藤本敦士
ふじもとあつし
兵庫県出身。育英高、亜大、甲賀総合科学専門学校、デュプロを経て2000年ドラフト7位で阪神タイガースに指名され入団。主な同期入団選手は狩野恵輔、赤星憲広ら。これも同期の藤田太陽とは阪神、東京ヤクルトと2チームでチームメートとなっている。
ルーキーイヤーの2001年は沖原佳典との入れ替わりで一軍初昇格。ここから定着、この年は75試合に出場。
2002年からは背番号を「9」に変更し、開幕スタメン出場。2003年にはオールスターゲームにも初出場した。
2004年は開幕スタメンを新人の鳥谷敬に譲るものその後レギュラーを奪取。アテネオリンピック日本代表にも選出される。
2005年はセカンドへコンバートされ、関本賢太郎とレギュラー争いを演じるが確固たる結果は残せず。2006年も関本との併用が続いたが今岡誠の離脱後にセカンドのレギュラーを確保することに成功。しかし2007年は不振で成績が振るわず、盗塁を記録できなかった。
2008年に濱中治とのトレードで平野恵一が加入してくると本格的に控えに甘んじることになる。2009年はさらにクレイグ・ブラゼルの入団、大和の台頭で二軍落ちを3度も経験。オフにFA権を行使して東京ヤクルトスワローズに移籍。
移籍1年目の2010年は開幕スタメンをまたしてもルーキーの荒木貴裕に譲り、また守備面でもミスが目立つようになりレギュラー確保とはならなかった。
2011年は川端慎吾にレギュラーを奪われ、森岡良介とともに内野のスーパーサブに甘んじることになる。そこでも結果を残せず二軍に降格。
2012年は主に代打の切り札として起用されるも勝負弱さが出てしまった。畠山和洋の代役で3番・ファーストでの起用もあったものの、一軍・二軍を行ったり来たりするシーズンとなった。それでも移籍後では最多の66試合に出場している。2013年は、痛めている腰の影響で活躍が少なく、現役引退を決めた。
現役引退後は1年間野球解説者として活躍し、2015年シーズン以降は古巣の阪神タイガースの二軍内野守備走塁コーチをつとめている。