概要
職人気質で頑固、勝気な性格で、自分にも、他者にも厳しかった。
騎手時代は「仕事人」「マーク屋」「刺客」「ヒットマン」「人気馬キラー」などと呼ばれた。
騎手引退後は調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を構え、重賞勝利6勝を挙げた。
小島太とは養成所時代からの親友で、小島の次男の良太の名は田島の「良保」と小島の「太」から採られている。
来歴
1947年
1963年
中学校を卒業して馬事公苑第14期騎手養成長期課程に入所。同期には小島太、安田富男、目野哲也、平井雄二、池上昌弘などアクの強い面々が揃っており、1つ下でスター騎手揃いの第15期生が「花の15期生」と呼ばれたのに対し、第14期生は「ずっこけ14期生」と自称していた。
騎手時代
1966年
3月5日、中京競馬場でデビュー。
初年度に23勝を挙げ、関西新人賞を受賞。
1971年
5月2日、サラ系のヒカルイマイで皐月賞に勝ち、八大競走初勝利。
6月13日、東京優駿もヒカルイマイで勝って23歳でダービージョッキーとなる(戦後最年少)。
1973年
6月3日、宝塚記念で4番人気のハマノパレードに騎乗し、タイテエムを破りレコード勝ち。後に自身の騎乗馬で最強はハマノパレードと語っている。
10月21日、京都新聞杯で9番人気のトーヨーチカラに騎乗し、2強(ハイセイコー、タケホープ)を破り1着。
1980年
11月9日、菊花賞で5番人気のノースガストに騎乗し、モンテプリンスを破りレコード勝ち。戦後生まれの騎手として初めてクラシック三冠を制した。「必殺仕事人」の仇名が定着。
1983年
自己最高となる年間60勝を挙げる。
1986年
11月16日、マイルチャンピオンシップで6番人気のタカラスチールに騎乗し、ニッポーテイオーを破り1着。
1989年
5月21日、優駿牝馬で10番人気のライトカラーに騎乗し、シャダイカグラを破り1着。GⅠ勝利を7勝とする。
1992年
体力の限界から騎手引退を表明。
2月23日、京都競馬場5歳以上900万下でのアポロシーザーが最後の騎乗となった。
調教師時代
1993年
調教師となり、栗東トレーニングセンターに厩舎を構えた。
3月14日、阪神競馬場・第3競走出走のアイノクレールで調教師として初勝利を挙げる。
1995年
8月13日、管理馬スプリングバンブーが小倉記念で1着。調教師として重賞初勝利。
2001年
4月1日、管理馬トーホウドリームが産経大阪杯(現在の大阪杯)で1着。テイエムオペラオーの連勝を阻む。
2006年
2002年のきさらぎ賞を制した管理馬メジロマイヤーが、小倉大賞典で約4年ぶりの重賞勝利。当時のJRAにおける重賞最長間隔勝利記録となった。
しかしこの小倉大賞典で騎乗する川田将雅に「メジロ牧場」ではなく「メジロ商事」の勝負服を着せてしまうミスを犯す。発覚したのがレース翌週だったので制裁はなかった。
2003年
1月19日、管理馬バンブーユベントス(スプリングバンブー産駒)が日経新春杯で1着。
2013年
9月20日、調教師を勇退。