジャイアンツ(以下、:巨人。)VS南海ホークスでの組み合わせが多く、南海ホークス時代での最後の日本シリーズの年の1973年までにでのその約9回この対決が約9回発生しており、その内巨人が8勝、南海が1勝(1959年のみ。)となり、原点回帰の日本シリーズと言える。その後の平成唯一の巨人VS福岡ホークス戦である20世紀の最後の年の2000年でも巨人が福岡ダイエーホークスに勝利をして9勝で巨人が勝ち越しをしているのだが、2019年2020年では福岡ソフトバンクホークスが2年連続負け無し4連勝で巨人に勝利し、1959年と合わせてホークスが巨人に3勝をしている。(ホークスが巨人を倒していてでの日本一の年では3回共負け無し4連勝で日本一になっている。)ている。なお、この巨人VSホークスの組み合わせがは日本シリーズ最多での約12回が発生をしていており、日本シリーズの最多の組み合わせにとなっている。

結果

年(回次)勝利チーム(監督)星取り(左から順)敗退チーム(監督)MVP備考
1951年(第2回)巨人(水原茂)〇〇〇●〇南海(山本一人)南村不可止日米野球開催のため、日程が繰り上がった
1952年(第3回)巨人(水原茂)〇〇●〇●〇南海(山本一人)別所毅彦別所が3勝を挙げる
1953年(第4回)巨人(水原茂)●〇△〇〇●〇南海(山本一人)別所毅彦この年から敢闘賞が導入、日米野球の影響で移動日はなかった
1955年(第6回)巨人(水原円裕)〇●●●〇〇〇南海(山本一人)別所毅彦別所が第4戦から4連投
1959年(第10回)南海(鶴岡一人)〇〇〇〇巨人(水原円裕)杉浦忠史上初の引き分けを挟まない4連勝
1961年(第12回)巨人(川上哲治)●〇〇〇●〇南海(鶴岡一人)宮本敏雄雨天中止が4度もあった
1965年(第16回)巨人(川上哲治)〇〇〇●〇南海(鶴岡一人)長嶋茂雄V9の始まり
1966年(第17回)巨人(川上哲治)〇●〇〇●〇南海(鶴岡一人)柴田勲鶴岡監督はこれが最後の出場
1973年(第24回)巨人(川上哲治)●〇〇〇〇南海【前期1位】(野村克也)堀内恒夫巨人9連覇達成、南海最後の出場
2000年(第51回)巨人(長嶋茂雄)●●〇〇〇〇ダイエー(王貞治)松井秀喜20世紀最後の日本シリーズ、最初で最後のON対決、平成唯一の巨人VS福岡ホークス戦
2019年(第70回)ソフトバンク【2位】(工藤公康)〇〇〇〇巨人【1位】(原辰徳)ジュリスベル・グラシアル令和最初の日本シリーズ、ソフトバンク史上初の3連覇および2010年代内における日本シリーズでのセ・リーグ全6球団撃破達成
2020年(第71回)ソフトバンク【1位】(工藤公康)〇〇〇〇巨人(原辰徳)栗原陵矢60年ぶりとなる2年連続の4タテ

コメント

コメントが未記入です
原点回帰の日本シリーズ
0
編集履歴
原点回帰の日本シリーズ
0
編集履歴