概要
梵名を「サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ(सहस्रभुजआर्यावलोकितेश्वर [sahasrabhuja ārya avalokitezvara])という。「千の手の聖なる観自在菩薩」という意味。別名に「十一面千手観音」「千手千眼観音」「千臂千眼観音」などがある。
観世音菩薩の変化身の一つとされ、一切の世界の衆生を漏らさず救済しようという観音菩薩の大きく深い慈悲の心が反映された姿とされる。
六観音(七観音)の一尊とされ、六道のうち餓鬼道に対応する。
また干支の子の守護仏尊ともされる。
梵字は「キリーク」。
千手観音に言及した密教経典『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』に収録された「大悲心陀羅尼」は禅宗でも広く唱えられている。
語源
「千の手」を意味する異名はインド神話における高位の神も持っている。
例えば『スカンダ・プラーナ(Skanda Purana)』の「Avantya Khanda」という巻に列挙されたヴィシュヌの千の名には「千の手」という意味の「Sahasra baahuh」がある。そのすぐ手前には「千眼」に対応する神名(Sahasraaksha、Sahasravadanojjwala)の記載もある。
シヴァは神話において、ダクシャが彼にかけた侮辱に抗議して妻サティーが抗議の自殺をしたのをうけ、ヴィーラバドラ(Veerabhadra)という千の腕を持つ荒ぶる分身を生み出している。『バーガヴァタ・プラーナ』ではこのエピソードにおいてこの分身を「ルドラ」と呼んでおり、シヴァ自身の別の相ともとれる。
カーリーも「サハスラブジャ・カーリー(Sahasrabhuja Kaali)」という別名を持つ。『ラーマーヤナ』のヴァリアント『アドブタ・ラーマーヤナ(Adbhuta Ramayana)』では千の腕を持つカーリーが登場し、ラーヴァナと戦う。
腕の数
『千手』とは言うが、作像・描写される場合、腕の数は『千光眼観自在菩薩秘密法経』等で指定された42臂であることが多い。
これは胸前の合掌する両腕以外の40の腕が一臂に付き25の世界の衆生を救うからであるとされ、25×40=1000の世界を救うという意味から『千手』と呼ばれている。またこの千手の掌には目が存在し、その目を以って千の世界を見渡し苦しむ衆生を見つけ出して救い取るとされている。
密教においては「蓮華王」と呼ばれ、観音菩薩の変化身の中でも最も徳の高い姿であるとしている。
『千光眼観自在菩薩秘密法経』等では合掌する二手のほか、四十手がもつ持物について解説されている。その中には武器も存在する。が、千手でなくとも四十二本の腕と四十の持物を仏像や仏画で再現するのはまさに職人技の世界であり、一般人がそうそう作れるものではない。職人に発注するにせよ、完全再現しようとすれば費用がかさむことになる。そのため石仏などにおいて腕の数を減らしたり、描写・造型する持物の数を絞り、残りを無手にする例がみられる。
なお、奈良県の平城京で唯一当時から現存している建造物である唐招提寺にある千手観音は本当に千本腕として建造された。ただし現在ではいくつかが欠損してしまっている。
持物
伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』の終盤部分で千手観音の持物、印相、特徴が説かれている。記載順通りに書くなら以下の通り。この経典での持物の種類数は合計38である。
この経典には胴体から見てどちら側に配置するかの記述はない。シルエットが左右対称になるように配置される傾向にあるが、持ち手が位置するポジションが作例によって異なってくる。
記載順 | 持物(漢訳での表記) | 特徴 |
---|---|---|
1 | 如意珠 | あらゆる願いを叶えるとされる如意宝珠(チンターマニ)。 |
2 | 羂索 | 不空羂索観音や不動明王も持つロープ。 |
3 | 寶鉢 | へそのところで掌を上向きに重ねた両手で持たれる托鉢用の鉢。 |
4 | 寶劍 | 金剛杵(三鈷杵)のような持ち手の直剣。三鈷剣。 |
5 | 跋折羅 | ヴァジュラ、金剛杵の意だが、こちらは三鈷杵として表現される |
6 | 金剛杵 | 意味としては跋折羅と同じだが、こちらは独鈷杵として表現される |
7 | 施無畏手 | 何も持たない手で印相の一つ「施無畏印」をつくる |
8 | 日精摩尼 | 太陽の宝珠。日輪としても表現される |
9 | 月精摩尼 | 月の宝珠。月輪としても表現される |
10 | 寶弓 | 弓 |
11 | 寶箭 | 矢 |
12 | 楊枝 | 柳の枝 |
13 | 白拂 | 払子。蚊や蝿といった虫を殺さず(不殺生)に追い払うための道具。大量の長い毛を束ねて柄をつけたもの。 |
14 | 胡瓶 | ペルシャ風の水瓶。 |
15 | 旁牌 | ぼうはい。置き盾。弓や石弩を使う兵士が用いた設置式の盾 |
16 | 斧鉞 | 手斧、まさかり |
17 | 玉環 | 玉(宝石)の輪 |
18 | 白蓮華 | 白い蓮華。 |
19 | 清蓮華 | 青蓮華とも。 |
20 | 寶鏡 | 鏡 |
21 | 紫蓮華 | 紫の蓮華。 |
22 | 寶篋 | 小さな箱。 |
23 | 五色雲 | 吉兆とみなされる虹色、五色の雲。仏菩薩はこれに乗って現世に降臨する。 |
24 | 軍遲 | 軍持。サンスクリット語の「グンディ」の音訳。インド風の注口つきの水瓶。 |
25 | 紅蓮華 | 赤い蓮華 |
26 | 寶戟 | 「戟」とは中国の槍状武器。ヒンドゥー側のドゥルガー像等においてこの語で意訳されたと思しき武器を確認できる。 |
27 | 寶螺 | ヴィシュヌも持物とする、法螺貝を加工した楽器。 |
28 | 髑髏杖 | 先端に髑髏のついた杖。髑髏単体が持物になっている例もある。 |
29 | 數珠 | 数珠。 |
30 | 寶鐸 | 堂や塔の軒下などに吊される大型の風鈴。 |
31 | 寶印 | 仏教寺院で用いられるハンコ。梵字や真言、仏教のシンボル等が彫り込まれる。 |
32 | 倶尸鐵鉤 | 宝鉤。先端に鉤がある武器。一言に宝鉤といっても形態の幅が広い。 |
33 | 錫杖 | 僧侶、修行者が持ち歩く錫杖。地蔵菩薩も持つ杖。 |
- | 合掌 | 祈りや同等・目上の相手との挨拶の際に両の掌をあわせるポーズ。 |
34 | 化佛 | 仏の姿。仏像や仏画においては手に乗るサイズの仏像、という塩梅でデザインされる。 |
35 | 化宮殿 | 浄土にある宮殿。仏像や仏画においては手乗りのミニチュアという塩梅でデザインされる。 |
36 | 寶經 | お経。巻物タイプか折り本タイプかは作例によって異なる。 |
37 | 不退金輪 | 宝輪とも。不退とはいちど得た悟り境地を失わない事を意味する。 |
- | 頂上化佛 | 手にもつ持物や印相ではなく、頭上にある化仏を指す。不退金輪と葡萄の間に記される。 |
38 | 蒲萄 | ひと房のぶどう |
顔の数
『千光眼観自在菩薩秘密法経』では顔の数は十一面となっており、四十二臂十一面は千手観音のバリエーションとしてもっともよくみられるものである。
千手観音はこの他にも様々なバリエーションに分かれる。顔が一面(中国・上海の龍華寺や重慶の大足石刻宝頂山での例)、三面(河北省の普宇寺など)、二十四面(福井県の妙楽寺など)、三貌十一面(和歌山県の補陀洛山寺)、胎蔵界曼荼羅での姿である二十七面などがある。
また、メインの顔の左右に顔を持つ場合、左(こちらから見て右側)の顔が恐ろしげな顔をしている千手観音像(上述の妙楽寺の像が代表例)も存在する。メイン顔の両側に別の顔がある「三面」形式の千手観音像は『千手観音造次第法儀軌』(善無畏訳)に基づいている。これによると、穏やかな右の顔は蓮華面、いかめしい左の顔は金剛面という(那谷寺の像のように右側が金剛面である三面像もある)。蓮華面は青碧、金剛面は紺白色とされている。『千手観音造次第法儀軌』では顔は三面とだけ指定されている。法性寺や妙楽寺の像は左の顔が金剛面という点から『千手観音造次第法儀軌』の流れを汲むとみることもできるが、その顔数はメイン本面の両サイドの顔+αとなっている。なお、胎蔵界曼荼羅verの二十七面千手観音も、そのうち二面を本面の両サイドに配置するが、両方とも穏やかな顔である。
脇侍
日本における観世音菩薩、およびその変化身に多い毘沙門天、不動明王のほか、以下のような例がある。
毘沙門天と地蔵菩薩(音羽山清水寺):地蔵側は尊名は「地蔵菩薩」だが武将形で勝軍地蔵に近い。
毘沙門天と勝軍地蔵(神秀山満願寺)
婆藪仙人と大弁功徳天(吉祥天):二人は千手観音の眷属「二十八部衆」のメンバーでもある。
日光菩薩と月光菩薩(天音山道成寺):両菩薩は薬師如来の脇侍として知られる。
達磨大師と聖徳太子(片岡山達磨寺):「片岡山飢人伝説」に基づく。
化身・垂迹とされる神・人物
歴代ダライ・ラマ(チベット仏教)千手観音のうち「十一面千手観音」の化身とされる。
蔵王権現(修験道)千手観音が釈迦如来と弥勒菩薩と共に蔵王権現に化身したと伝わる。
イザナミ・熊野牟須美大神(飛滝権現)・事解之男神(熊野大社・那智大社)
タケミナカタ・八坂刀売神(諏訪大社下社・秋宮)上社の祭神でもあり、こちらは普賢菩薩が本地とされる。
佐田彦大神(伏見稲荷神社中宮)
大山咋神荒魂(日吉大社上七社・牛尾神社)
高麗王若光(高麗神社)高句麗の王。神産巣日神と同一視された。
トヨタマヒメ(若狭姫神社)
天忍穂耳、伊豆山権現法体(伊豆山神社)
白専女(元山上千光寺)蔵王権現を感得した役行者の母。
八王子権現(山王信仰)日吉山王権現や牛頭天王の眷属である八人の王子。
弟橘媛(吾妻神社)
好玄(『梅花無尽蔵』)天満大自在天神の都率天(兜率天)での姿
御利益
除災、開運、健康など、あらゆる現世利益にお応え下さる。
また恋愛成就や夫婦和合など、恋や愛にまつわる悩みにも応じて下さる珍しい菩薩様。
子年の守り本尊。
御真言
オン バサラ タラマ キリク
関連イラスト
腕が無数に生えているように見えるイラストにも付けられる。