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親衛隊(SS)

しんえいたいしゅっつすたっふぇる

かつてドイツ第三帝国時代に存在した総統護衛の目的から設立された党内組織および国家機関。すみ分け記事。
目次 [非表示]

一般的な親衛隊については、親衛隊(組織)および、皇帝親衛隊の項目を参照のこと。

武装親衛隊(Waffen-SS)については記事リンク先を参照。

(本記事は、すみ分け記事です。)



概要編集

親衛隊の起源は、突撃隊の下部組織のうち、総統アドルフ・ヒトラーの護衛を目的として1923年3月に創設された「司令部護衛隊(Stabswache)」および同年5月にこれを改変した「アドルフ・ヒトラー衝撃隊 (Stoßtrupp Adolf Hitler)」に端を発する。これらはミュンヘン一揆の失敗でナチ党、突撃隊とともに強制的に解散させられたが、1925年のナチ党再編と同時に5月、新たに「親衛隊」として復活した。


1929年1月6日にハインリヒ・ヒムラーが親衛隊全国指導者に就任すると、親衛隊は彼の下で党内警察組織として急速に勢力を拡大。ナチスが政権を獲得した1933年以降には政府の警察組織との一体化が進められた。保安警察(ゲシュタポと刑事警察)、秩序警察、SD、強制収容所など第三帝国の主要な治安組織・諜報組織はほぼ全て親衛隊の傘下に置かれていた。兵員確保を最優先していたためゴロツキまがいの隊員が多かった突撃隊と異なり、血統や容姿を厳選し、加えてエリート意識を叩き込まれた親衛隊は規律ある武装組織として知られた。

1934年、自身の上部組織であり、長らく対立を続けていたエルンスト・レーム以下突撃隊の幹部を粛清(いわゆる「長いナイフの夜」)して正規軍である国防軍から信用を得ると、軍事組織の保有を許可され、親衛隊特務部隊(ss-vt、後の武装親衛隊)を創設。以降特務部隊以外の親衛隊員は一般親衛隊と呼ばれるようになった。


第二次世界大戦中、武装親衛隊は国防軍とともにヨーロッパ各地に展開、勇戦し、良くも悪くも数多くの武名をはせた。一方で警察業務の親衛隊はドイツ及びドイツ占領下のヨーロッパ諸国において治安維持、反体制分子摘発、ユダヤ人狩りなどにあたった。戦時中に親衛隊は絶滅収容所やアインザッツグルッペンを組織してユダヤ人の絶滅を図ろうとした(ホロコースト)。これらの行為は親衛隊の悪評を大いに高め、戦後のニュルンベルク裁判において全ての親衛隊組織は「犯罪組織」であるとする認定を受けた。


このように親衛隊がタブー視される一方で、ヒムラー自身がオカルトマニアであったことから異教的な独特の神秘主義が浸透しており、そのミステリアスな雰囲気に魅了される人も少なくない。実際こうした親衛隊のオカルト志向は「インディ・ジョーンズ」シリーズを初めとする多くの創作物においても冷徹な悪役として格好の題材となっているが、逆にかっこよすぎて人気になってしまうこともしばしばある。


だが、親衛隊はユダヤ人をはじめとする「生きるに値しない命」に対する虐殺を実行した組織であるということに変わりはなく、ドイツやオーストリアでは親衛隊を賛美したり支持を表明するのは法律違反となる。これはその上部組織であるナチスも同様である。この2カ国でなくとも、特にヨーロッパではナチスや親衛隊の存在はタブー視されており、下手に話題に出すと人格が疑われかねないので細心の注意が必要である。


組織の構成編集

親衛隊全国指導者個人幕僚部編集

1936年に誕生し、1939年に本部に昇格したヒムラーの個人的な幕僚で構成された部局。

親衛隊名誉将校の管理やいわゆるオカルトの類の研究もこの幕僚部の下に置かれた。


親衛隊本部編集

もともとSDを除くすべての親衛隊の事務を担当したが、あまりに業務が多かったので1940年にいくつかの本部に分裂した。戦時中は主に隊員の募集と採用を主な任務とする機関となっていた。


親衛隊作戦本部編集

1940年に親衛隊本部から分離した部局。一般及び武装親衛隊司令部を傘下に置いていた。

戦闘中の武装親衛隊は国防軍が指揮したが、それ以外の時の作戦行動はこの本部が担当した。


親衛隊人事本部編集

1940年に親衛隊本部から人事に関する事務が切り離されて誕生した。


国家保安本部編集

1939年にゲシュタポと刑事警察、SDを統合する形で誕生した部局。

政治警察のすべてを統括する本部であり、ホロコーストに大きく加担した部局。


秩序警察本部編集

政治警察を除くすべての警察を指揮する部局。


親衛隊法務本部編集

親衛隊裁判所を傘下に置き、規則に反した親衛隊員の懲戒処分を決定する部局。


ハイスマイヤー親衛隊大将本部編集

政治教育の監督を行う部局。ハイスマイヤーとは、この本部の長の名前である。


親衛隊人種及び移住本部編集

親衛隊員が純血を保つことや東方に入植させる部局。1931年に創設され、1935年に本部に昇格。

親衛隊員が結婚するためにはこの部署の許可を必要とした。


ドイツ民族性強化国家委員会編集

主に占領地のドイツ化を担当する部局。主に植民の計画立案と実行を担当した。

1939年にヒムラーがドイツ民族性強化国家委員に任命されたことにより設置された。


ドイツ民族対策本部編集

民族ドイツ人の帰国を支援するための組織であり、ドイツ人の再植民も担当した部局。

ドイツ民族性強化国家委員会と似た役割だが、こちらは技術面組織面の担当だった。


親衛隊経済管理本部編集

1940年に親衛隊本部から財政に関する事務が切り離されて誕生した。

強制収容所や髑髏部隊を傘下に置いており、ホロコーストに大きく加担した部局。


地方組織編集

上記の十二の本部とは別に、それぞれの地区に指導者が置かれ、地方組織を運営した。



親衛隊の軍装編集

親衛隊の制服、特にM32勤務服、通称「黒服」は、そのデザインのスマートさでこれまた世界中で高い人気があり(主に日本アメリカイギリスなど。台湾韓国などのアジア圏でも日本経由でウケているようだ)、その事も親衛隊の人気を加速させる一因となっている。

が、この黒服が広く用いられたのはごく一時期にすぎず、グレーなどの国防軍に近いカラーリングとデザインの制服の方が長かった。武装親衛隊では末期になると迷彩服も導入していた。むしろ戦時中は黒服は非常勤隊員などがメインに着ていたため兵役忌避者と揶揄されていた。


SSをはじめとするナチスの軍服をデザインしたのがHUGO BOSS(ヒューゴ・ボス)という有名な都市伝説が存在する。実際にはドイツ国防軍とSS等にむけた制服の製造や卸しには関わっていたものの、当時のHUGO BOSSは小規模な縫製工場であり、立場としては数ある製造会社の一つに過ぎなかった。高級デザイナーズブランドとして身を起こしたのは戦後のことであり、当時のHUGO BOSSがデザインを担ったという事実は確認されていない(2011年にHUGO BOSSとナチスについて語る本を出版した経済史家のインタビュー)。

HUGO BOSS公式もこの辺りの事実関係についてまとめた書物の刊行について資金を出し、その概要を公式サイトで公開もしている(pdf)。

ssの制服を実際にデザインしたのは画家のKarl Diebischである(ファクトチェック団体のページ)。


ピクシブ内の軍服イラストでもこの黒服やそれをモチーフにしたイラストが大多数を占める。だが、一口に親衛隊の制服といっても他にもさまざまなバリエーションがあり、また様々な徽章も存在する。親衛隊の軍服を描く際には是非これらを参考にしていただきたい。

ヒムラー長官制服、航空部隊・海上部隊仕様武装SS将校の通常勤務服の変遷(1935~45年)


親衛隊の階級・部隊章編集

アルゲマイネSSの階級章と肩章センシティブな作品


親衛隊隊員一覧編集

ハインリヒ・ヒムラー編集

親衛隊の長官であり、創設者。

ラインハルト・ハイドリヒ編集

ヒムラーの頭脳と称された国家保安部初代長官。

ヴァルター・シェレンベルク編集

国家保安本部第六局、親衛隊情報部国外局局長。

アドルフ・アイヒマン編集

ユダヤ人課課長。戦後南米に逃亡したが、イスラエルに捕まって処刑された。

エーリヒ・プリーブケ編集

イタリア警察との連絡将校。戦後南米に逃亡して約50年自由を謳歌したが逮捕され、イタリアで裁判にかけられた。

クラウス・バルビー編集

フランス・リヨンの治安責任者。戦後南米に逃亡してもナチスの思想を捨てずナチス再建の工作をしたが失敗し、フランスの裁判で終身刑に処された。

ヨーゼフ・メンゲレ編集

数多くの人体実験を行った死の天使。戦犯の一人だが死ぬまでナチハンターから逃げ切った。

ヴェルナー・フォン・ブラウン編集

ロケット開発の科学者。戦後はNASAに所属した。

武装親衛隊編集

オットー・スコルツェニー編集

ヨーロッパで最も危険な男と称されたヒトラー直属のコマンド所属の兵士。

ヨアヒム・パイパー編集

バルジの戦いでパイパー戦闘団を率いて戦った武装親衛隊士官。映画「バルジ大作戦」のへスラー大佐のモデルとされる。

ミハエル・ヴィットマン編集

開戦から一貫して精鋭LSSAHに所属していた戦車兵。

ローフス・ミシュ編集

ヒトラーの自殺を見届けた側近の一人。

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