PCゲーム
パソコン(PC)用のゲーム。ほとんどがWindows用であり、Macintosh用ゲームの多くはWindowsからの移植である(Macオリジナルのゲームも無いわけではないが)。
家庭用ゲーム機(CS機)とは違いハードメーカーによるライセンス制度が無く、誰にでもゲームが作れて流通できる環境にあるため、同人ゲームが多く制作されている。単に「PCゲーム」と言う場合は、同人ゲームやアダルトゲームを除き、全年齢対象の商業タイトルを指す。
PCはハードウェアの仕様が一定でないため、遊ぶ際には必要/推奨スペックを確認する必要がある。またOSの互換性も問題になる。例えば現在のNT系Windowsで9x系時代の古いタイトルを遊ぶ場合は動作確認が必須である。新しいハードウェアやOSで古いソフトがまともに動かない場合は、リマスター版を購入するか仮想環境を用意しなければならない。
2010年代以降はダウンロード販売が主流で、国産としては古参シリーズの『A列車で行こう』も2010年発売の『A列車で行こう9』とその拡張版が「パッケージ版の出た最後のタイトル」であった(以降はSteamに移行。例えば「A列車で行こう はじまる観光計画」はパッケージ版を買ってもSteamでの引き換えコードが付属するのみ)。海外タイトルですらパッケージ版が出るのはA~AAAクラスの特別限定版のような「特典が山盛りでつく物」が大半で、販路も「自社通販限定」(+「極一部の特定ショップ限定」な場合もある)だったりする。また、インストール容量が肥大化していることや、光学ドライブが標準搭載されなくなった影響でパッケージを買っても物理メディアが提供されず、代わりにSteamなどで使用するDLキーコードが同梱される形に変わっている。この点もCS機とは大きく異なっている。
PCから家庭用に移植されるタイトルも多いが、逆に家庭用タイトルがPC用に移植されるというケースも。2010年代にはPCとCSの互換性が良くなってきたため「ほぼ同発」だったり、遅くても「CS機から遅れて1年前後」にリリースされることもある。中には「CS機で出たゲームのHDリマスター版がPCでのみ発売された」なんてのもあった。例:『英雄伝説 零の軌跡』、『ロックマンX』シリーズ(6と7以外。8は同時発売)、『真・三國無双』(3以降)、『バレットウィッチ』、『Killer7』など
歴史
レトロPC時代、インターネット普及前の日本では「文書作成」が個人のパソコン需要の中心であった。しかしパソコンに先駆けて高度な日本語処理性能を持つワープロ専用機が普及したため、ゲーム機としての方向性も重視されるようになった。
1980年代の8ビットパソコンであるNECのPC-8801、富士通のFM-7、シャープのX1、マイクロソフトとアスキーのMSXは、いずれもゲームを中心とする趣味用途に使われる「ホビーパソコン」だった。これに対し、16ビット機のPC-9800シリーズ(NEC)、MULTI 16シリーズ(三菱電機)、FM-16β/FMRシリーズ(富士通)は、いずれもビジネス需要を重視していたが、1980年代中盤にPC-98の覇権が固まると個人ユーザーも徐々にPC-98に移行していく。後発のシャープはゲームなどのホビー用途に特化したX68000を出し、付属ソフトの『グラディウス』がアーケードゲームの再現性の高さで注目されたが、市場の主流とはならなかった。
しかし、バブル期の前後にCD-ROM²、PCエンジンコアグラフィックス、メガCDなどマニア向けの家庭用ゲーム機が次々と登場すると、パソコンの性能的なアドバンテージが少なくなった。PC-98はアニメーションやスプライトなどのグラフィック表示を苦手にしていたのである。このため、PC-98では比較的高性能なCPUと広いメモリ空間を生かしたシミュレーションゲームや。規制の緩さを生かして静止画像を表示するアダルトゲームが人気を集める一方、他のジャンルは衰退の一途をたどった。
1990年代中盤にWindows3.1が広く使われるようになってからも、Windows95に合わせてDirectX(初期の名称はGame SDK)が登場するまでは主なパソコンゲームのプラットフォームはMS-DOS(主にDOS/VかPC-98)だった。海外ではこのジャンルは盛んでMS-DOSで3Dゲームを動かしたり、実写取り込みなどの日本では珍しいジャンルが多数作られた。
Windows9xに完全に移行すると、アダルトゲームを除く国産の商業タイトルは『信長の野望』シリーズ、『三國志』シリーズ、『A列車で行こう』シリーズなど、マウス操作向きの定番シミュレーションゲームが目立つぐらいで、多くのゲーマーからは多少の環境差異でゲームが起動しなくなる不親切さが嫌われ見向きもされなくなっていた。改造しようにも日本企業が出遅れたPC/AT互換機の分野は海外の謎の半導体メーカーの部品が大半で日本語マニュアル・サポート不在など敷居が高く、パソコンマニアも減少していった。世界一早く携帯電話がインターネットに対応し、大手ゲーム機会社を抱える日本では、パソコンの存在感はますます低くなった。
パソコン向けの3Dグラフィックスボードが流行すると、『セガラリー』、『バーチャファイター』、『電脳戦機バーチャロン』などアーケードゲームの3Dタイトルも移植されたが、成功したとは言い難い。このため、ひところは「PCゲーム=洋ゲーかエロゲ」というイメージが定着していた。
一方、海外は国や地域によってはCS機の販売開始(ロンチ)が遅かったり、関税の影響でやたら高額だったり、そもそも流通していない等という事情も絡んでかPCゲームのシェアはCS機よりも上の位置にあることもザラであった。
2000年代には国産が少ないFPSを中心にオンラインゲームを含む海外ゲームの輸入が活発化。また、インターネットの普及に伴い、個人~少数制作のフリーゲーム・同人ゲームが多数流通した。意外なところではダイソーが旧作タイトルを中心に100円で全国で販売していた。
2010年代にSteamなどのDL配信が主流となると海外ゲーム輸入の流れはさらに加速した。また、国産の大型タイトルもPCとCS機に同時発売されるものが多くなった(マルチプラットフォーム)。
なお1980年代半ばには既にソフトベンダーTAKERUという、PCゲーム用の自販機があり、ゲームをネットワーク経由で取り寄せることもできた。当時は通信コストが非常に高く、ソフトウェア販売による収益よりも通信経費の方が高く付いたためビジネスとしては失敗だったという。
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