服部武雄(Fate)
はっとりたけお
※ このプロフィールは本百科の推測であり公式によるものではないため注意。
元新選組隊士(観察方兼撃剣師範)にして、後に御陵衛士となった元同志、「服部武雄」。
五番隊に所属しており※1、監察方の他に剣術指南役も務め、局長の近藤勇からも重用されていた。新選組内では珍しく、二刀流の使い手で隊内でも最強格と言われた、沖田や斎藤らにも引けを劣らぬ猛者。
慶応3年3月頃、伊東甲子太郎は思想の違いから、新選組を脱退し「禁裏御陵衛士」を結成する。服部も伊東の思想に共感し、それに加わる形で共に脱退した。
しかし同年11月18日、伊東が単独で近藤勇の妾宅に向かい会談するが、その帰り道、大石鍬次郎ら新選組隊士によって殺害される(型月時空では、重病の沖田に後ろから斬られて重傷を負ったところに大石にトドメを刺された)。
高台寺の屯所で待機してた服部ら衛士7名は、町奉行から伊東が殺害された事と遺体を引き取る等の報告を受け、これが新選組の罠だと知るも、伊東の遺体を引き取る為、七条油小路に向かいそこに待ち構えていた新選組と激闘を繰り広げる。(屯所を出る際、服部は密かに鎖帷子を着込んでいた。)
服部は得意の二刀流で応戦し、新選組側に多くの負傷者を出させた。そして、最終的に永倉新八と原田左之助の連携を受け、服部の大刀が折れたところを原田の槍でとどめを刺され、討死した。(ちなみに型月時空では、永倉と1対1の決闘を所望するも、御陵衛士に間者として潜り込んでいた、斎藤一に背後から刺され致命傷を負い、最終的に討死した事となっている。)
この事件は油小路事件と呼ばれ、後の世に語られる。
その後も御陵衛士の残党を狩るために服部を含めた四人の遺体はしばらく放置された後に光縁寺に埋葬され、その後に鈴木三樹三郎らによって戒光寺に弔われたと言われる。
一人称は「私(わたし)」。
鍬形の意匠を持つ銀色の甲冑を纏った異形の鎧武者。
厳めしい外見に反して、口調は丁寧で礼儀正しく、仕事ぶりも非常に真面目なもの。しかし内面では生前思想を認められなかった事や、罠に嵌められ討死した怨念が燻っており、必要とあらば味方を殺すことも躊躇しない。その一方で素直な好意や称賛には弱い節がある。
いわゆる「鎧武者スタイル」の愛好家※2で、生前も周りの隊士が軽装で斬り合いに臨む中、ひとり日頃から鎧を着こんでおり、同志たちにも鎧での戦闘を勧めていた程であった。
元々全身を覆い隠す鎧を持つサーヴァントはそれなりに存在するが、彼は少々事情が違うらしく、生前愛用していた黒鎧(鎖帷子)とはまるで違うロボットめいた怪人となっている。その変貌ぶりは旧知の沖田、斎藤、土方も初見で正体が判らず、言葉を交わしてから漸く声で気づいた程。
服部自身も「違うのは見た目だけではない」、歯を剥き出した面頬を指して「これが今の私の顔」と答えている他、肩から魔力を噴出させる・他者の霊基を吸収するなど人外じみた挙動を見せており、弱い霊格を補強するべく何らかの改造を施されたことが示唆されている。
自分達を邪魔者(というより裏切り者)とし粛清した新撰組への隔意は伊東共々強く、彼らが関わると「自分は彼らとは違う」と実直さや義理堅さが一層前面に押し出される形となり、時には同盟を結んだ敵に仁義を通すべく、処罰前提で味方にさえ毅然と歯向かう頑迷手前の態度を見せた事もあった(劇中では義元が放った殺す気の一撃を正面から受け耐え切ることで許された)。
二刀流の使い手で膂力に優れたパワーファイター。さらに、他者の魔力を取り込む謎の能力が付与されており、生来の実力も相まって沖田と斎藤を同時に相手取っても互角以上に戦える。
モーション中では、二刀を敵に突き刺して一息に斬り上げる攻撃を見せる。
生前
生前からの盟友で「先生」呼びして慕っている。新選組では参謀を務めたが後に御陵衛士を結成し脱退するも、油小路で暗殺されてしまった。遺体は捨て置かれ、この遺体を引き取りに向かった服部を含む御陵衛士7名を待ち伏せしていた新選組が襲ったのが油小路事件である。
生前の伊東派の同志で、服部と共に油小路で討死にした。
ちなみに、藤堂は近藤らと共に新選組の結成者であるため、油小路事件の際に永倉新八は逃がそうとしていたのだが叶わなかった。藤堂の最期については諸説あり、藤堂を生かそうとしたのは近藤の意向によるものであることと、隊士の三浦常三郎に斬られたというのは共通している。
また、毛内は「毛内の百人芸」と呼ばれる程で、弓術や槍術にも優れた人物であった。
先述した2人と同じく、生前の伊東派の同志達で御陵衛士。
鈴木は伊東の実弟、富山は薩摩藩出身だったので近藤から薩摩藩のスパイではと疑われている。油小路で共に戦ったが、服部らと違い生き延び、富山を除き明治維新後も生き続けた。富山については鳥羽・伏見の戦いの後に北陸でスパイ活動をしていたが馬の降り方が見事だったので幕府側に正体を見破られ、一度は逃亡するが追いつかれ追っ手に槍で何十回も刺される壮絶な最期を遂げた。
御陵衛士に新選組から間諜(スパイ)として潜り込んでいたという説がある。『FGO』世界では彼に不意を突かれる形で重傷を負い死に追い込まれたためか、「最も信用できない」として忌み嫌っている。同時に彼が簡単に所属先を裏切る人物ではないとも認めており、単なる蔑みや怨みだけではない複雑な感情を窺わせる(そのため、戦闘自体は正々堂々と行っていた)。
生前の同僚で、伊東を直接手に掛けた人物。
どう思っているかは不明だが、場合によっては斎藤以上に憎悪する可能性がある。
自身と同じく監察方の隊士で、特に吉村は自分と同様に撃剣師範も兼任していた。
二人とも油小路事件では、盛宴を張って伊東を酔わせる役回りを引き受けていたとされる。
同じく生前の同僚で、油小路事件で自分と戦った巨漢の怪力隊士。
後に御陵衛士の残党が近藤を襲撃した際は護衛として彼に同行しており、体を張って近藤を守り彼が馬上で狙撃された際は馬を走らせて命を救っているという実力者である。
Fate/GrandOrder
イベントで同じ陣営に属するサーヴァント。
とある理由から、伊東に向けるものとは別ベクトルで忠義を誓っていた。
伊東の指示で一時共闘することになった敵側のマスター。
彼/彼女から「鎧がかっこいい」と言われ、困惑しつつも悪くは思っていなかった。
防御力アップを多用するので正面から殴り合うと硬い。
チャージ攻撃は全体攻撃+攻防デバフで、防御強化解除はダメージの後に入る。
イベント終盤では1600万の残機、大量のQPと絆、高需要素材「蛮神の心臓」と新素材「狂気の残滓」、各種剣石を持ったレイドイベントのボスのトリを担当。なんと人類悪どもが襲い来る採集決戦を凌ぎ切るという、『FGO』レイドイベントの歴史に於いて大偉業を為した。
こちらのステータスは体力112万と解除不可の防御バフ(倍率50%の回数3回)と20万ガッツ(解除不可/3ターン)とクリバフ(解除不可)のみで、しかもこの防御バフは防御無視を付与すれば容易に突破可能という特殊ギミックなしの耐久型であった。更に彼より前の今川兵や今川義元のレイドは敵が複数での出現だったが、彼は何と単身での出陣である。そのためダメージ量の大きく出る単体宝具での攻略が可能でセイバーで男性属性を持っていたため男性セイバーという最悪のメタられ属性が刺さり極めつけに土日開催という万全の状態のマスター達という彼にとって圧倒的不利な条件の上で、その猛攻を防ぎきり人類悪達に敗北を刻ませたその威容はまさに最強のレイドボスと呼んで過言ではなかった。それ故かマスターの中には彼をグランドセイバーと呼ぶものもいる。
彼が勝てた要因としてはやはり24時間という時間制限が大きかっただろう。
そしてレイド開始直後の30分のサーバーダウンが無ければ彼は倒されていたとも言われる。
それに加えて開始した時間が深夜1時頃とかなり遅かったので睡魔に負けたり土曜に仕事した者の疲れや日曜に予定があるマスターの切り上げも多かった。制限時間も約17時間かつ1600万という膨大な残基、そして100万越えのHPに厄介なバフが億劫なのも彼に味方したのであった。
※1:当時の新選組は何度も再編成されており、彼が西暦1864年当時所属してた五番隊の隊長は武田観柳斎ではなく、尾形俊太郎であった(武田はその当時六番隊の隊長を務めていた)。
※2:彼は生涯最期の戦いで他の衛士と違い密かに鎖帷子を着込んでいたことから、この説を採用したとされる。
なお「丁寧な口調を使う服部武雄」「永倉新八・斎藤一・沖田総司の3人がかりによるレイドバトル」「ウルヴァリンの髪型の様な兜の形状」「伊東甲子太郎などの登場」から、『るろうに剣心』の北海道編に登場した服部武雄(るろうに剣心)から影響を受けた可能性を指摘する声がそれなりに見られる。また、兜を装着していない際の容姿にはプレデターの影響を指摘する声もある。