概要
1956年8月31日生まれ。佐賀県唐津市生まれ、東京都新宿区育ち。血液型A型。
愛称はマーシー。
1980年に音楽バンド「シャネルズ」(後のラッツ&スター)の一員としてデビュー。コーラスや振り付けを担当したほか、一部の曲ではリードボーカルを担当し、田代マサシ名義で作詞も行っている。
その後様々なバラエティ番組に出演し、タレントとしての才能も開花。
その独自のギャグセンスを志村けんから見出され「ダジャレの帝王」「ギャグの王様」「小道具の天才」と呼ばれ、一躍バラエティー番組の人気者として引っ張りだこの日々を送る。
「志村けんのだいじょうぶだぁ」でのレギュラー出演が一番有名だろう。志村けんとの掛け合いは未だに評価する人も多い。
90年代には情報番組、バラエティ番組の司会者としても活躍した。
その多彩な才能ぶりから、誰もが安泰な芸能人生を歩むだろうと思っていたが…
転落
2000年9月24日都立大学駅で盗撮をして罰金5万円で書類送検。インタビュー時に「ミニにタコ」と発言。かなり有名な発言となる(これは本人曰く当時の所属事務所からの提案とのこと)。これ自体はすぐに許され、直後に出演しためちゃイケやバカ殿にでは志村やめちゃイケメンバーから盗撮ネタで散々いじられるなど、特に影響はないように思えた。
しかしこの事件を境に彼は転落人生を歩む事となる…
翌2001年12月民家の風呂を覗いたとして、とうとう逮捕状が出てしまう。さらにその時の家宅捜査で覚せい剤所持が発覚し、事実上芸能界から引退した。実はこの事件の時点で薬物に手を染めていた。
2004年、執行猶予期間中にバイクを運転して人身事故を起こし書類送検、さらに同年にバタフライナイフと覚せい剤所持で逮捕されたためついに実刑判決が出てしまう。
その後、2008年に出所し活動復帰。
zoomeにて番組を配信するなど今度こそ大丈夫だと思われていた。
コミックマーケット78で「ウルトラ☆テング」をリリース。
自身の逮捕歴をも自虐ネタとして取り扱うなど、PVでのあまりのはっちゃけぶり(転じて醜態)から「どう考えてもヤクをやってるとしか思えない」と言う意見まで出てしまった。
また、2010年に入ると田代は急に痩せだし(親しい人物には「胆石の除去手術をして、体力をつけるためにジムに通っている」と言っていた)、この時地下格闘技のMCをやった際には呂律が回らない上に選手の名前を忘れたり、手の震えが止まらないなど明らかに様子が変だった。プロデューサーからは「また薬物をやってるんじゃ無いだろうな?」と問い詰められ、田代はこの場では「やってません」と言ったものの、目線を合わせることは無かったという。
またこの時期出演したラジオ番組でも「田代が何を言ってるのか全然分からない」と苦情が相次ぎ、番組中でもそれまでは薬物ネタにも笑ってツッコミを入れたりするなどしていたが、周囲のいじりに突然激昂するなど挙動不審や情緒不安定な態度が目立ち始めた。
この様子に視聴者や周囲の人物は「また薬物をやってるのか」と心配する声も上がっていた。
そして案の定、2010年9月16日コカイン所持の容疑で逮捕。
とどめに同年10月14日覚せい剤、大麻所持の容疑で再逮捕。
逮捕時のガリガリに痩せこけた顔からは人気タレントとして活躍していた全盛期の面影はほとんど残っておらず、多くの人々に麻薬の危険性を知らしめる事となった。ちなみにこのイラストでも描かれているが、痩せこけた以外に何か違和感を感じた人はいなかっただろうか?皆様、頭部に注目してもらいたい。全盛期にバシッとキメていたあの髪型とは違いボサボサ…とまずは思うだろう。本当に注目すべきなのは全体の髪型ではなく、前頭あたりの妙な髪の生え方で部分的にハゲている部分である。これは薬物中毒で起こる幻覚作用がもたらす、いわば自傷行為によるものなのだという。幻覚によって虫がわいてる感覚に陥り無我夢中で掻きむしった結果頭髪が抜けているのである。もうおわかりだろう、薬物中毒は身も心もボロボロにするものなのだと。
これが笑いのセンスに満ち溢れた人気者・田代まさしが辿り着いた末路である。なお、師匠であり恩人の志村けんや、同じラッツ&スターとして長年苦楽をともにした鈴木雅之や桑野信義などの各著名人はこの有様に絶縁とも言うべき厳しいコメントを出している。
2011年、懲役3年6カ月の判決が下り刑務所で服役。2015年2月20日に刑期を終え既に出所したこととリハビリ施設への入所をブログで公表した。現在は薬物依存症克服のプログラムを受けているとのことで、いい加減立ち直るかと思われていた矢先の2015年7月6日に今度は女性のスカート内の盗撮未遂をやらかし、10日に書類送検されていたことが判明(後に罰金三十万円が確定した)。
本人曰く「勘違い」とのことで、実際警察から念入りに携帯のデータを調べられた結果、盗撮の痕跡がなかったというお墨付きはある。しかし「迷惑防止条例違反」により先の通り罰金を払わされていることもあって、本人の弁明は世間的に受け入れられていないのが現状である。なお、さんざんやらかした挙げ句、再びの盗撮騒動ということで、発覚当時ネット上の口の悪い一部からは「原点回帰だ」などと揶揄されてしまった。しかしこれでもまだ終わりでは無かったのである(後述)
性犯罪と薬物犯という、再犯率の高い犯罪を約15年間に渡り繰り返していることになり、いかに立ち直ることが困難であるかを再三再四にわたって世間に示すこととなっている。
同時に彼の度重なる逮捕がラッツ&スターの再結成を絶望的にしているのは言うまでもない。
人によっては田代まさしはもうこの世にはいないとまで思う者もいるほどである。
何故薬物に手を出したのか?
全ては芸能活動のストレスから…と、よくある話。田代曰く、人気絶頂の際は毎日忙しいだけでなく、ネタを山程考えないといけないことが最大のプレッシャーになっており、どんどん追い詰められていたとのこと。更には元々極度のアガリ症(トレードマークだった眼鏡も実は緊張緩和のための伊達眼鏡)であり、裁判官から「元々タレントに向いていなかったのでは?」と指摘された際には「そう思います」と力なく肯定している。皮肉なことだが、タレントとしての才能に溢れる一方、重圧に弱い性格の齟齬が人生を狂わす一端となってしまったとも言えるだろう。
若い頃は、複雑な家庭環境の影響もあり他の不良と同じくシンナーを吸っていたことも暴露しており、この経験から「シンナーはキッパリやめられたから薬物も自分の意志でやめられるだろう」という考えがあったとのこと。
最初の盗撮事件でストレスがピークに達していた頃、あるテレビ局のスタッフ経由で手を出したのが始まりだったとされている(別の書籍では芸能界に入る前、トラック運転手をしていたときに先輩から「眠気覚まし」の名目で勧められた、90年代に家族でハワイ旅行にいった際には経験したことがあったとも語る、あくまで初体験だったのかもしれない)。
そのスタッフがどうやら売人との繋がりがあったらしくいきなり売人に接触したのではないとのこと。また、芸能人の薬物汚染のターゲットにされる理由はやはり「金を持っている事による羽振りのよさ」である。
ダルクの職員として
今は薬物依存克服支援団体「ダルク」に所属している。三度目の逮捕以前から接触は持たれていたが「一人で薬物依存を克服できる」「薬物依存者の中に飛び込んだらむしろ悪影響なのでは」という思いから断っていたとのこと。
将来の展望としては「芸能界で薬物に手を出した人の為のダルクを設立したい」と語っている。設立理由としては「芸能人はこういった団体に加わるのは抵抗がある背景があるため」との事で、芸能界の薬物汚染が繰り返されるのはこういった事情があるからだと語る。
ただし、これには壁が立ちはだかっており「芸能人の立場による秘匿性の問題」「薬物の売人が余計目を付けてくる可能性」等を自ら指摘しており、日本では実現が困難である事も自覚している。
ほとんど夢レベルの話ではあるが、どんなに時間がかかっても「ラッツ&スターには復帰したい」という野心も語っている。
2019年には出所から5年が経過。加えてそれ以前の2018年からは芸能人としてではなく、元タレント・ダルク職員として薬物依存者としての生の声をネット・地上波問わず発信する機会が増えている。
特に公共放送たるNHKの番組「バリバラ」で『薬物依存』がテーマになった際、講師としてお呼ばれされた時は、まさかの地上波番組出演ということもあり、大きな話題を読んだ。
動画・番組を問わず、概ね視聴者からはタレント時代のトーク力もあってか意外にも好評な声が少なくない。
同時に薬物依存症患者の一人として、再犯性の高さの理由を自らの経験談を交えつつ話している。「刑務所での生活は薬物依存の克服どころか、悪い交友関係に近づきやすい空間だった」「呂律が回らないのはむしろクスリを打っていない時。クスリを打つとむしろ震えが止まるから怪しい」などなど、かなり生々しい声ばかりである。
…しかし、更生の道を歩んでいたはずの彼は再び魔の手に引きずり込まれた。
何故なら2019年1月の時点でダルクの職員を辞職していたためである。
出所から5年後
二度目の収監前は世間体もあり「もう二度と(クスリは)やりません」と語っていたが、その時も「本当にやめられる自信がない」と胸のうちにはあったという。
現在はダルクのスローガンでもある『Just for today』を胸に、他の入所者達共々「今日一日だけでもクスリをやめよう、これを毎日続ける」(ずっとやめようと最初から強く思っているとかえってプレッシャーになることから)という考え方の元、薬物依存と戦っているとのこと。
このため現状は記者などから「もうクスリをやらない自信がありますか?」といった風な質問を投げかけられると、田代は「今後絶対にやらないというお約束はできませんが、今日一日は手を出さないということだけはお約束します」と毎回答えている。しかしこういった心境を吐露しても雑誌記者はおもしろおかしく書きたて「今日はやってません」と、さもまた手を出しているような書き方をされて悔しい思いをしたとか。
さらにyoutubeに自身のチャンネル「ブラックマーシー」を設立。「MC COOLS」のリーダー佐藤秀光とともにトーク動画をアップしている。目的としては現在薬物依存からの脱却を推し進める田代まさしの現在の姿を見てもらうためとのこと。
なんだかんだいってもネットにおける注目度は高く、チャンネル登録者数は初っ端から10000越えを達成した。そこでは芸能界での経験を元に雑談したり、薬物に手を出した当時の経験、バンド時代などを語ったりしている。
現在はかつてふさふさだった髪の毛の面影がないためか、基本的には帽子を被り、時折カツラを被って公の場に出ることが多い。薬物の後遺症から目の焦点が合ってなかったりと、クスリの怖さを正に自身の姿と経験談で我々に訴えている。
ちなみに日本は薬物の再犯防止のための機関や認識が未成熟なことは事実であり、精神科医等も「薬物依存は強い意志だけで克服できない」「収監してクスリ断ちするだけでは依存の症状を助長するだけ」という事実が一般化されていないことを問題提起している。
他の先進国では、依存症は個人の意思でどうにかなるものではないとして、「薬物依存者は処罰するより治療する(ただし自分で使うだけでなく売人などもしている者は処罰される。また、現在の日本では依存症をはじめとした精神的な病を抱えた犯罪者に、治療を義務付ける根拠となる法律自体が乏しい。措置入院は犯罪予防が主目的ではなく、医療観察制度の対象に薬物犯罪は含まれていない)」「薬物を使用した者よりも、売った者を厳罰にする」という方針に切り替わっているのだが、日本ではこうした事件のたびに厳罰化ばかりが叫ばれる旧態依然の状況が続いている。
要するに田代は、決して安易な自己弁護のためにこういった活動をしているわけではない、ということは最後に注記しておこう。
5年目の逮捕
2019年11月6日、宮城県警が都内自宅マンションで覚醒剤所持の容疑で田代を現行犯逮捕した。
遡ること同年8月23日、塩釜市の宿泊施設に注射器を置き忘れたまま帰宅し、その件で通報を受ける。満を持して逮捕状が発行され、宮城県警が都内の田代宅に踏み込んだところ、そこでも覚醒剤が発見され、お縄となったものである。
折しも11月5日に配信された「ブラックマーシー」で刑務所内の待遇を語った直後のことであり、皮肉という他ない。
ダルク退職後、8月頃に反社会組織と関係を持つようになり、その流れで覚醒剤を渡されて再度使うようになっていたという。さらに同年10月、参加したイベントのトイレで覚醒剤が捨てられているのを発見し、「チャンスだと思って」と拾ってしまったとのこと。それからずるずるとハマってしまったのを見るに、正に本人の言葉通りだったと言える。
違法薬物では5度目、通算では7度目の逮捕であり、もはや「またか」状態でSNSや芸能人からの反応は薄かった。
一方ネットでは厳しい意見が飛んだ一方、「一度クスリに手を出したら終わり」という、呆れよりも反面教師としての見方が強かった。一部では「(田代が悪いのは第一として)ヤクの売人に対する罰則や牽制が足りないのではないか」と、薬物依存症から抜け出せない人間を食い物にする相手への懸念もささやかれている。実際以前の刑務所暮らしの際も「ろくでもない売人から買うからバレるんだよマーシー。俺から買えば絶対捕まらないから」と、捕まっている反社の人間からも声をかけられていたという。
本人もいつまた手を出すかわからないと語っていただけに、その通りとなってしまったのは残念なことである。後の裁判で田代は懲役2年6ヶ月を検察側から求刑され、本人も更生の機会をもう一度欲しいとコメントを残し、判決を不服として控訴している。その間に動画投稿は避けているが、佐藤秀光の支援もあってライブに出演している。
また、薬物どの因果関係かは不明だが、田代は現在糖尿病に苦しんでおり、2020年に入っても収監出来ないほど健康状態が悪かったことを明かしている。
唯一取材を受け、逮捕時も「やっていないと信じている」と語った佐藤秀光だけは、志村を始めとしたほぼ全ての身内から絶縁されてしまった田代を、逮捕後も交流と支援を続けている。逮捕後は保釈金を工面し、裁判中においてもイベントに呼ぶなど、頑なにいつか更生することを信じ続けている。後の雑誌インタビューで「(薬物による収監後)次に会う時はどんな言葉をかけるか?」という質問に「ヘイブラザーしかない、それ以外ないじゃん」と答えるなど、献身的に付き合っていく所存のようである。保釈金を用意して迎えに来た佐藤秀光を見た田代は「サンタクロースっているんだ」と涙したという。
田代の息子も今回のことについて「警察のプログラムでは薬物依存からの脱却は無理です」と語り、問題提起している。薬物に限らず依存症とは単に批判して罰を与えて社会から切り離しても効果がなく、いかにして依存の脱却を考えるかが大事だ、ということがわかる事例として、田代は言葉通りの反面教師となってしまった。
一方、ブラックマーシーのチャンネルコメント欄では、田代が図らずとも(?)反面教師となったこと、本人の言葉通りいつ再開してもおかしくない状態だったと発信し続けていたこともあり、以前よりは寛容な反応が見られる。
その後、ブラックマーシーは過去動画を残しつつ、アメリカで薬物により捕まったKEI(ケイ)という人物の話を載せる方向に転換。田代が再び刑務所から出た際に続きを収録していく予定だったが後述する事由によりそのままKEIのチャンネルとなっている。
2020年、恩師である志村けんが急逝したことをうけ、田代は動画でコメントを発表。「自分が先に逝くべきだった」と後悔の念を綴りつつ、来世で一緒にコントをしたいという願望を記した。往年の師弟コンビ復活はあの世に持ち越されることとなったが、それまでにクスリと手を切り、身を清めてもらいたいものである。
その後、田代は遺族の了承を得て志村家の墓所に赴き志村が眠る墓前で手を合わせる事ができたという。
ある意味復活の田代
2020年には志村の所属事務所「イザワオフィス」がコロナと闘う医療従事者支援として諸事情で「志村けんのだいじょうぶだぁ」が封印作品の位置付けにあると説明しながらも、特に全盛期だった「だいじょうぶだぁ」をイザワオフィス公式YouTubeチャンネルで10本を期間限定配信し、広告再生による収入を最低限の経費を差し引いて日本赤十字社に寄付すると発表。
そして第一弾の配信では…そこにはあの頃の志村と田代の息の合ったコントの数々が田代の存在を無かった事にするようなカットをする事なく公開されていたのである。なお、イザワオフィスはこの事については先述の諸事情と述べただけであり田代の事には一切触れていない。
度重なる田代の逮捕で生前の志村は一切拒絶していたが、作品そのものから田代の存在を消す事は望んでいなかったとされている。事実、地上波では絶望的だがCS放送・ビデオソフトでは田代は一切カットされていない。
2022年出所後
出所後の2023年1月にInstagramを開設し、2月には自身のかつてのブランドだった「MARCY'S」を復活。7月には大阪にある障害者の自立支援施設を運営する株式会社HEROが製造・販売する『ヒロポン酢』のCMに出演。
8月にはブラックマーシーのチャンネルとは別のyoutubeチャンネルを開設、12月には田代を献身的にサポートしている佐藤秀光もゲスト登場している(実際は田代が佐藤の店に足を運んでいる)。前述のヒロポン酢を販売するHERO社もスポンサーに名乗り出ている。
実は
田代まさしの家系は暴力団住吉会との繋がりを持っており、特に構成団員のトップだった西口茂男とは長年親代わりに面倒を見てもらった叔父という義理の親関係にあたる。
近年暴力団排除の傾向が強まっているのは周知の通りで、同じく暴力団の家系にあった酒井法子が干されたように、彼もまた単なる本人の薬物や性犯罪だけの問題とは言えないのかもしれない…
田代祭
2001年12月ごろの逮捕が話題になったことで、2chでは
「米『タイム』誌の企画『パーソン・オブ・ザ・イヤー』に彼を載せよう」
という、祭りと称した集団的悪ふざけが勃発した。
最初は盛り上がりこそあまりなかったが、田代まさしの名がトップ10に入ったのを皮切りに一気に盛り上がりを見せて祭りは加速。
当時の2ちゃんねらー独特の団結力に加え、『田代砲』などと呼ばれるスクリプトが開発・駆使された結果、最終的に彼は2位のウサマ・ビンラディンに2倍以上の差をつけて圧倒的首位に立った。
しかし、これが不正投票であることは誰の目にも明らかであったため、彼の選出は無効となった。2位のビンラディンも世論への配慮なのか却下され、結局投票自体が中止になった。
最終的にタイム誌は「当時ニューヨーク市長だったルドルフ・ジュリアーニ氏を2001年のパーソン・オブ・ザ・イヤーにすることに賛成か反対か」という、Yes or No 形式で投票を行い、賛成多数でジュリアーニ氏が選ばれた。
選出理由は9.11テロに対処したリーダーシップが評価されたため、とのこと。
ちなみに、このような結果になった原因は2chだけではない。
というのも、当時の『パーソン・オブ・ザ・イヤー』の投票では、以前から実在しない人物や歴史上の人物などを投票するという悪ふざけが度々発生しており、2001年の時にも10位以内だけ見れば、
- Pope hadrian Ⅶ(小説に登場する実在しないローマ法王)
- Laura Bush (ブッシュ大統領夫人)
- Nomar Garciaparra(メジャーリーガー、2001年は故障ゆえ活躍できず)
- Jesus of Nazareth (キリスト教開祖)
- Fuck Head (『愚か者』という意味の英語。2ちゃんねらー参加後に突然ランクイン)
……といったように、2001年に影響を与えた人物でも無ければ、誰を指しているのかすら不明な言葉などがランクインしているという、2ちゃんねらーが祭りを始める前から既に投票として成立していない状態だった。
そのため、これ以降の『パーソン・オブ・ザ・イヤー』では、事前に編集部のチョイスした人物からの選択投票に変更された。
なお、この田代祭は20年以上経過した現在でも2ch史上最大の祭りにして伝説として語り継がれており、この時に作られた投票ツール「田代砲」は後の2chの祭りにおいて様々な形で活用されることになる。
復活のマーシー
一度きりではあるが、「やらかし先生~やらかし人生から学ぼう~」というパロディ動画に出演。かつての面影を少しずつだが取り戻し、生徒達のボケに対するツッコミや自分が練り上げてきたネタを披露している。またトラブルが発生してもアドリブで乗り切ったりと活躍をみせた。
それ以外の動画でもウケを取るトークセンスは健在であり、これが先のブラックマーシーが冷やかしだけでない人気を得ていた理由と思われる。なお、5度目の逮捕後もこの動画は残されている。
関連動画
ヒロポン酢のCM
関連タグ
田代まさしのプリンセスがいっぱい…かつて発売されていたファミコンソフト。
ミニにタコ タシーロ 片翼の天使 2010年9月16日幻想入り確定 逮捕芸