飛騨山脈
明治時代に来日したイギリス人がその山容を欧州のアルプス山脈に似ていると世界に紹介した事から、中央アルプス(木曽山脈)、南アルプス(赤石山脈)とともに日本アルプスと呼ばれる。
童謡アルプス一万尺でも有名な槍ヶ岳や、日本第3位の高さの奥穂高岳(穂高岳は一つの山ではない)、立山など3,000mを超す高山が多数所在する。
その他にも剱岳や白馬岳、燕岳、笠ヶ岳、常念岳などや、乗鞍岳や焼岳といった火山も存在する。
日本では稀有な氷河も存在しており、山脈全体が大昔にその浸食作用を受けたので急峻で岩肌の目立つ山容が多い。
その北端部が親不知海岸として日本海まで達するほど広大な山脈である。
また北側がY字状に分かれており、その間が巨大ダムで有名な黒部峡谷である。
高山植物が豊富で、麓にはニホンザル、ツキノワグマ、カモシカが、山頂部にはライチョウやイワヒバリが生息する。
登山客はもちろんの事、麓の豊かで美しい森林や湖沼、上質な雪を求めてキャンプ客やスキー客なども多く訪れる山岳リゾート産業が盛んであり、上高地などの名勝地が存在する。
特急列車
かつて名古屋鉄道が運行し、区間沿線の山脈名が付けられた特急列車。
廃止時は神宮前駅・新名古屋駅(現名鉄名古屋駅)とJR東海の高山本線高山駅までを結んでいた。
国鉄時代の1965年に準急「たかやま」として運行を開始し、翌1966年に急行に格上げされ「北アルプス」に改称。
1970年より夏季に富山地方鉄道の立山駅までの乗り入れを開始(1983年まで)し、1976年に特急に格上げされた。
当初の車両は名鉄のキハ8000系で、走行性能は国鉄キハ58系に準じたものであったが座席は他の名鉄特急と同様の転換クロスであった。
当時の国鉄特急並みで、まだ非冷房も多かった準急や急行より明らかにレベルが上であった。
1965年には一等車(現グリーン車)も連結されたが、1970年に普通車に格下げされ設備も統一された。
間合い運用で名鉄や地鉄の線内特急にも使用され、1967年には国鉄に貸し出され、国鉄の名古屋駅からの高山線臨時夜行急行「りんどう」(下りのみで高山着は午前3時だった。上りは回送で名古屋に戻った)として運行されたことがある。
運行区間は度々変更されており、1987年の国鉄民営化の時点は富山駅までの運行で一時期はJR西日本管内も走行した。
1990年に高山までに短縮され、西日本への乗り入れは中止となる。
1991年に車両がキハ8500系に置き換えられ、晩年は同じく高山本線を走る特急ひだと併結されて運行していた。
利用客の減少などにより2001年に廃止となり、登場からわずか11年で余剰となったキハ8500系車両は会津鉄道に譲渡されている。